今週のお題「応援」 別表現で「あなたに届け,のエール!」です。
応援というのは基本他者がいるものですが、いや、自分の応援というも
ありでしょうし、いくつかの視点で書いてみます。
1.感謝(自分が応援を受けてきたことに対して)
(1)何も、人生が解った年長者ぶって、説教じみた話をするつもりは
ありません。
しかし、自分がここまで、何とか生きてこれたことは、様々な応援を受
けてきたため、とはだれしも納得するでしょう。
直接的には、父母はじめ家族や親類縁者でしょうが、諸先生・先輩・後輩、
友人・知人、書籍の中の人物等々、たくさんいるはずです。
私の場合も、応援してくれた人々のうち多くの人を、自分で自覚できて
いないし、自覚できないまま、一生を終えることも多いでしょう。
その応援に対して、まず感謝です。
(2)私も、一神教的世界や、無神論的世界も、ある程度知識としては知っ
ていますが、個人の感覚としては、
・神は自然のものすべてに神が宿る「八百万の神」に近いし、
・仏教的な諦観(あきらめ)はあるし、
・老子の「天網恢恢祖にして漏らさず」(おてんとう様は見ているよ)も
気に入っています。
感情のベースに感謝は必要。
つまり、「応援」といえば、まず「感謝」を書きます。
2.応援と言えば、運動会
以前、私の小学校時代の運動会の町内リレーをアップしました。
田舎の運動会、町内対応リレー 1970年代の地方での話です、悪しからず。 - 中高年michiのサバイバル日記
抜粋しますと
・(子供の私は)「町内対抗リレー」に賭けています。
・一方大人たちは、自分の子供がリレー選手であるか否かはある意味
無関係で、属する「町内」の仲間とビールや焼酎を楽しく飲めれば
それでいいわけです。
・小学校の運動会「町内対抗リレー」が、児童や学校関係者だけでな
く、地域社会の一つのイベントであった当時
「激しい応援の思い出」はやはりコレです。
3.強者オールブラックスの応援、しかし・・
(1)「嫌味な性格」と言われるのを、承知で書くと、私は判官びいきとい
うより、強者を応援してきたようです。
実利的な話をすると、「判官びいき」と比べて、応援しがいがあるというか、
勝っていい気分、になることが多いです。
ラグビーネタは、このブログでななんどか、取り上げましたが、ラグビー
NZ代表オールブラックスは私が長年応援しているものの一つ。
トップスポーツの場合、どの競技も栄枯盛衰は、つきものですが、この
オールブラックスが、長年強者でありつづけているのは、ラグビーファン
ならご存知の通り。
強者の宿命もあり、「打倒オールブラックス」に、各代表は絞って戦略を
立ててきます。
今年日本で盛り上がった、Wカップは、もう8回目で、実力では、いつも
「優勝候補筆頭を越えて大本命」なのですが、割とよく負けて、優勝でき
ません。
今回もそうでした。
応援するファンとしては残念至極です。
(2)なお、昨年のWカップは、ラグビー日本代表も、応援しましたよ
こちらもブログで書いていますが
ラグビー日本代表と日本人 グローバル化を実感するよい機会 - 中高年michiのサバイバル日記
国の代表以上に、今までの日本代表の中でも好きなチームでした。
4.自分自身の応援
最後に、こみ見出しで書かねばなりません。
いろんな、考え方がありますが、幼児期はともかく、ある程度大きくなった
ら、誰しも自分に責任を持たねば、なりません。
とはいえ、「誰しも」、自分自身に大いなる自身があり、100%大好きで、
あることはないでしょう。
しかし、冒頭1.感謝で述べたように、自分を取り巻くすべての皆さんの
応援で「おかげ様」で生きてきている訳ですから
前提として、まず自分自身で「がんばれ!」と、自分を応援していくことは、
義務に近いにではないでしょうか。
(とはいえ、いつも頑張って、折れてしまっては困りますから
がんばらない、手を抜く、諦める、逃げる、といったことをうまく混ぜる
のは絶対必要かと、思います。)
下記紹介は老子の「天網恢恢祖にして漏らさず」