中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

フェルドマン教授の未来型日本経済最新講義(読書感想文もどき)デジタル化は加速

フェルドマン教授の未来型日本経済最新講義

ロバート・フェルドマン/著

出版者    文藝春秋 2020.8

1.概要

フェルドマンさんは、ワールド・ビジネス・サテライトを見ていて、

少し知っていました。彼のコメントは、基本的に私にとり違和感は

ありませんでした。

本書は日本経済について5年ぶりのコメントとのこと。

確かに5年たつと世界は変わるし、特にのこの5年は・・・

AI、技術革新、働き方改革、地方再生等を話題とします。

彼は、モルガン・スタンレーMUFG証券シニアアドバイザーで、東京

理科大学大学院の教授も務めるそうです。

本書は、ポストコロナの経済を分析&解説し、いまここにあるビジ

ネスチャンスを伝える趣旨です。 

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デジタル化の面では、日本経済も必然的に右肩上がり

2.本書の引用紹介と私のコメント

私がこのブログで取り上げている書籍になかでは、超難解というもの

ではなく、今回私のコメントを挟みながら紹介します

 気候変動を抑制するための支出は、極めてリターンの高い投資です。

世界各国は日本より積極的に動いています。  P30

(michi コメント)

私は地球温暖化かと人間の活動要因について、今一つ確信が持てて

いません。

二酸化炭素排出量が問題であれば、日本でも欧州でもなく、米国と

中国でしょう。「世界各国は日本より積極的に動いています。」と

いうならそれは結構。

「極めてリターンの高い投資」であるなら、米国や中国の企業が

参入しているはずで、私は「お手並み拝見」かと思っています。

 

大きな企業は解体してしまえ、という過激な意見もあります。

2020年のアメリカ第k統領予備選挙で、民主党の左派候補がこの

先を提案していました。私はこの方法も支持できません。規模の

経済がなくなってコストが上がれば、やはり消費者のためになら

ないからです。  P81

(michi コメント)

これも難しい問題です。著者が後述しているように「新規参入を

促す。ネットワーク接続の接続の権利を誰に対しても保証する」

ということが必要だと同感。

しかし寡占化・独占化によるメリット、魅力には抗しがたい面を

感じます。

歴史を振り返ると、鉄鋼や石油、通信等で独占を解体してきた

経緯が米国にはあります。結果として成功だったと私は思料します。

メディアやフラットフォーマーの「権力独占」も解体も視野に入れ

検討するには、遅くはない時期かと思います。

 

全体的に、日本企業の取締役会は透明になって来ているといえるで

しょう。「今までの我々のやり方が正しいんだ」とこだわることな

く、状況に応じて改革できるところは、日本の大きな強みです。 

P117

 

生産性を高くする8つの能力

  ①分析力

  ②プレゼン力

  ③人間力

  ④言語力

  ⑤数字力

  ⑥自己管理力

  ⑦商売力

  (顧客にニーズを知りどこのビジネスチャンスがあるかを

   察知して把握する力)

  ⑧結合力 

   (①~⑦のちかっを組み合わせ、さまざまな種類に情報の

    なかから、見えない関係を密手出す結合力)

フェルドマン氏によると

日本時に劣るのは②プレゼン力、④言語力、⑦商売力であり

解決処方箋は、「海外留学を必須」にすること。  P133

 

私の提案は、2041年までに基準退職年齢を76歳にすることです。

3年ごとに2歳ずつ、段階的に引き上げていけば年金勘定が合いま

す。 (中略)

76歳と聞くと急進的に思えますが。実はかなり穏やかです。

そこまでやらなければ、この先年金と医療費は危ないのです。 P181

 

平均寿命は1950年から2025年まで約25年延びているのに、定年は10歳

しか伸びていません。65歳で退職して90歳まで生きれば、25年もあり

ます。 P184

 

世界経済が向かう先として、いくつか提言をしています。

①企業はレジリエンシーが問われる。

  大きな困難に直面した時に影響の及ぶ範囲をできるだけ抑え、

  通常通りに製品やサービスを提供する能力、のこと。

②インフレはやってくるか

  現時点ではインフレ気味になっていく予測

③脱化石燃料が加速する

④労働と教育のインセンティブが高まる

⑤なんでもデジタルの世界になる。

  変化をもたらすというより、加速させるという言う方が正しい。

 

3.最後にまた感想

今回、本文引用の後に、二つほど個別論点にコメントを入れています

が、全体としてひとこと。

まず、実務家として地に足のついた分析・提言は、私は好感が持てま

す。高齢化対応にしても、デジタル化対応にしても、起りうる近未来

ではなく、すでに起こっている現実が「加速」しつつあることを、再

認識したものです。

 

効率より自由 権力からの自由 権力は絶対的に腐敗するものですね。

1.自由であること

私の考え方の基本にあるのは自由であることです。

普遍的、絶対的といった価値観や考え方には、どちらかというと

組しない方向です。

人間は、決して崇高なものでなく、いい加減で、利己的なもの、

能力差はちょびちょび、成功・失敗と「本人が主観的に感じる」

結果は「たまたま」といった偶然性に左右される点が大きい、と

いった基本観です。

これらを担保するものとして、個人の自由な発想や、行動が認め

られていてこれから導かれるのが、全体主義には反対、という意見

です。

また、一神教的世界観は、なじまない。

つまり絶対唯一の神が世界を作り、支配していて、最後の審判があ

るといった考え方には、どうもしっくりこないのです。

 

2.米国大統領選挙報道

少し具体的論点で、話を展開しましょう。

 私は、米国大統領選挙には、とても関心があり、各論点についても

私見があります。 

本日は、その事ではなく、報道規制の話。

「パブリッシャ―」が自分の意見を披露し、前提として法の支配を

受けるのは、よく解る。一方「プラットフォーマー」は、自分の

見解はなくて「場を提供する」という役割であり、それゆえ法の

支配を、免れるという理屈なら解ります。

しかし、今回、ツイッターはじめ、いわいる「プラットフォーマー

が、記事を「検閲」したとの報道。

麻薬や犯罪関係の「倫理的」コンセンサスに基づく規制はわかりま

す。しかし政治信条は別でしょう。

やはり、「プラットフォーマー」が「権力」として、力を持ちすぎた

のでしょうか。

アクトン卿の例の格言

「権力は腐敗の傾向がある。 絶対的権力は絶対的に腐敗する」の格言

を持ち出そうとは、思いませんが、さもありなん。

ずれるかもしれませんが、私が嫌う、全体主義とか、普遍的に自分が

正しいと強要する、怖さを感じました。

 

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権力からの自由でありたいですね

3.権力の独占は、やはり解体すべき方向?

米国は、もともと、この自由を貴ぶ方向で、経済的にも、いろんな

側面でも自由競争を信奉しますよね。そして自由競争といる前提で、

敗れたものは「仕方がない」し、日本的な「同情」を感じさせる局面

は少ないように感じます。

 過去の歴史を見ても、石油、、鉄鋼、通信(ATTをイメージ)ほか、

独占禁止法を適用してきて、自由競争を促進してきたように思いま

す。これが「建前」であることくらい、私にもわかりますが、その建

前は大事。

価値観ご混在しやすい世界においては特に「建前という目指す理想」

がないと、何も進まない面があると思います。

今やインターネットのプラットフォームが独占状態。

実態は私自身よく知りませんが、企業名でなくサービスっでいうと、

Twitter  Facebook Googleほか、あるでしょう。Tiktokは対中国政策

という別の意味で有名になりましたが。。。。

私見では、「プラットフォーマー」の競争制限に当たる部分を一部

解体すべき方向かと思います。

CNN,ABC,SNBCといった大手メディアは、一応法律のアミが、かか

っています。(フェィクニュースや偏向報道は別の議論です。)

 

4.日本の報道の権力について

 スケールを小さくして、最後にNHKや、日本の民放や、新聞社と

いった報道関係者に少し、お願い。

物事について双方の局面から見る、という基本姿勢を少し示して

ほしい。

「いやならテレビを見なきゃいい、新聞を読まなきゃいい、強制

なんかしていない」というのは、確かにそのとおりです。

しかし現実は、「テレビしか見ない、テレビを信じる」といった

真面目な情報弱者が多いのだから。

インターネット駆使し、書籍も読んで、自分好みの「私見」を作

り上げればいい、というのは、正論でしょうが、現実にはそれが

できない未成年や高齢者、経済的弱者が存在するのは確か。

「収益産業」であることは解るが「国民への情報提供インフラの

一翼を担っている」という自負は、持ってもらいたい、と感じて

います。

イスラームからヨーロッパをみる(読書感想文もどき)二つの価値観はやはり相い入れない。

イスラームからヨーロッパをみる

社会の深層で何が起きているのか

内藤正典/著  

出版者    岩波書店 2020.7

1.概要

新書版で250ページ程度と決して「分厚い」わけではないですが、

読みごたえがあります。

ヨーロッパとイスラームの共生は、なぜうまくいかないのか?

というのが、主題ですが、

主にヨーロッパ舞台に

過去20年間に起きたことを、著者40年のフィールドワークをもとに、

イスラームの視座から解説しています。

女性の被り物論争、シリア戦争と難民、トルコという存在、イスラー

ム世界の混迷と各章だで、詳細な分析です。直近の著作で、2020年

2月くらいまで記載があります。

 

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ムスリム女性の被り物イラストです。

 

2.本文からの引用

イスラームという宗教の本質には、世俗主義というものを受け入れる
余地がない。人間社会のある領域には、神の手が及ばないという「俗
と「聖」を分ける考え方がないのである   (前書き ⅲ)
 
西洋化した、つまりイスラームから離れたエリート層と、イスラーム
の信仰を拠り所に生きていく庶民という一種の階級対立が生まれたの
である。 P26

 

イスラームという宗教の一つの根本的特徴といえるのだがら、『クル
アーン』と預言者ムハンマドの言行 (スンナ、これを集成したものが
ハディース』)に典拠がある規範については、時代の変化に合わせて
変えることができないのである。  P34
 
イスラームが被り物というモノによって象徴されることはない。
したがって、女性たちの被り物をあたかもイスラームの象徴であるか
のように主張し、宗教的なシンボルは公的空間から排除せよと主張
してしまうと、ムスリムとの共生は破綻していく。 P52
 
相変わらず、スカーフやヒジヤーブを被っている女性たちも、いま
だに冷たい視線と罵声を浴びている。法律のうえでは被り物のあいだ
に線を引いたものの、嫌悪の感情には線引きはなされなかった。
つまり、被り物はヨーロッパ社会にとっての「争点」ではなく、ムス
リムを排除しようとする排外主義の道具だてとして利用されてきたの
である。  P54
 
2019年までに、難民は約660万人を超え、
国内難民とを合わせると1320万人以上が住処を失い、追われた。
この悲劇を招いたのは、シリアのアサド政権が反政府勢力との戦い
を一貫して「テロとの戦い」と主張したからである。テロとの戦い
ならば、テロリストを掃討すべきなのだが、シリア政府軍は反政府
勢力が実効支配した地域を丸ごと空と陸から攻撃した。 P68
 
難民危機の原点は、シリアをはじめ中東地域の秩序崩壊にある。
(中略) 
誰がシリアから膨大な数の難民を発生させたか?
最大の責任はバッシヤール・アサド大統領の政権にあることに
疑いの余地はない     P87
 
2013年8月のアサド政権の化学兵器使用
最後はロシア仲介でアサド政権は化学兵器の全廃を約束し、OPWC
の査察受け入れ、欧米諸国はシリア内戦に介入しない姿勢。
結果として、シリアから北の隣国トルコ、西の隣国レバノン南の
隣国ヨルダンに難民が流出し始めたのである。  P90
 
本人がイスラーム主義者であるか、イスラーム主義を嫌い世俗主義
を支持する人であるかを問わず、困っている人を助けないで出ていけ
と主張するのは、あまりに不道徳だという感覚は多数のトルコ人
共有されている。  P124
 
オスマン帝国にとっては、みずからをアジアの帝国と規定する必要は
なかった。第一次大戦での敗戦によってオスマン帝国を解体と滅亡に
追い込んだのは、ヨーロッパ列強だった。解体の過程では「ヨーロッ
パの重病人」と呼ばれたが、誰も「アジアの重病人」とは呼ばれかっ
たのである。  P136
 
それまでの体制が軍の強い影響力のもとで世俗主義を押し付け、体制
イデオロギーへの批判を許さなかったのに対し、エルドアン政権は
「信教の自由」、「表現の自由」を保守的ムスリムの意向に沿う形
で実現したのである。  (中略)
エルドアンの主たる敵は、ことあるごとに政治に回遊した軍部と体制
イデオロギーとしての国家主義世俗主義の守護神たる司法だった。
彼はこの二つの敵の力をそぐ目的から、「リベラル」であることを
内外にアピールしたのである。  P162
 
 簡単に言ってしまえば、カリフがいないと、何がイスラーム的に正し
く、何が間違っているか、スンニー派の人々に向かって号令をかける
人間が存在しないことになる。  P197
 
(2010年アフガニスタンカルザイ大統領、安定の質問に対して)
イスラームとは関係ない。アフガニスタンが平和になれないのは、
欧米諸国がアフガニスタンに『国民国家』(ネーションステイト)
の枠組みを押し付けるからだ」
アメリカの傀儡だと思われていたカルザイ大統領は、意外なことに、
この国の当j地が難しのは、西欧的な国民国家システムを強要された
ことだと見抜いていたのである。 P199
  
過激で邪悪なイスラームの説教師や用同課に洗脳されたに違いないと
いう欧米社会の説明は、極めて皮相なものであった。
ヨーロッパ各国が、安全と認めた穏健なイスラーム組織を利用して、
過激化を防ごうとしても役にたたなかったのは、若者たちの内面に対
する理解が欠けていたからなのである。  P211
 
欧米世界の人も、日本の人も多くが誤解しているが、『クルアーン
には、アッラーは無理なことを求めない、アッラーはできるだけ楽な
ことを求めるという記述が頻繁に出てくる。 P217
 
イスラームとの共存に関する限り、ヨーロッパでは同化主義も多文化
主義も失敗に終わった。 P247
(同化主義の失敗とは)公的空間での信仰実践を制約するという
「同化」を強いたこと P248
 
権利を剥奪できるとしたら、相手を差別主義者にするか、あるいはヨ
ーロッパが共有する民主主義や人権や姿勢といった諸価値を無視する
人間手段だと決めつける以外に方法はない。 P254
 
再覚醒を経験したムスリムは、法体系まで拒絶することは少ないが、
ヨーロッパ社会の諸価値に接近することはできない。」そして自分
たちの優位と正統性を固く信じているヨーロッパ社会は、イスラーム
の諸価値とその法体系に歩み寄ることはないし、理解しようとしない
のである。  P256
  
3.今回感じたこと
このブログでも、イスラームや難民については、何度かコメントして
います。
今回は、「社会の真相で何が起きているか」について、歴史と現在の
状況の相補をよく踏まえ、地に足がついた分析であり、読みごたえ
ありです。
ヨーロッパ社会の価値観とイスラームの価値観は、歩み寄れないだろ
う、という結論は、基本的に同感です。
  〇神は死んだとして人間の自由と民主主義を普遍的価値観
  〇イスラームの価値観、
  〇世界はかくあるべしとの全体主義の価値観、
どれも相容れないでしょう。
この3つの価値観が最終戦争を呼び起こすのを私は好みません。
妥協を繰り返しながら、「取り返しがつかない参事」を避けつつ、
できれば「自由と民主主義」的価値観が相対的に広まってほしい、
すくなくとも生き残ってほしい価値観だ、と私は考えています。
 

天気が良くて、近くを散歩しました。 以前の「歩くこと再論」に加筆あり

1.歩くことについての独断と偏見

先日、20200109に書いた、個人的見解を再度載せます。

基本的に私の考えは変わっていません。

(1)考えが纏まるのは歩いている時、というのは良くあります。

もちろん、大したことは考えていなくて、だからなんだ、という

ご批判は、重々承知です。

「考えが纏まる」、「何かと何かが有機的に結びつく」前提に

歩行は、適度な視覚の刺激の影響があるのでは?

自分で車を運転していたら、集中しないと危険、他の思考に没頭

はできません。当たり前です。

そもそも生物としてのホモ・サピエンスが、現代の交通機関のスピ

ードで動く外の景色を100%鑑賞するのは生理的に無理なのでは?

 もちろん、電車の旅で車窓から、少し外を眺めるのは気分がいいし、

明るいうちに海外の空港に飛行機が下降していく景色には、

いくつか印象に残っているのもあります。

(2)テレビやラジオ、インターネット情報はどうなのでしょうか?

まさに個人差ありでしょうが、私はながらナントカが苦手。

これは、若い時からの生理機能で、治りません。

熟考しようとしている時、テレビ、ラジオ、ネット情報は、自分

の思考に強引に割り込んでくる感じで、ニガテです。

熟考の肝に当たる部分には、外部情報はシャットアウトし、歩いて

いる時に考えが纏まる、というオチです。 

 ③誤解なきよう補足しますが、人との会話、読書、インターネット、

テレビ他の外部情報はヒントになりますが、自分の思考を纏める

ときにはシャットアウトしたい、という意味です。

イヤ、一定の集団の中で、ブラインストーミングしている時こそ

考えが纏まる、という方は、当然いらっしゃるでしょうし、もち

ろん認めます。個人差ありと思います。

 

2.日常の歩き

 (1)移動手段として、私は、家から最寄りの駅まで、歩きます。

片道、20分程度でしょうが。

夜酔っていると、ゆっくり歩くし、携帯をいじったりしますので

自宅につくまで、もっと時間が、がかります。

最近は、米国大統領選挙関連ヒアリングにはまっていて、歩いて

いても「心ここにあらず」で、周り亜hあまり見ていない、でしょう。

ですから、まじめなウォーキングとは、言えないかもしれません。

 (2)②また、いろんな打ち合わせのため移動しますが、ほとんど

歩きと電車利用です。

(最近は、コロナ禍の影響で、外での打ち合わせは、大部分PC上に

代わりました。)

結果として一日一万歩以上となるし、

電車内で立つことで、体幹の筋肉が衰えないのでしょう。

私が、「車社会」の地域にいない分、たいして健康維持の強い

目標もなくても、ある程度の運動量を確保できていると思います。

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東京湾の奥は静か、反対側いに少しのビル群

3.日曜の散歩

(1)関東は昨日24日土曜、本日25日日曜と、天気が良く、近場を散

歩しました。自宅マンションを出て、東京湾東京湾の一番奥、まさ

に内海です)沿いの遊歩道を、歩きました。

ハードワークはもとより、ランニングもスイミングも、ちょっときつ

い。今の私には、やはり、ウォーキングです。

小一時間だったでしょうか。一万歩弱くらい歩いたかと思います。

ゆっくり目に歩いて、最後の買い物をして昼に、帰宅、というパタ

ーンです。

(2)写真は2枚しか乗せていません。

上の写真は、静かな海と、向こう岸の千葉市内?のビル群。

新浦安には砂浜がなくて、写真左手に見える、装歩道路が延々と続き

ます。

ここには映っていませんが、投げ釣りの人もたくさんです。

今の季節、キスは釣れるのでしょうか?

「釣りの思い出」としてこのブログにも、書いていますが子供がまだ

小さかった時の話です。

(3)下の写真は、ちょっとした休憩スポットのようなもの。

地方自治体の中では、浦安市はおカネがある方なのでしょう。

そこそこ、散歩道も整備しています。

 今日の話はここまで、社会問題への勝手分析や、書籍への読書感想文

私見もありません。軽い汗をかいたという話。

この後は、いつもの休日の食事対応です。

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チョットした休憩スポット

 

今週のお題「いも」 サトイモとヤマイモの話もあり 話が飛びます

今週のお題「いも」、とのことです。

本日は、歴史や経済の話は置いといて(とはいえ少し触れます。)

食材としての「いも」の話とします。

1.サツマイモ

このブログの他のところでも触れていますが、私は九州の田舎

の出身。落ち葉を集めて「焼き芋」を実行した経験は、あります。

ただ、何事も技術ですよね。「焼きむら」があって、食感はいま

いちでした。

も一つの、昔の思い出は実姉が「お菓子つくり」が趣味で、「スイ

ートポテト」のご相伴に預かったことが、何度もあります。

さて、現在に話を戻します。

どこが平均値かは、分かりませんが、食材として、サツマイモは、

我が家も使います。味噌汁に入れたり、焼き肉の材料の一つだった

りしますが、最近の料理で割と使うのが「ダッカルビ」です。

「タレ」妻が生協かどこかで御用達、主力は鶏肉とキャベツですが、

サツマイモがアクセントであり、かなり使います。

あげるときは、コロモは付けず、「素揚げ」が基本です。

少し、歴史に触れると、サツマイモといえば、青木昆陽でしょう。

彼の尽力で、関東にもサツマイモが広まったようですね。

 

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サツマイモ焼き芋でなく、サトイモのイラストにしました。

2.サトイモ

里芋はよく使います。サツマイモやジャガイモに比べて価格は、

高いですが、中高年となった今は、一番の好みの「いも」です。

ねっとりの食感が、いいです。

我が家のおでんの定番ですし、味噌汁にもよく使います。

残念ながら、たまに使いえない部分「はずれ」があります。

さて、シンプルかつ贅沢な一品は、「タコと里芋の煮物」です。

煮込みに時間がかかりますが、労を惜しまない価値はあります。

私好みは、出汁が聞いて、割と甘めで、塩分控えめです。

言い訳すると、タコの種類により柔らかさが違いますが、時間を

かけるので、大抵はタコが「とろける」ようになります。

 

3.ジャガイモ

これも定番のイモですね。

我が家も、定番は、肉じゃがとカレーです。

煮崩れしやすい、しにくい種類も、もうマスターしています。

個人的に好きなのは、ポテトサラダで、よく作ります。

ハム、キュウリ、ニンジン、玉ねぎ、茹で卵限定の割とシン

プルなものです。

 また、ビーフステーキ、ポークソテー、ハンバーグステーキ

の付け合わせは、油をからませない小吹芋状態が多いです。

ジャガイモといえば、やはり、歴史を少し。

南米産原産で、ヨーロッパでは、15世紀の終わりにスペイン人が

南米から持ちかえったのが始まり、だそうです。

ジャガイモといえば、やはりアイルランドの飢饉でしょう。

1845年にアイルランドで起こった ジャガイモの不作

による大飢饉。アイルランドはそのために貧困化が進み、

多くの人がアメリカなどに移民として移住したために

急激な人口減少が起こった

このジャガイモ飢饉はアイルランドに100万人以上の

餓死者を出し、人々は生き延びるために先を争ってアメ

リカ、カナダ、オーストラリアなどに移民として移住し

ていった、とあります。

 現在の米国の一部は「ジャガイモが作った」といっていいです

よね。

最後に一言。

フライド・ポテトは、若いうちはとても好きですが、だんだん

油が気になります。加年は、仕方ないです。

 

4.ヤマイモ

 食感で好き嫌いが分かれそうですが、個人的にはトロロイモは、

大好きです。

そばや、うどんのトッピングもそうですが、単純にすりおろして、

醤油とわさびで食べるのが好きです。

昔子供の頃、親についていって、ヤマに行き自然薯を掘ったこと

があります。

とはいえ、子供ですし、実際は役立たずだったでしたが・・・・

 なお、芥川龍之介の「芋粥」の話を知った最初は本ではなく、

歴史の授業で教員が話していたこと。

このいもは、ヤマイモなんでしょうね。

話の内容より、第一感は、「うまそうだな」でした。

 

今日は、まとめも何も、書きません。以上です。

歴史の教訓(読書感想文もどき)孤立化避け、自由主義的な国家秩序維持に資することが日本の役割

歴史の教訓

「失敗の本質」と国家戦略

兼原信克/著  出版者    新潮社 2020.5

1.概要

主張は、極めてノーマルです。

政治と軍事が国家最高レベルで統合されていない限り、日本は同じ

過ちを繰り返すかもしれないと危惧し、

近代日本の来歴を独自の視点で振り返り、これからの国家戦略の

全貌を示しています。

学術的な引用多数の定義の厳密さを競うより、自分なりの言葉で、

分かりやすく、書いています。

私の頭に、まだまだ小坂井敏晶さんの文章がぐるぐる回っていて

「普遍的価値観」とか言われると、「普遍的」とは何かと、少し

構えまずが「自由と民主主義」を主眼に置く主張は、同感です。

波長が合う、というと僭越ですが、ある程度自分の考えに近くない

近現代史を、解説したこの手のモノは、読めません。

結論めくのは

アジアの民主主義国家が欧米の先進民主主義国家と協調し、アジア

自由主義的な国際秩序を創造することが、日本の国益である。

といったところです。

著者は、東大法学部を出て外務省に入省。

「官邸外交」の理論的主柱として知られた元外交官です。

外務省最後は国家安全保障局区次長も兼任、退官して現在は

大学の客員教授岡崎久彦氏を敬愛しているとのこと。

さもありなん、といった著作でした。

  
2.本文の引用から

人は、未来を見るために過去を見るのである。共通の未来があれば、

過去は共有できる。逆もまた真である。未来が変われば過去も変わ

る。歴史は常に生きている。  P18

 

自由や平等や法の支配といった価値観は、名前こそ異なれ、東西

文明を貫く価値観である。それを魁となって証明したのは、非欧州

文明国のアジアから近代化に先駆けた日本であった。  P24

 

朝鮮半島では、欧州植民地に見られるような奴隷制農場経営や奴隷

的使役による鉱山開発が行われていたわけではない。欧米人の植民地

経営のようにモノカルチャープランテーション経営で、伝統的な

社会構造、経済構造を破壊したわけでもない。逆に日本は、台湾や

満州の場合と同様、朝鮮半島でもいきなり重工業化を目指したのである。

このような植民地支配は、世界に類例がない。 P60

 

わずか三十数年に日本統治下で、朝鮮半島の人口は約千三百万人か

ら約二千五百万人に増加している。さらに二百万人が日本に出稼ぎ

に出ており、百万人が満洲に。さらに百万人が華北へ移住していた。

工場の数は数百から六千になりその半分は、朝鮮人自身の経営で

あった。稲作の生産性も二倍になった。P61

 

(michiコメント)

長案が引用したのは、事実に基づき記載に思えたから。特にこの

手の数字はなかなか、お目にかからなかった。私は台湾と朝鮮の

植民地経営に対して、バイアスのかかった記載に多く接してきた

ので、この記載は、私のお気に入りです。

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地球儀で、インド洋と太平洋を強調したかったのです。
 
全体主義には、3パターンある。
1 議会のなかからポピュリズムに乗った独裁政党に出現 ナチス
2. 軍事独裁  日本
3. マルクス主義の教科書通りのに国造り共産独裁  ソ連
戦後現れた開発独裁もこのパターンのどれか。
なお、戦前日本の「革新勢力」は右派左派ともに押しなべて、個人
主義よりは独裁色が強く、濃厚に全体主義の匂い。
 
軍部大臣現役武官制制度の復活は、陸海軍が、組閣された政府を、
つぶすことができるようになった。制度の欠陥が、昭和初期に
日本が道を誤ることになる最大原因である。  P94
 
失敗の根本にして最大の原因は
憲法体制の脆弱さ、特に「国務と統帥の断然」である。それによ
って軍部の暴走に歯止めがなくなり、:正しい政軍関係が破壊され、
シビリアン・コントロールが全く効かなくなった。 
(中略)
戦前の日本は、人類の理性や霊性が徐々に覚醒し、それが地球
的規模で広がり普遍的な価値観が歴史を動かしていく姿が見え
なかった。
 
一人一人が、自らのうちにある良心に耳を傾け、正しいという
ことを述べ合い少数の意見を取込みながら、多数に従って妥協
を図ることが正しい。それが民主主義である。 P185
  
国益の定義に当たり、二つの注意点
①狭い国益にこだわりすぎると、かえって真の国益を見失う
②目的と方法を混同しないこと  P186
 
21世紀に入り、本物の自由主義的秩序へと変貌する契機が生ま
れた。本物の自由アジアが生まれる機運が出てきた。それが
「自由で開かれたインド太平洋構想」である。 P189
 
3. 結語的に「日本の役割」と私の感想
著者は、「日本の普遍的価値観」として
 1.優しさの感情と 2.法の支配の伝統を説く
「優しさ」を換言すると、
 人類愛・人間の尊厳が平等であることの確信・人をいたわる
こと  P197
 
21世紀の日本の役割として
 肌の色、宗教、文明、政治的信条を超えた国際社会を作り出す
ことを試みなければならない。これは、自由主義的な国際秩序を
 作るということであり、私たちの使命  P195
 
アジアの民主主義国家が欧米の先進民主主義国家と協調し、アジ
アに自由主義的な国際秩序を創造することが、日本の国益である。
P220
 
最後の最後に私の感想
誰しも、現在に自分と全く違う考え方は受け入れがたいであろう。
逆に、自分の考えと「寸分違わない」というのもまた気持ち悪い
でしょう。
著者は、象牙の塔の学者ではなく「実務家」、とは言え「役人」
として守られている立場。そこを差し引いても、確固とした考え方
を取り、空論と謗られようが現実から逃げず邁進していくていく
ことは、必要だろうと、改めて感じたのでした。
 
 

私のアウトプット方法 内容をきっちり、伝え方を工夫、という当たり前のことを目指すが・・・・

1.書く内容について

アウトプットの手法とは一般的には、書く、話すが中心かと思います。

絵画や彫刻として残す、歌う、肉体で表現する等もあるのでしょうが、

とりあえず、上記二つが中心でしょう。

 書くことについて必要なのは、①内容、②伝え方

 2つが重複することは、当然ありますが、便宜的に分けて考えます。

 (1)書く内容の前提、インプット

書いて、読者に伝えたいことが「内容」ですから。

内容がしっかりていないと、それこそ話にならない。

当然想定する読み手の、理解度を、考慮した内容になります

何かをアウトプットする場合、身についた体験を基にする場合も
あるでしょうが、今回書籍からのインプットを例にとります。
流れは
①書いてある事、著者が言いたいことを完全に理解する。
②これに対して、一つの自分の見解をプラスする
③読者の、関心をそそる見解となる
 
(2)読者の意図を読んで
上記①②③と流れを書くのはンタンですが、実際は以下のような困難さ
が伴います
①著者の意図を理解できない
  情報蓄積とか、理解力、経験値等々いろんな面で劣るから、著者の
 意図、イイタイコトを正確に知るのは、とても難しい
②著名な古典になればなるほど、独自の見解は、出にくい。
 これだと思う見解はすでに先人がヤマほど書いているはずで、単に私
 がその見解を知らないだけ、というのがほとんど。
③私の見解が、仮に独自たどしても、誰かが興味を持つものだろうか。
     結論は、開き直ってやるしかない。というかまずやってみて、裁きを
   待つといった具合でしょう。
 

 

2.書く内容の伝え方

(1)伝え方の基礎

まず、誤字脱字を失くすことや、言語として、意味を成している、

論旨が明確であると、言ったことが前提です。

 当たり前のことですが、これが、とても難しい。

①どのレベルにおいても、「私の書くことを解らない相手が悪い」と

いった、傲慢さが自分になかったか、それはいつも反省の対象になり

ます。

そもそも相手は無理して、読む必然性は何もないのすから、こちらが

危険負担するしかありません。

 表現においてできれば、重複や、冗長、解説的な説明、は避けたいで

すが、伝わらない

よりましです。そういった謙虚さが、必要ではないかなと。いつも

銘じています。

 

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インプットとアウトプットの関係は、いつも問題

(2)言語の選択

どの言語を選ぶか、ということも重要でしょう。

私は、日本語でしか、書くことはできませんが、それも難しいです。

日本語と同じ内容を、英語や北京語で自在に同時並行で、開示でき

れば市場は格段に広がるし、とてもいいことのでしょうが、その力

が私にありません。

知人、友人には外国語(大部分は英語)で、自分の意見を伝える

ことができる人がいます。

ひとつ事例をあげましょう。

学者となった大学時代の友人は、英語はもとよりドイツ語、フラ

ンス語の学術論文が読めます。(彼の研究分野ですが)

書く論文は、英語論文だったようです。

名称は伏せますが、日本人も知る米国のある著名大学で、短期で講義

をもっていまいた。「仕事だから」と謙遜しますが、外国語を自由に

使えるのは畏怖を覚えます。

 

(ここで少し脱線します。)

私がいつも思うのは、お金を使う外国語は簡単、おカネを稼ぐ外国語

は大変だということ。

 旅行を考えるとわかりやすい。自分が旅行者としてお客として、外

国語を使うときは、つまりお金を使うほうは「相手が聞いてくれる」

お金お稼ぐほうは、こちらが正確に話して、また相手の言葉を理解

して、初めて「仕事になる」ということです。

 もちろん、どの相手に外国語を使うか、ということも問題です。

当たり前ですが、金融ビジネスにおいては、ウォールストリート

ジャーナルを読める、ということは、日経新聞を読めるくらいの

必要条件です。

「業界」「業界」において、その専門用語がわからないと、ダメ

なのと同じ。すくなくとも、「日常会話ができる」のとは、違う

はずです。

 

 3. 繰り返し、しつこく

情報が「一過性」のモノであり人間の使える時間は有限。

「読んでもらいたい」のは書き物としてアウトプットする人の「いつ

わらざる感情」でしょうが、除法量と、人間の持つ有限の時間を考慮

すると、結果は明らか。

「読み手が知りたいこと」、「困っている」ことに焦点を当て、「問題

解決に資する」と思ったら、内容の質を落とさず、繰り返し、しつこく

情報開示していくことが、必要なのでしょう。

それに値する、つまり必要とされる「内容」を作っていかねばとは、いつ

も思うわけですが・・・・。