中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

何度も読み返すマキアヴェッリ語録から 塩野七生さん著作

 

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いろいろ思案し、執筆中のマキアヴェッリのイメージ

 1.プロローグ

マキアヴェッリは、以前からよく読んでいます。

塩野七海さん編集のこの「語録」は、折に触れて、参照しています。

 マキアヴェッリ語録

塩野七海 / 著

発行所  株式会社新潮社 

特に、解説をつけたりする必要な無いと思います。

私の感想は最後に入れます。

 2.お気に入りの抜粋

君主にとって、厳重の上にも厳重に警戒しなければならないこと

は、軽蔑されたり見くびられたりすることである。 君主論 P93

 

君主にとって最大の悪徳は、憎しみを買うことと軽蔑されること

である。

それゆえに、もしもこの悪徳さえ避けることができれば、君主の

任務は相当な態度まっとうであろうし、他に悪評が立とうとも、

なんら怖れる必要はばくなる。  君主論   P94

 

危険というものは、それがいまだ芽であるうちに正確に実態を

把握することは、言うは優しいが、行うなると大変に難しいと

いうことである。

それゆえはじめのうちは、あわてて対策に走るよりもじっくり

時間稼ぎをするほうをすすめたい。  政略論   P111 

 

必要に迫まられた際に大胆で果敢であることは、思慮に富むこと

と同じといってよい  フィレンツェ史  P115

 

今までにも幾度も述べてきたように、人の運の善し悪しは、時代

に合わせて行動できるか否かにかかっているのである。 

政略論  P134

 

人間は、運命に乗ることはできても逆らうことはできない。

ならば、絶望するしかすべはないかとなると、そうでもな

いのだ。

運命が何を考えているかは誰にもわからないのだし、どう

いうときに顔を出すかもわからないのだから、運命が微笑

(ほほえむ)のは、誰だって期待できることだからである。

それゆえに、いかに逆境に陥ろうとも、希望は捨ててはなら

ないのである。

政略論  P218

  

次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。

第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども

溶解できるなどと、思ってはならない。

第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させう

ると、思ってはいけない。      政略論 P229

 

謙譲の美徳をもってすれば相手の尊大さに勝てると信じる者

は、誤りを犯すはめにおちいる。     政略論  P232

 

相手を、どんなことにしろ絶望に追いこむようなことは、思慮

のある人のやることではない。

なぜなら、前途に臨みを失った者は、どんな悪い状態を示され

ても、それによって判断を変えるような冷静さを失ってしまう

からである。    フィレンツェ史   P238

 

人間というものは、危害を加えられると思い込んでいた相手

から親切にされたり恩恵をほどこされたりすると、そうでない

人からの場合よりはずっと恩に感ずるものである。君主論 P249

 

中くらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。

反対に、圧勝することしか考えない者は、しばしば、陥(おと)

し穴に放ってしまうことになる。  フィレンツェ史  P260

 

われわれが常に心しておかねばならないことは、どうすればより

実害が少なくてすむか、ということである。

そして、この取りうる方策のうち、より害の少ない方策を選んで

実行すべきなのだ。

なぜなら、この世の中に、完全無克なことなど、一つとしてあり

えないからである。   政略論  P265 

 

天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知すること

である。   手紙  P265 

3.最後に感想

 マキアヴェッリについては、私はいたるところ取り上げていますし、

このブログでも(まだ半年ほどしか書いていませんが)いくつか言及

しています。

私の年齢で、これから180度考え方が、変わるという可能性は低いで

しょう。

私が、ちゃんとした思考ができないほど衰えたら別ですが、そうで

ない限り、マキアヴェッリとは、つきあっていくと思います。

 

八田與一(よいち)台湾でおそらく一番著名な日本人 末尾に私見を少し

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台湾台南の烏山頭ダムのイメージ

1.海外の方で有名な日本人

新型コロナウイルスが・・・」と枕詞みたいな昨今です。

それこそグローバルに、この話題の報道があります。

「ヒトの目を気にする」「ヒトの評価が気になる」というのは

誰しもでしょうが、(出身地の地元は別として)日本より、海外で著名

な人物というのは、割とよくあると思います。

・「上杉鷹山」は米国大統領のジョンケネディが、「尊敬する日本

人」として引用してから、国内で一層著名になりました。

NHKドラマになった「おしん」は、一番番著名な日本人?

・私は実例をひけませんが、映画やアニメの主人公、原作者もそう

では?

・悲しい話ですが、第二次世界大戦後、シベリア抑留され中央アジア

強制移住させさられ、土木義実の成果で地元貢献した「名もなき日

本人」も、たくさんいたのでしょう。

(いくつか読んだのですが出典を忘れました)

2.八田與一(よいち)とは?

さて、「私の台湾好き」も、各所で触れていますが、

今日は、八田與一(よいち)について、少し触れます。

要約すると

八田與一、土木技術者で、1920年に着工し10年の歳月をかけ

て1930年烏山頭ダムを完成させる。

・農業灌漑を主目的として建設され、地域はダム完成後に台湾

最大穀倉地帯になる。

・このダムを建てた八田功績に関して、台湾の人々は非常に感謝

ている。

当時東洋一!台湾で今でも尊敬される八田與一が建てた「烏山頭ダム」 | 台湾 | LINEトラベルjp 旅行ガイド

(上記を参考に要約)

 3. 生い立ちから台湾での仕事

1886年明治19年)に石川県河北郡花園村(現在は金沢市今町)

に生まれる。

・1910年(明治43年)に東京帝国大学工学部土木科を卒業後、

台湾総督府内務局土木課の技手として就職した。

 ・当初は衛生事業に従事し嘉義市台南市高雄市など、各都市

上下水道の整備を担当した。

・その後、発電・灌漑事業の部門に移った。

・1910年総督府土木部工務課で浜野弥四郎に仕えることになった

台南水道の事業で実地調査を共にするうちに八田は浜野から多く

のことを学び、後述の嘉南大圳や烏山頭ダムにその経験が活かさ

れることになった。

 ・八田は28歳で、当時着工中であった桃園大圳の水利工事を一任

されたがこれを成功させ、高い評価を受けた。

・当時の台湾は、まさに上述のインフラストラクチャー建設のま

っただ中で水利技術者には大いに腕の振るい甲斐のある舞台であ

った。

 4.嘉南大圳

・1918年(大正7年)、八田は台湾南部の嘉南平野の調査を行った。

・嘉南平野は台湾の中では広い面積を持っていたが、灌漑設備が

不十分であるためにこの地域にある15万ヘクタールほどある田畑は

常に旱魃の危険にさらされていた。

・八田は民政長官下村海南の一任の下、官田渓の水をせき止め、

さらに隧道を建設して曽文渓から水を引き込んでダムを建設する

計画を上司に提出し、さらに精査したうえで国会に提出され、認め

られた。

・事業は受益者が「官田渓埤圳組合(のち嘉南大圳組合)」を結成

して施行し、半額を国費で賄うこととなった。

・このため八田は国家公務員の立場を進んで捨て、この組合付き技師

となり、1920年大正9年)から1930年(昭和5年)まで、完成に至

るまで工事を指揮した。

・そして総工費5,400万円を要した工事は、満水面積1000ha、有効貯

水量1億5,000万m3の大貯水池・烏山頭ダムとして完成し、また水路

も嘉南平野一帯に16,000kmにわたって細かくはりめぐらされた。

・この水利設備全体が嘉南大圳(かなんたいしゅう)と呼ばれて

いる。

・ダム建設に際して作業員の福利厚生を充実させるため宿舎・学校・

病院なども建設した。

・爆発事故の翌年には関東大震災が起こり予算削減の為に作業員を

解雇しなければならなかった。

・八田は、有能な者はすぐに再就職できるであろうと考え、

有能な者から解雇する一方で再就職先の世話もした。

 5. 台湾総督府復帰から殉職

・1939年(昭和14年)、八田は台湾総督府に復帰し、勅任技師

として台湾の産業計画の策定などに従事した。

また対岸の福建省主席の陳儀の招聘を受け、開発について諮問を

受けるなどしている。 

・太平洋戦争中の1942年(昭和17年)5月、陸軍の命令によって

客船大洋丸に乗船した八田は、フィリピンの綿作灌漑調査のため

広島県宇品港で乗船、出港したがその途中、アメリカ海軍の潜水

艦の雷撃で撃沈され、八田も巻き込まれて死亡した。

 6.私の感想

も持ち論、今日の小ブログの趣旨は、台湾の教科書にも載る八田與一

の紹介ですが、個人ブログたるゆえんは、

私の感想も入れないと・・・・・

 「八田は、有能な者はすぐに再就職できるであろうと考え、

有能な者から解雇する一方で再就職先の世話もした。」

の部分です。

当然、組織を効率的に維持する立場からすれば

「より無能なものから解雇し、有能なものを残す」が正解です。

ほとんど100%の経営者が「経営責任」としてそう判断するでしょ

うし、おそらくビジネススクールでもそう教えるのでは?

 しかし、一歩進んで考えると、経営と同じくらい、それ以上に

「作業員の行く末を深く考えている」として、いい話として、

市井の人々の琴線に触れるのかもしれません。

そもそも、労働を「罪」と考えるキリスト教世界と違い・・、なんて

論陣を張る元気は、このブログではありません。

 お前は、どうなのか、と聞かれても明確には、書けません。

ただ想像するには、想定される批判も十分考慮した上の、苦渋の決断で

あっただろうと、いうことです。

八田與一の業績、ほかの記事に譲るとして、この末尾の部分、彼の苦悩

を書きたかったためです。 

 

「敗者の歴史」の人間版、左遷で時間ができたので古典を残せた、という話

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左遷や追放されたイメージ
1.今回言いたいことは、以下の通り
・今に残る古典名著は、ある程度時間がとれないと書けない
 もが多いと感じる
著者に不遇の時代があり、時間があるから書けたと思う。
・いつも現役最前線、実務で超多忙なら、書けなかったはず。
一歩引いた見方・考え方、冷静さ、大局観があったからでは
 ないか
2.追放・左遷され、時間ができた事例
(1)ダンテ・アリギエーリ

ダンテ・アリギエーリ(イタリア語:Dante Alighieri、1265年 - 1321年9月14日)は、イタリア都市国家フィレンツェ

出身の詩人、哲学者、政治家。

 代表作は古代ローマの詩人ウェルギリウスと共に地獄

(Inferno)、煉獄(Purgatorio)、天国(Paradiso)を旅

するテルツァ・リーマで構成される叙事詩神曲(La

Divina Commedia)』

ネサンス文化の先駆者と位置付けられている。

 ということですが、今日言いたいのは下記です。

政争に敗れてフィレンツェを追放されたダンテは、北イタ

リアの各都市を流浪し、政局の転変を画していた。

その中で方針の違いから白党の同志とも袂を分かち、

「一人一党」を掲げる。

この体験はダンテにとって非常に辛いものであり、

神曲』中にも、「他人のパンのいかに苦いかを知るだろ

う」、と予言の形をとって記されている。

ダンテの執筆活動はこの時から本格的に始まり、『神曲

や『饗宴』、『俗語論』、『帝政論』などを著していっ

た。 

 つまり、追放というつらい立場ですが、結果として第一線を退き、

時間があったから、「神曲」が書けた、ということでしょう。

なお、私は、簡単な要約を読んだくらいで「神曲」の原典には

当たっていません。悪しからず。

 (2)少し時代が下ってニッコロ・マキャヴェッリ

 君主論は、「就職論文である」とは別ブログで紹介しています。

マキァヴェッリ 『君主論』をよむ(読書感想文もどき) 『君主論』は就職活動論文 - 中高年michiのサバイバル日記

ニッコロ・マキャヴェッリ(イタリア語: Niccolò achiavelli,

1469年5月3日 - 1527年6月21日)は、イタリア、ルネサン

ス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。

 著書に『君主論』、『ティトゥス・リウィウスの最初の

十巻についての論考(ディスコルシ)』、『戦術論』が

ある。

理想主義的な思想の強いルネサンス期に、政治は宗教・道

徳から切り離して考えるべきであるという現実主義的な政

治理論を創始した。

   ということですが、ダンテ同様、今日言いたいのは下記です。
 43歳にして隠遁生活に入らざるをえなかったマキャヴェッ
リは、昼間は農業に勤しんだり、近くの庶民と交わり賭け
事等をして時を過ごし、日が落ちると読書、執筆三昧の
日々を送った。

当時の生活ぶりは、1513年12月10日に、ローマ法王庁フィレンツェ

政府より大使として赴任していた、親友のフランチェス

コ・ヴェットーリへの一通の手紙から窺える。

イタリア文学史上、最も有名で美しい手紙の一つとされて

いるが、になると官服に着替えて『君主論』と題した小

論文をまとめていることを述べている。

執筆活動は政治・歴史・軍事から劇作までに及び、喜劇は

大好評を博して著作家としての名声を得た。

  つまり、彼も隠遁生活を余儀なくされ、時間がある中、就職活動の

一環で、君主論を書いた、ということです。 

3.不遇な例は、ヤマホドあります。

今、私が読む古典の著者で、不遇な最期を遂げた例は、たくさんと

いうか、本人が満足する順風漫歩な一生を終え、同時代人から理解

され、惜しまれるという方が、むしろ少数派では?

例えば

司馬遷宮刑の屈辱に耐えて、「史記」を完成させたことは

 誰しも知る話だし

韓非子を書いた韓非は、才能を妬んだ李斯に讒言されて投獄され、

 最後は自殺で生涯を終えたし、

・「戦史」を書いたトゥキディデスは将軍としてベロボンネソス

 戦争に参加したが、失敗、追放され執筆時間ができた

・せん淵の盟をリードした寇準は、讒言により宰相を追われ、雷州
 司戸参軍に左遷され、任地で63歳で没した、とあります。
たまたま4つあげましたが、「残念、残根」と感じた例も多々ある
でしょう。
4. 最後に自分に引き直して 
 もちろん紹介した彼らと、自分の力量を比較しても全く仕方ない
わけですが、私は、何度も浪人生活があり、実務を離れた時間があ
りました。
自分が不遇の時代だ、と感じたこと多々。
これを、僭越にも彼らと共通点だと勝手に思い込みます。
そこで、わが身に引き直して考えて
 これからも自分に、やれることやるだけ。
 そもそも、人生の最終結果は、生きている自分には解らない
 のだからら。
 と、変に自分にいい聞かせて、自分を鼓舞しているところです。
 
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新型コロナと世界経済 3月15日日経記事から考えた「重要課題」

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株価は経済指標に留まらない大きな影響

1.世界経済への影響についての新聞記事

また、新型コロナについて書くの?と言われそうですが

日本経済新聞記事で、お気に入りがあったので要約紹介と私見

書きます。

大方の人は、自分に理解できることや、気に入っている意見しか受入

れなくて、また情報を自分に都合よく解釈するもの、かと思います。

私もそうです。

素直に、ヒトの話をまず聞くのは、本当に難しい。

私が取り上げているのんだから、私が気に入っているものですが

読者がどう捉えるかは、もちろん読者の今まで培ってきた感性に

よります。

では早速始めます。(一部要約や割愛あり。太字等は私の主観)

2.新聞記事の内容紹介

題名はグルーバル網の進化不可欠 欧米断絶、広がる波紋

(2020/3/15 0:30の日経新聞から) 

新型コロナウイルスの大流行が貿易の拡大をエンジンとして

成長してきた世界経済の試練となっている。

世界銀行などによると国内総生産GDPに対する貿易の比率

世界全体として1990年ごろに30%台だった

2010年代には60%前後に高まった。

足元は米中の貿易戦争で頭打ちの動きがみられるが、今回の感染

拡大に伴うサプライチェーン(供給網)の寸断は貿易の比率を大

きく下振れさせかねない。

・企業活動の凍結は広範囲に目立ってきた。

日産自動車は13日、欧州での感染拡大の影響でスペイン・バルセ

ロナの工場の操業を停止した。

工作機械大手DMG森精機グループも3月に入ってドイツの拠点の

一時閉鎖に追い込まれた。

 ・米国が欧州大陸からの外国人の入国制限を始めたことを受け、

デルタ航空は欧州大陸向け全便を運休する。

エドバスティア最高経営責任者(CEO)は「最大の能力削減

だ」と指摘する。

独ルフトハンザ航空も米国便のうち9割以上を運休させる。

国際民間航空機関(ICAO)によると、18年の国際旅客数(定期運

航)は17億人超となり、過去10年で約2倍に膨らんだ。

しかし今回の新型コロナの影響で下振れに転じるのは確実だ。

ヒトやモノの動きを映すジェット燃料の国際価格は13日で1バレ

あたり42.69ドルと、すでにリーマン危機後の底値を下回ってい

る。

・旅客機には貨物を載せる役割もある。

運輸省の直近の19年6月のデータによると米欧間の空輸貨物は

28万トン。

うち6割は旅客機が運んだ。

精密部品や医療品など高付加価値の製品が多いのも特徴だ。

国電子回路協会の調査では2月中旬時点で新型コロナによる部品

調達の遅れは平均3週間程度。

旅客便が滞ればさらに遅れる恐れがある。

・感染のピークを過ぎたとされる中国では二次的な供給網の目詰

まりの恐れが出ている。

フォード・モーターは2月中旬、重慶工場を地元政府の協力も得

て再稼働した。

だが部品不足で「数日稼働すると数日休業する」(従業員)との

不安定な日々が続く。稼働率はなお3割未満に低迷する。

・中国の生産動向を映す発電大手6社の石炭消費量は3月上旬も例

の4分の3ほど。

重症急性呼吸器症候群SARSが流行した02~03年と比べても戻

りのペースは遅い。

国際通貨基金IMF)元副専務理事の朱民氏は「当時との違いは中

国が世界の供給網に組みこまれたことだ」と指摘し、中国として

も国内だけで経済活動は完結できないとの認識に変わっている。

一方で、世界の企業の経営者には拠点の見直しが課題になりそ

うだ。

・新型コロナの感染拡大は、グローバル化の進んだ世界経済のも

ろさを露呈した。

しかし世界が経済成長を続けていくには、グローバル規模の自由

で効率的な経済環境が欠かせない。

後戻りはできず、深化したネットワークをどう再構築していくか

が重要課題となる。

各国の指導者にもグローバルサプライチェーンを壊さないような

性的な対応が求められる。

週明けに予定する緊急のテレビ会議での主要7カ国(G7)首脳らの

話し合いも混乱の早期収拾に向けた機会になる。

 3.感想と私見

(1)まずは、記事感想
お気に入りの第一は、すっきりした数字とコメント
このブログでも何度か指摘していますが 、情報発信者の多くに、数字と
コトバの説明が合わないとか、意図的とも思える数字解釈や、論理がつな
がらない勝手解釈が、いつも気になっています。
非常にシンプルですが

・世銀によると国内総生産GDPに対する貿易の比率

、世界全体として1990年ごろに30%台、2010年代には60%前後

等は、私にはしっくり来ます。

(2)記事の言いたいことは、
世界の経済成長継続に、グローバル規模の自由で効率的な経済環
境が不可欠。
後戻りはできず、深化したネットワークをどう再構築していくか

が重要課題。

(3)私見

では、どう構築していくかを、記者に求めても、無理、というもの。

とにかく、時間がかかりそう。

「感染のピークを過ぎたとされる中国では二次的な供給網の目詰

まりの恐れが出ている。」とのコメントは、

一部に絡みもある経済人として、肌感覚で恐怖心があります。

改めて「時間がかかりそう。」と感じます。

なお、別の情報を見ていて「なるほど」と思い、私見も交えると

牧畜・農耕を始めたホモ・サピエンス感染症感染症の付き合いの

歴史は長く、天然痘のように人間側の「撲滅・完全勝利」の事例は、

あまり多くなく、風邪」同様、流行をコントロールしながら、末永

く付き合っていくようになると思います。

今日の紹介は、改めて「サピエンス全史」です。


 


 

今週のお題「ホワイトデー」 話をずらして「贈与論」の紹介 

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贈り物の、お返しの文化

今週のお題「ホワイトデー」です。

1.「ずらし」の手法

面従腹背なんて物騒なことは言いませんが、「ずらず」というのは、

どの世界でもよく使う手です。

牧歌的というか古色蒼然たる昔の大学試験の話。

「甲について述べよ」との出題に対し「甲はさておき乙は・・・・」

として、乙についての持論を滔々と述べる、それで乙の話がそれな

りにおもしいと、単位取得! いかにも20世紀というか、1960から

1970年代の雰囲気ですね。

1960年代は、まだ「大学生」の比率を少なく、それなりの世間評価

があったのでは?

 2.ホワイトデーは日本独特?

さて、お題の「ホワイトデー」ですが

ちょっと、検索してみると、想定通りどおりでした。

ホワイトデーの習慣は日本で生まれ、中国大陸や台湾、韓国など

 東アジアの一部でも見られる。

 欧米やオセアニア、アフリカなどその他の世界ではこういった

 習慣は見られない。

・(始まりについて不二家説)

  日本でバレンタインデーが定着するに従って、菓子業界でそれ

 にお返しをする日を作ってはどうかという案が出された。

 これを受けた菓子業界では、昭和40年代に入って以降、個々に独自

 の日を定め、ビスケットやマシュマロ、キャンディ等を「お返しの

 贈り物」として宣伝販売するようになった

  「お返しの文化」と、私も認めますが、どの程度日本的なのかは

思案中です。

ネット検索してみると

・初手の贈り物は「気持ち」ですが、お返しが「すべきもの」という

 日本の文化は独特だと思う。

・物を「選んで贈ってもらえること」が嬉しい、といった趣旨が

あり、割と私に近い考え。

なお、下記添付は、今回ホワイトデーに私が使ったもの、です。

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今年使ったお返し

3.「贈与論」を思い出しました

ホワイトデーが日本独特、ということへの考察とずれますが、

いまや古典といえるの「贈与論」を思い出しました。

私が読んだのは、もちろん日本語論で

贈与論     マルセル・モース/著  森山工/訳  

出版者    岩波書店 2014.7  です

 内容としては、

 贈与や交換は、社会の中でどのような意味を担っているのか。

古今東西の贈与体系を比較し、その全体的社会的性格の考察です。

wikipediaから「贈与の義務」部分を抜粋すると

贈与論 - Wikipedia

 物を与え、返すのは、互いに敬意を与え合うためである。

人は自分自身や自分の財を他者に負っており、何かを与

るのは自分自身を与えることにつながる。

贈与は双方的なつながりを作って他者を受け入れること

つながり、集団間の戦いを防ぐ。

また、集団間の贈与で獲得した財は構成員に再配分され

る。

このため、贈り物は与えなくてはならず、受け取らなく

はならず、しかも受け取ると危険なものになり得る。

モースは贈与を構成する3つの義務として、

与える義務、受け取る義務、返礼の義務をあげた。

 与える義務

与えるのを拒んだり、招待をしないのは、戦いを宣す

るに等しい。

ヨーロッパの伝承にもあるように、招待を忘れると致命

的な結果となる。

受け取る義務

贈り物を受け取らなかったり、結婚によって連盟関係を

取り結ばない、といったことはできない。

受け取りを拒むのは、返礼を恐れているのを表明すること

にもつながる。

返礼の義務

この義務を果たさないと、権威や社会的な地位を失う。

権威や社会的地位が財や富に直結する社会では、返礼が

激しい競争をもたらす場合がある。

 贈与論から、貨幣論、不均衡動学理論に繋がるのかもしれません

が今回はその議論はカットです。

 今日のブログは短め、 終わります。

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韓非子から抜粋 その1 人間は変わらないから、生き残り古典となる書籍がある

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君主と宰相のイメージ

 1.韓非子とはなに?

言わずと知れた「韓非子」と冒頭書こうとしたのですが、僭越です

ね。

これだけ情報があふれ、考え方が多様化した現代で、「この古典は共

通認識だ」と自分勝手に、思う方が変ですよね。

まずはwikipedia使って、「韓非子とは?」から

韓非子』(かんぴし)は、中国戦国時代の法家である韓

非の著書。

内容は春秋戦国時代の思想・社会の集大成と分析とも言え

るものである。

 後世では、蜀漢の丞相の諸葛亮が幼帝劉禅の教材として韓

非子を献上している。

 次に、思想の背景の部分から、抜粋すると

韓非の生まれた戦国末期は、戦国七雄と呼ばれる七ヶ国に

中国は集約され、春秋五覇の時代を経て徐々に統一の機運

超大国出現の兆しが生まれ始めた時期であった。

統一への動きとは無論、諸国の存亡を賭けた戦いの連続で

あり、国家同士の総力戦でもあった。

そして過酷な生存競争は、人材登用の活発化にも繋がって

いった。

それまで君主の血統に連なる公子や貴族などによって運営

されていた国政も、階級が下の士大夫や素性の知れない遊

説の徒などに、君主の権限が委譲されることも珍しいこと

では無くなっていた。

君主に権力を集中し、それを迅速に適材に委ねる必要があ

ったのである。

 2.私の前口上

 手元にあるのは、岩波文庫版です。

末尾に紹介している本です。

今回その3冊目、4冊目から、過去に私が、折り目をつけていた部分

から抜粋。

時間軸で、紹介している訳でないので、読んだ時の私気分を反映して

いることは否めません。

なお、「その1」と書いたのは、今後も折に触れて、紹介しようか

との趣旨からです。

韓非子」は古いとか、説教臭い、とか思えません。

「人間の変わらない部分」を鋭く突いていて、今日まで、生きながら

えてきた書籍かと思います。

  .ピッアップ

管仲は答えた。「殿には側近の願いごとをお聞きいれなさるな。

当の人物の能力によって俸給を授け、その功績をよく調べて官職を

与えるようにされたら、進んで官職を求めるような者はいなく

なります。 殿には何の心配もないことでしょう」

外儲説左下 第33 第3冊 P116

 

(君主の力か、臣下の貢献かの議論)

〇およそ五人の覇者が天下にその巧名をあげられたのは、必ず君主も臣下も

ともに力をつくしたからである。

だから、叔向と師廣との答えは、どちらも偏った意見である、というのだ。

難二 第37 第3冊 P298

 

〇昔の人が財貨を軽んじたのは、人徳があったからではない。

財貨がたくさんあったからである。

いまに人が争って奪い合うのは、心が卑しいからではない。

財貨が少ないからである。

天子の位をやすやすと退いたのは、人格が高潔だからではない。

天子の権勢がわずかであったからである。

役人の地位を求めてどこまでも争い合うのは、人格が下劣だから

ではない。

役人の権力が大きいからである。

だから、聖人は財貨の多少を調べ、権勢の大小を考えて、その政治

を行うのである。

そこで罪が軽くてもそれを敬愛であるとは言えず、刑が厳しくても

それが残酷であるとは言えない。

世間の動向にあわせて行ったものだからである。

だから、事は時代に従って変わり、対策はその事に合わせて立てる

べきである。

五と 第49 第4冊 P172

 

〇国が平和な時は儒者や任侠者を養い、国難がやってくると戦士に

頼る。

養っていた者は頼りにならず、頼る者は養っていた者ではない。

これこそ国が混乱するもとである。  (中略)

正しいとしながらそれを官庁で実施することもなく、間違って

いると考えながらその端緒を絶つことをしない。

正しいと考えながら実際には採用せず、間違っていると考えなが

ら断ち切ることもしないのは、国が混乱して滅亡する道である。

顕学 第50 第4冊 P221

 

〇知者はその謀りごとの善し悪しを愚人によって決定され、賢人は

その行動の善し悪しを小人物によって論評される。

してみると、賢才知能の士はいつになったら採用されるのであろう。

こうして君主の目はふさがれたままなのである。

人主 第52 第4冊 P259

 4.私から一言

意をくもうすると、長い引用になりそう、さりとて私が変に要約するのも

はばかられる、という訳で、今回なかなかうまくいきません。

韓非子を読んでいて、「なるほどね」、と思ったり「当たり前だ」と思っ

たり、また新規性も面白みも書ける、と生意気に思ったりしますが、

古臭さは、感じません。

どこにでも、いるの時代にも、あるような、話。

いつも、私がこのブログで書くように、「人間は、変わらない部分が多い」

から、古臭さを感じないのでしょう。

それが、古典が生き残っているゆえん、でしょう。

  近いうちに「その2」をアップしたいです。

 
 

WHOパンデミック宣言 過去比較で私見は楽観 怖いのは経済的死

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WHOがパンデミック宣言

1.パンデミックとは

2020年3月11日 WHOがパンデミック宣言を出しました。

2009年の新型インフルエンザ中高依頼11年ぶりだそうです。

新型コロナの件は、私個人の生活にも影響を与える点が大きく、

本来のこのブログの趣旨に反して、また私見を述べます。

まず、いろんな定義があるようですが、

パンデミックとは何らかの疾患、特に感染症が、ある国の中の

そこしこや、国境を越えて世界中で流行することである

とします。
2.歴史を振り返る
また、wikipediaからの引用、要約になりますが
感染症によるパンデミックは古代より見られ、大きな被害を与
 えてきた。

・14世紀には黒死病ペスト)がヨーロッパで大流行した。

 このときの流行 では当時のヨーロッパ総人口の約3分の1にあ

 たる、およそ2500万人から 3000万人もの死者を出したとされる

・16世紀にはコロンブス交換によってもたらされた天然痘が南北アメ

 リカ大陸で猛威をふるい、天然痘の免を持たなかった先住民の人口

 は約10分の1にまで減少した。

 またこの天然痘の大流行はアステカ帝国インカ帝国といった現地

 の政治権力に大打撃を与え、両国の滅亡とスペインの新大陸制覇の

 一因となった

・19世紀から20世紀にかけてコレラが、地域を変えつつ7回の大流行

  を起こした。

・1918年から1919年にかけてスペインかぜ(インフルエンザ)が全

  世界で流行し、死亡者は約5000万人から1億人にものぼった。

 この時期は第一次世界大戦の末期にあたり、総力戦体制のもと全

 世界的に軍隊や労働者の移動が活発となったことが被害を大きなもの

 とした。

 流行は鉄道や河川といった輸送ルートを通って海岸部の港湾都市

 から奥地へと広がっていった。

・1980年代以降、後天性免疫不全症候群エイズ)の患者が全世界で

 増大 したが、なかでももっとも感染の激しかったブラックアフ

 リカでは全人口の30%以上が感染した国家まで存在し、平均寿命の

 大幅な減少がいくつかの国家で見られた

・2002年11月から2003年8月にはSARSが世界各地で流行。

 香港を中心に8,096人が感染し、37ヶ国で774人が死亡した。

・なお「パンデミック宣言」がなされたものの実際の被害が小さくて済

   んだものとしては、2009年新型インフルエンザの世界的流行がある。

また、1997年からの高病原性トリインフルエンザや前述のSARSについ

てはパンデミックには至らなかったものの、その一歩手前の状態になった。

3.私が思うこと

WHOのコメント詳細や、その後の各国対応等一連の報道は、私にで
きることではないので一任です。
ブログたるゆえんで、私が思うことを以下に書きます。
(1)「グローバル化」や、「一体化」という言葉は、直近だけで
なく歴史上もよく使われた言葉ですが、21世紀も20年たった現在、
「実態」をよく表していると思います。
交通機関の発達で移動規模は、過去比較にならないくらいですし
「一体一路」に見られる中国人の経済的世界進出とそれにまつわる
影響は日本でもお解りの通り。
具体的には、労働中心の居住による中国人の長期滞在は世界中に
ありますし、経済力を背景とした、観光等による人の移動も周知の
とおりです。
 これはかつて、「日本の企業戦士」が、世界に向かった頃とは規模
が違います。
今の中国は日本の 10倍以上の人口です。
 (2)経済のソフト化、サービス化は、これも周知の通りです。
 そういった中、相次ぐイベント中止で仕事が「蒸発」しています。
「自動産業は経済のすそ野が広い」とよく言いますが、イベント等
サービス産業も、とてもすそ野が広い、つまり経済波及効果は大き
そうです。
世界的な見本市中止ニュースも事欠きません。
私の持論となりつつありますが、冷静に数字を見て、罹患者、死亡者
を比較すると過去のパンデミックよりはるかにまだ軽い、と思います。
しかし上記イベント対応に見られるように経済的死に直面する人々は、
過去になくはるかに多い。
もともと経済的困窮にあり、弱っている個人、企業、財務基盤の脆弱
な個人、企業には一層重い試練です。
なんとか生き延びたい、私個人もそう思います。
(3)なお、国の経済対策なるものも、資金源や公平公正等の点で
限界が見えます。
以下一般論ですが、いろんな曲面に該当すると思います。
「経済的支援」と言っても原資は税金だし、この対応に使えるお金は
限定的です。
そもそも税金を使う人は、古今東西お金を稼ぎ税金払ってきた人と
違うので、うまく使えるとは思えません。
 いつもに増して、今日は暗い結論ですが、
生き延びるために、必死に対応する、私にも、これしかありません。