われらみな食人種(カニバル)
レヴィ=ストロース随想集
原タイトル: Nous sommes tous des cannibales
著者 クロード・レヴィ=ストロース/著
渡辺公三/監訳
泉克典/訳
出版者 創元社 2019.11
1.概要
レヴィ=ストロースは、先日(昨年11月22日)に取り上げました。
人種と歴史/人種と文化(読書感想文もどき) - 中高年michiのサバイバル日記
「どんな基準を取ってみても、ある文化が無条件で他の文化より優れ
ていると判断することは許されない」(P11)
というのは、彼の基本観だともいます。
さて、今回は
レヴィ=ストロースの没後編集の時評集です。
1989~2000の文章16編と、1952年発表の「火あぶりにされたサンタ
クロース」を収録しています。
<未開と文明>の固定観念を鮮やかに破砕する、見解・手法です。
訳者あとがきから、引用すると
本書は、理想的なレヴィ=ストロース入門
本格的な著作と向き合う際に必要とされる詳細な用語理解なしにわたしたちの記憶にもまだ新しい出来事を起点にして、レヴィ=ストロースの世界のひろがりを手ぶらで散策するには、、本書に代わるものではないだろうか。 P252
と、いうことですが、
私には、「入門」、「手ぶら散策」というよりかなりハードな感じ
がしました。
もちろん、私の基礎的な知識と理解の不足によるものでしょうが・・・・
2. 目次
火あぶりにされたサンタクロース
まるであべこべ
社会には一種類の発展しかありえないのだろうか
社会の諸問題
自著紹介
民族学者の宝飾品
芸術家の肖像
神話的思考と科学的思考
われらみな食人種
オーギュスト・コントとイタリア
プッサンの一絵画の主題をめぐる変奏
女性のセクシュアリティと社会の起源
狂牛病の教訓
母方オジの帰還
新たな神話による検算
コルシ・エ・リコルシ
3. ピックアップ
(1)「まるであべこべ」より日本についての記述
➀極東の諸哲学と違って、日本思想は主体を無効化しない。
ただし、 西洋哲学とは違って、主体をあらゆる哲学的反省の、つま
りは、 思考によって世界を再構築する試みの出発点にもしない。 P52
②個人とそれを取り囲むものとの関係をめぐる理解の仕方が自分
たち とはあべこべなために西欧人をたいへん困惑させるが、日本が
19世紀、20世紀に被った逆境乗り越えることができ(たのも)
(中略)体系のこのような外的な堅固さによるものではない
だろうか。 P54
(2)「社会には一種類の発展しかありえないのだろうか」より
➀発展の進み具合や遅れ具合に応じて、 もろもろの人間社会を何か
単一尺度上に配置し、分類することはあきらめたほうがよさそう
である。
つまり、各社会はむしろ、それぞれ由来が異なるモデルに属して
いるのかもしれない。
②非農耕民の作業時間や生産量、 食糧の栄養学的価値を対象にした
詳細な調査から、こうした人々の大半が快適な生活を送っている
ことが立証された P64
③農耕も動物の家畜化も、 純粋に経済的必要の充足が発生原因で
はなかったと認める点で一致。
食料や原材料の供給源とみなされる前から、ある種のぜいたく、
豊かさのしるし、威信の象徴であった P69
④数千年にわたる生産活動は多様な形態を取ってきたが、 同じく
らい多くの他にとりえた選択肢もあった。P72
➀(メキシコやペルーの大文明と熱帯アメリカ低地地方の慎ましい
文化との差異を意識して)
存在して維持されていくために「あれほど人為も人間的結合も必要
としない」社会生活というものにモンテーニュは感嘆したのだった。
P135
②他方で「おのおのが、自分の慣習にないものを野蛮と呼ぶ」とも
言う。
とはいえ、それ自体の文脈に置きなおして正しく導かれた推論から
も説明がつかず、時には言語道断だと感じさせさえするほどの、
あまりに奇妙で不快な信仰やしきたりは存在しない。 P137
(4)「われらみな食人種」より
➀オーストラリア政府に行政管理が移管される以前にクールーの
犠牲 となった集団は、カニバリズムに熱を入れていた。
一定範囲の近親者の遺体を食べること が、 当人に愛情を示し敬意を
表する仕方とされていたのである。 P153
②時代や場所に応じてカニバリズムの様態や目的は途方もなく多様
で はあるが、鍵となるのはいつでも、
他人の肉体に由来する一部分ないしは肝要部分を自発的に導き入れる
ということである。
このように悪魔祓いを済ませると、 カニバリズムの概念はかなりあり
ふれたものでしかなくなる。 P159
4.まとめ と私見
どの世界もそうですが、前提となる知識が不足していると論理展開
についていけません。
膨大な整理された知識があって、そのいくつかは、読み手が知って
いて同然として、思考、記載、解説過程を省略し、次々と論理が
展開されます。
よって「解っている人」には、論理展開が面白いのでしょうが、
「解っていない人」には、「ついていけない」ということになり
ます。
では、対処法は? 単純です。
周辺知識を知識を深めて、著者の論定展開を楽しめるレベルまでに
なるか、もしくは諦めてしまう、のどちらか。
ありがたいことに我々は奴隷でなく、自由人です。
若者だろうが、超高齢者だろうが、「残された時間が有限」である
ことは共通です。
どう時間に対応するかは、まさに自分次第ですよね。
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