中高年michiのサバイバル日記

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エセー(モンテーニュ)から引用 そのⅢ 人間性の大きな多様性と移り変わりやすさ こそがその最大の特徴

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古典がたくさん詰まったモンテーニュの書庫イメージ

1.モンテーニュの「エセー」とは

韓非子 司馬遷史記列伝)、マキアベッツリ、ロシュフーコー等々

このブログで、私が長年読んでいる古典を引用・紹介していますが、

今回はエセー、3回目(最終)です。

前回は2020年5月9日のアップです。

エセー(モンテーニュ)から引用 そのⅡ 人間性の大きな多様性と移り変わりやすさ こそがその最大の特徴 - 中高年michiのサバイバル日記

使ったネタ本は

エセー  Ⅲ 社会と世界

モンテーニュ/[著]

荒木昭太郎/訳  

出版者    中央公論新社 2002.9

です。(引用のページは、この本のぺ―ジです。)

「完全な中立性」というのはあり得ませんが、今回もwikipediaから

エセーの内容を引用してみると

モンテーニュの目的は人間、特に彼自身を、完全に率直に

記述することであると『随想録』の中で述べている。

モンテーニュ人間性の大きな多様性と移り変わりやすさ

こそがその最大の特徴であると認識していた。

「私自身というものよりも大きな怪物や驚異は見たことが

ない。」というのが典型的な引用句である。

モンテーニュは自身の貧弱な記憶力や、本当に感情的には

ならずに問題を解決し争いを仲裁する能力や、後世にまで

残る名声を欲しがる人間への嫌悪感や、死に備え世俗から

離れようとする試みのことなどを書いている。

  (中略)

モンテーニュのエセーに明白に現れている思考の現代性

は、今日でも人気を保っており、啓蒙時代までのフランス

哲学で最も傑出した作品となっている。

フランスの教育と文化に及ぼす影響は依然として大きい。

フランスの元大統領フランソワ・ミッテランの公式な肖像

写真では『随想録』を手に持って開いている。

 エセー - Wikipedia

 2.ピックアップ

(今回も私の主観、かつて付箋挽いたり、ページを折り曲げたりした

ものからのピックアップ。いわいる有識者の定番的な抜粋とはずいぶん違っているかと思います。)

 

 (アレクサンドロスと、カエサルを上げた後)

三人目の、そしてわたしの考えによる最も優れた存在は、エパメイノ

ンダスだ。

確固とした決断と勇敢さについては、野心によってとぎすまされるも

のではないが、英知と理性がひとつのみごとにととのった魂のなかに

植え付けることのできるものとしては、彼はひとの想像できる限りの

ものをすべて持っていた。   (社会の組み立て P114)

 

ソクラテスは言っている。

若い人たちは教養を身につけるよう、成人たちは立派に行動するよ

う、老人たちは、あらゆる市民の仕事や軍務から身をひき、分の思う

とおりに、どのよう定まった任務に対する拘束もなしに生きるように

しなければならない」と。    (他者とかかわる P148)

 

真実の筋道は一本しかなく、単純なものであり、これに対し、個人の

利益の、そしてひとが担う仕事の便宜の筋道は、おもてと裏のある、

一様でない、先行きの解らないものだ。

わたしはしばしば、そのような偽の、こしらえものの自由がいろいろ

用いられているのを見たが、しかしたいていの場合は成功していなか

った。   (他者とかかわる P226)

 

この新大陸の住民たちには、おのおのが自分の習慣にないものを野蛮

と呼ぶのでなければ、野蛮で未開なところは何もないと思う。

ほんとうのところ、我々は、我々の住んでいる国のさまざまな意見や

慣習についての実例と概念以外には、真理と道理の基準を持っていな

いようだ。      (ひろがる時空 P316)

 

われわれの下にあるものと比べてみようではないか。

自分を慰める材料となる例をたくさん見つけさせないほど不幸な運命

を背負った人間は一人もいないのだ。   (ひろがる時空 P372)

 3. 最後に

優れた古典については、「読むたびごとに、印象や解釈が変わる

こともある」、と聞いたことがあります。

我々は、生きている以上常に変化しているわけですから、古典に

限らず、接するたび印象は変わるのでしょう。

そのⅢでは、いっそう「死」を意識した、文章が見てとれます。

モンテーニュは、59歳で亡くなってなっているようです。

16世紀末フランスの、彼の周りの平均寿命は存じませんが、

50歳代後半はもう「老境」なのでしょうか。

時代が下り、平均寿命が延びたとはいえ、私も「死への準備」

を、もう少し真剣に考えなければならない、時期が見えているかと。