中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

21世紀今日の言論弾圧 いわいる自由主義国でも 実質インフラとなったメディアの権力行使

1.自分の回りで、言論弾圧は消滅した

と思っていました

私は、今日地の日本で生まれ育ち、学校教育も、普通が否かは議論

があるとしても「公立」でうけ、自分の思想信条に特別に強い刺激

を直接受け続けていた経験がありません。

社会生活も、仕事をするようになって、海外出張はちょくちょくあ

りましたが長期滞在はないし、学生時代や社会人になって、「海外

留学」の経験もありません。

つまり、にほに外で長期間「生活」したことがありません。

無論「難民」となり、苦悩を味わった事もありません。

私が知る「言論統制」は「歴史の中の出来事」であり、現在の世界

では、全体主義国家、専制国家、開発独裁と言った国家には言論

統制は、現在もあるにしても、自由主事国家で経済的にある程度満

たされた「先進国」では、言論統制はあまりないと思っていました。

誤解なきように言うと、「差別」は世界中であります。

「差別」意識は、ある意味人間の本質に根差したものであり、無く

なることは無いと思うし、程度の差はあれ実際多々見受けるし、

話を聞きます

また「言論統制」でなく、しぅていてわざと言わずミス・リーディ

ングを誘うような、言動は、多々あります。

つまり私が言うのは

「物理的手段や圧力を使ったすぐばれる言論統制がない」、という意味でした。 

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言論弾圧」イメージですが、対象は無限に広がりそう

2.昨今の弾圧事例から

(1)まずびっくりしたのは、米国トランプ大統領の言動を

ビッグテックと呼ばれるTwitter Facebok,Youtubeが、アカウントを

停止したこと。

直近ドランプ側がビッグテックの法人とSEOを相手に提訴に踏み切

り裁判で争うようですが、裁判行方については、コメントできません。

ここで問題にしたいのは、理由付けはどうであれ、アカウント停止、

言論を統制したという事実。

確かに現代の大手SNSメディアの提供するサービスは、社会インフラ

の一つであり、彼らが「権力」を持っているのは事実。

新聞、テレビ等のマスメディアが、報道機関というより、特定の思想

信条を流布するプロパガンダ機関であることは、自由主義社会でも横行

しており、これを認識している大人も多数います。

それはそれで仕方ない面がありますが、具体的に反対意見をシャッ

トアウトするのは、いかがなものかと。

自由に議論させて、各意見を分かりやすく比較表記し、記視聴者や読者の

判断にゆだねる、というのがやはり基本でしょう。

藍えとぉシャットアウトするのは、自分の見解に自信がないから、相手を

自由にさせると、自分が不利益を被るから、と勘ぐってしまいます。

(2)私も聞いている、ある政治系著名ユーチューバーがアカウント更新を

一週間ほど停止されたとのこと。

ユーチューバーが言論活動をしていることは論を待たないことであって、

日本的禁酒法でないけれど、生活の手段を奪う者でしょう。

彼(ユーチューバー)は、国外の政治経済問題や、昨今の新型コロナ対

応について、論陣をしっかり張っていただけに残念。

当たり前ですが、一つの意見ととその反対意見の双方を比較検討できて

はじめて、正常な思考が可能となるはずでしょう。

卑近な例を挙げると、

東京五輪の会場となった宮城県において、観客を入れる主張の宮城県

知事と、これに反対、無観観戦主張の仙台市長が、争っている様子。

双方の主張が表記され、解説されて初めて、こちらも判断もできます。

何事もそうでなうと・・・。

 (3)脱線ですが、日本の新型コロナ報道でPCR陽性者を感染者とみ

なして「感染拡大」と煽りに煽る一方、重傷者や死亡者の減少報道は

しないといった一方的な姿勢はいつも気になるのですが、これは本日

言論統制の範疇ではありません。

3.今後の弾圧は増える減る?

そもそも言論弾圧は、時の権力者が反対意見を封じ込める手段でしょう。

自分に有利なように、自分の権力・利益を維持拡大させたいのは権力者

の本質です。

現代社会になり、受有主義国家んそ先進国では「言論ダ夏ができにく

い環境」になっていただけに思います。

SNSはじめメディア関連の一層の技術革新により、よりソフトな形で、

なかなか通常のヒトにはわかりにくい手法による言論弾圧が、これから

もますます進んでいくでしょう。

また、弾圧まで進まなくても、一方的報道による印象操作で、たいてい

の目的は、達せられそうな、気がします。

ふと考えるのは、第二次世界単線後の日本の高度成長期が、あり得ない

ほどの偶然の積み重ねの産物であるように、

「実質的な言論の自由」も、「物理的に目に見える形での実力行使」が

できにくくなって、技術革新委より「目に見えない、わかりにく形で

言論弾圧」が横行できるようになるまでの「端境期の産物」である

気もしています。