中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

1万年続いたのは、結果論でもすごい 縄文時代のことです

f:id:xmichi0:20200309002201j:plain

縄文土器です。縄文時代後期は温暖で特に豊かな時代。
1.今日言いたいのは、縄文すごい
最近少し、縄文時代に関心があります。
ダイナミックに歴史が動いたとは、思えないし、忙しい自分にはちょ
っと悠長すぎる、ヒマな中高年というか、高齢者の趣味の域だろう、
とか言われるとその通りかもしれませんが・・・・
それはともかく、何に感じ入っているかというと
縄文時代というのは1万年も続いたらしい。すごいな。
・大陸から日本列島が物理的に海により切り離された幸いで
 大きな外部勢力に席巻されることがなかったとはいえ
・火山活動、地震、台風等々天変地異の激しい土地で
・狩猟採集を中心とする生活で限界に近い最高度の人口を
 養っていたようだ、といったところ。
もちろん当時の最先端技術縄文土器の話もあります。
そして、その人々が、私の遠い遠い先輩であることです。
今日も、皮肉や辛口コメントありません。
驚愕と賞賛のオンパレードといったところでしょうか。
 2.縄文時代の定義から生活まで
(1)いつの時代?
 縄文時代(じょうもんじだい)は、日本列島における時代
区分の一つであり、世界史では中石器時代ないしは、新石器時代に相当する時代である。
旧石器時代縄文時代の違いは、土器と弓矢の発明、定住化と竪穴式住居の普及、貝塚の形成などが挙げられる。

多くの議論があるが、始期に関しては一般的に16,000±100

年前と考えられている。

終期は概ね約3,000年前 とされる(諸説あり)。

 地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発

展した時代であり、終期について地域差が大きいものの、

定型的な水田稲作や金属器の使用を特徴とする弥生文化

登場を契機とする。

その年代については、紀元前数世紀から紀元前10世紀頃ま

でで、多くの議論がある。

 要は1.6万年前に始まり、3,000年くらい前に終わったから、
優に1.2万年以上、「だからなんだ」ではなく
「よく続いたなあ」と感慨にふけります。
時代を細分化すると
AMS法で測定して暦年代に補正した年代で示すと、草創期
(約1万6,000 - 1万2,000年前)、早期(約1万2,000 - 7,000
年前)、前期(約7,000 - 5,500年前)、中期(約5,500 -
4,500年前)、後期(約4,500 - 3,300年前)、晩期(約3,300
- 2,800年前)となる。 
 (2)文化圏は現在の日本各地に

縄文前期には日本列島内に九つの文化圏が成立していたと

考えられているそうです。

 ➀石狩低地以東の北海道

エゾマツやトドマツといった針葉樹が優勢な地域。

②北海道西南部および東北北部

石狩低地以東と異なり、植生が落葉樹林帯である。

ミズナラ、コナラ、クルミ、クリ、トチノキといった堅果

類の採集が盛ん。

③東北南部

動物性の食料としては陸上のニホンジカ、イノシシ、海か

らはカツオ、マグロ、サメ、イルカを主に利用した。

④関東

照葉樹林帯の植物性食料と内湾性の漁労がこの文化圏の特

徴で、特に貝塚については日本列島全体の貝塚のうちおよ

そ6割がこの文化圏のものである。

⑤北陸

シカ、イノシシ、ツキノワグマが主な狩猟対象であった。

植生は落葉広葉樹(トチノキ、ナラ)で、豪雪地帯である

為に家屋は大型化した。

⑥東海・甲信

狩猟対象はシカとイノシシで、植生は落葉広葉樹である

が、ヤマノイモやユリの根なども食用とした。

⑦北陸・近畿・伊勢湾沿岸・中国・四国・豊前・豊後

狩猟対象はシカとイノシシで、植生は落葉広葉樹に照葉樹

(シイ、カシ)も加わる。

漁業面では切目石錘(石を加工して作った網用の錘)の使

用が特徴であるが、これは関東の土器片による錘の技術が

伝播して出現したと考えられている。

⑧九州(豊前・豊後を除く)

狩猟対象はシカとイノシシ。

植生は照葉樹林帯。最大の特徴は九州島と朝鮮半島の間に

広がる多島海を舞台とした外洋性の漁労活動で、西北九州

型結合釣り針や石鋸が特徴的な漁具である。

トカラ列島以南

植生は照葉樹林帯である。動物性タンパク質としてはウミ

ガメやジュゴンを食用とする。

縄文後期には、集約されます

縄文後期に入ると、「北海道西南部および東北北部」

「東北南部」「関東」「北陸」「東海・甲信」の5つがまと

まって単一の文化圏(照葉樹林文化論における「ナラ林文

化」)を構成するようになり、

また「北陸・伊勢湾沿岸・中国・四国・豊前・豊後」

「九州(豊前・豊後を除く)」がまとまって単一の文化圏

照葉樹林文化論における照葉樹林文化)を構成するよう

になる。

その結果、縄文後期・晩期には文化圏の数は4つに減少す

る。

 私が感じっている2つ目は、縄文人の広がりが、日本列島全国版

すよね。

その昔中高生の頃、習った日本史の地図には、江戸時代までの為政者

の「日本」のイメージでしょうが、北海道はなく、狭いものでした。

(3)縄文時代の農耕について

縄文農耕論は、農耕存否の論争は現在も続いている。

縄文時代に植物栽培が行われていたことは確実であると

考えられている

福井県の鳥浜貝塚の前期の層から栽培植物が、早期の層か

ヒョウタンが検出されている。

一方、北部九州の後・晩期遺跡の遺物で焼畑農耕が行われ

ていた可能性が高いと考えられている

現在では、縄文時代後期から晩期にかけては熱帯ジャポニ

カの焼畑稲作が行われていたことが判明している。

 後期後半の日本列島でイネが栽培されていたことは間違い

ない。

ただ、イネが単独で栽培されていたわけでなく、オオム

ギ、ヒエ、キビ、アワ、ソバなどの雑穀類の栽培やアズ

キ、大豆なども混作されていた。 

 以上主にに参照したのはwikipedia です。 縄文時代 - Wikipedia

 3.食事が気になったので

時代変遷による考証抜きで、ざっくりした食事の引用

食事は、魚やタコ、イノシシやシカ、鳥やウサギ、木の実

などを収穫していました。

場所によってはツキノワグマやヒグマを相手に狩りをして

いたようです。

ほかにも、ハマグリやアサリなど200種類以上の貝殻が貝塚

から見つかっています。

 獣の肉は生で食べたり、焼いたりして食べていましたが、ドン

グリやシイの美などの木の実はそのまま食べるのは固くて

困難でした。

そのため、縄文人は土器を使用し、煮炊きをしていたよう

です。

また、肉をこねて、松の実、栗などを入れて味付けしたハ

ンバーグのような料理や、つぶした木の実と水を混ぜて練

ったクッキーも作っていました。

さらに、ニワトコの実を使った果実酒も飲んでいたと推測

されています。

 3.4は主に下記2つから引用

5分でわかる縄文時代!生活の特徴や弥生時代との違いをわかりやすく解説! | 教養も ホンシェルジュ

古代の日本人はどんなものを食べていた?縄文時代の食事風景は?|終活ねっと

私の偏見かもしれませんが「多様化した豊かな」食生活のように、

感じます。

特に温暖化が進んだ頃は、海、川の幸中心に、大変豊かだったよう

に思います。

猟採集中心でしょうから、後々の農耕生活基盤とする「安定性」に

は、劣後するでしょうが摂取対象の「多種多様化」を強く感じます

多くの遺跡で見つかる海産物を分析すると、貝類だけでも350種類以

上、魚類は70種類以上との説もあります。

 4.最後にまた、感想

 我々の祖先は2万年上前に、この日本列島にやってきたホモ・サピ
エンスで、3つのルートがあったそうです。
対馬ルート、沖縄ルート、北海道ルート。
1万年続く縄文時代に、どれだけの交流があったか調べていません
が、私があまり好きでない「単一、純血、万世一系」からは、
遠い世界かと思います。
縄文土器が世界最古では、ないかもしれませんが、非常に高度な
土器でしょうし、
最長不倒ではないかもしれませんが、非常に、長く続いた時代であ
ると思います。
比較対象が変かもしれませんが、次の弥生時代が700から800年ほど、
江戸時代でも約260年ですからね。
文字情報がなかったから、なかなか、伝わらない部分がありますが
いわいる科学技術の進歩が、歴史ののなぞ部分の、解明に役立ち
これから、幾多の新規発見があることを期待します。
 

 

新型コロナ関連 5月のGWには、消費マインド復活では? 数字無しの個人妄想と言われるとそれまでですが・・・・

f:id:xmichi0:20200324160213j:plain

5月のGWには、消費は復活?

1.前口上

 今日もまた、新型コロナ関係のコメントとなります。

時事問題はあまり取り上げたくないのですが、この件は本当に日々の

生活に影響が大きいので。

ちゃんと考えよう、数字と事実と論理が大事と、私はいたるところで

書いていますが、以下の話は、沈着冷静に収集・集計して積み上げた

数字の根拠はありません。

その意味では「オマエの妄想」と言われてても仕方ありません。

ただ、マスメディアに乗った情報でなく、私が直接見聞きした情報

つまり、一人歩き回ったり、仕事関係や友人関係で直接話を効いた

こと、公表はできない企業情報等から、「皮膚感覚」として

考えている、ことです。

2.今日現在の私の結論

・(現在3月下旬ですが)5月に入ると、消費マインドはかなり復活

  するのでは?

・マインドは復活するが、消費対象は、従前と大きく変化する

・消費を引っ張るのは女性ですが、美容、利用、飲食はかなり復活

 するとみます。(女性の旅行、イベント需要から流れる)

 長く「じっとしている」ことにヒトは疲れてくるし、日本では海外

 ほどパンデミックにはならないと、私は見ています。

 しかし、旅行(特に海外)を取り巻く環境(航空、ホテル、旅行

 代理店等々)は厳しい。 相当時間がかかりそう。

・「清潔・安全・高級」の要素を満たす消費が、かなり伸びるので

 は?

 海外の「お金持ち」の一部が日本に戻りそう(大きなインバウンド

 消費期待は無理と思いますが) 

3.結論に至る私の妄想

(1)いたるところで書いていますが、私はマスメディア情報をあま

 り信用していません。特に解釈部分。

「煽る」という表現を、たまに使いますが、マスメディアの情報の

宿命です。

要は、バランスではなく人を惹きつけやすいような表現を取ります。

(2)行政機関の対応も、深くは信用していません。

いろんな「対策」を、真剣に考え実行支持するのでしょうが、もと

もとおカネは彼らが自分で稼いだだものではなく、税金等で強制力を

使って集めたもの。

どうしても、使い方が甘くなります。

「自分事でなく、他人事」の感覚も、無きにしも非ず。

税金で「困った人を助ける」といったも、お金を出す判断をする人

達は、自分の組織が倒産するとか、自分自身が失業や無収入になる

とは、想定していない人が、多いように思います

やはり甘さは、否めません。

(3)長くなりましたが、(1)や(2)前口上に近くて、実質的

な意味を持たず「妄想」の根拠としているのは、以下の私の肌感覚

です。

〇3月中旬の東京新橋の居酒屋徘徊してみて、何処も混んでいたこと

 確かに、大人数の会食は禁止でしょうが、2,3人とか少人数の集ま

りは相当あるようです。

〇3月下旬の平日午後2時過ぎ、タクシーから見える原宿の風景は若者

がたくさん歩いていたこと。

(知人の話では、渋谷も同様、とのこと)

〇3月下旬は2週間前に比べて、私が利用する部分の電車は、混んで

いると感じること。

〇私が利用する公立図書館が2週間ぶりに、本のデリバリーを再開

しました。

〇私が関係する会社の一つで、前年同比較で、3週間前より、先週

の方 が売上が戻ってきました。

 (別の会社は、2月前半はもちこたえたが、3月がもっと厳しい

、という会社もあります。)

〇伝聞でなく、直接の会話からですが、

・9年前の東日本大震災の頃苦労した会社経営者の「3月11日以降

しばらく 落ち込んだが、5月中旬に入ると、お客さんが戻ってきた。

 今回も同じ では?」の発言あり。

(無論経営者自身の希望的バイアスもかかっているでしょうが・・・)

・税務関係サポートの経営者は、確定申告期限がひと月ずれ、仕事

が少し止まったが、そろそろ忙しくなりそうな感がある

・監査関係の人は、3月決算締め確認作業は、5月GWがいそがしい、

これは変わらない、のでは? 

 

 (5)まとめ

繰り返しますが、私が歩いて情報収集したり、話を聞いた限りでは、

日本国内においては、経済は、「復活のきざし」と感じます。

先行指標としての「株価指数」も注目しています。

 なお「3月25日午後8時東京都知事発言」で、週末の都内の風景は

少し、また変るかもしれませんが・・・・

 

こんな時だから、いっそう、じっくり考えようと思います。

書籍紹介は、また出口治明さんです。

歴史観は、いつも私の考える軸になっています。

 

ルバイヤート これも愛読書 酒賛美の詩 人生の無常も感じますよ

f:id:xmichi0:20200312145747j:plain

イスラム教のモスクのイメージ

今日の話は、ルバイヤートです。

何をいまさら、という方も多いでしょうが、私にとっては、若い頃か

ら、ずっと愛読してきた本であり、まだ若くてお読みでない方には、

紹介もいいかな? といったところ

1.ルバイヤートとは?

まず、ルバイヤートとは何ぞや?ですが

今回wikipediaでばく、コトバンク、引用(一部要約)すると

ルバイヤートとは - コトバンク

ペルシア語の四行詩集。

ルバーイー(四行詩)の複数形。

イラン固有の詩形で民謡に端を発したという。

第一行、第二行、第四行の脚韻はかならず押韻し、第三行の脚韻

押韻してもしなくてもよい。

ルバイヤートといえば、ペルシア文学代表作品としてウマ

ル・アル・ハイヤーミーを想起するほど彼の作品は世界的

に名高い。

19世紀なかばイギリスの詩人E・フィッツジェラルドによっ

て流麗な英訳が刊行されて以来、世界中に名声が高まり、

日本語を含めて世界の主要な言語に翻訳された。

人生の無常、宿命、酒の賛美、一瞬の活用などが基調とな

っている。  

 2.お気に入り

詩ですから、お気に入りがあって、それを五月雨式に紹介します。

 

もともと無理やり連れ出された世界なんだ、

生きてやなみのほか得るところなにがあったか?

いまは、何のために来たり住みそして去るのやら

わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!

(解き得ぬ謎  第2詩   p13 )

 

歓楽もやがて思い出と消えようもの、

古き好(よしみ)をつなぐに足るは生の酒のみだよ。

酒の器にかけた手をしっかりと離すまい、

お前が消えたって盃だけは残るよ! 

(生きのなやみ 第21詩 P25)

   

 幾山川を越えて来たこの旅路であった、

どこの地平のはてまでもめぐりめぐった。

だか、向こうから誰一人来るのに会わず、

道はただ行く道、帰る旅人を見なかった。

(万物流転 第49詩     p46)

 

愛しい友よ、いつかまた相会うことがあってくれ、

酌み交わす酒にはおれを偲んでくれ。

おれのいた座にもし盃がめぐって来たら、

地に傾けてその酒をおれに注いでくれ

(ままよ、どうあろうと  第83詩   p69)

  

恋する者と酒飲みは地獄に行くと言う、

根も葉もない戯言にしかすぎぬ。 

恋する者や酒飲みが地獄に落ちたら、

天国は人影もなくさびれよう! 

(ままよ、どうあろうと 第87詩 P71)

  

バグダードでも、バルクでも、命はつきる。

酒が甘かろうと、苦かろうと、盃は満ちる。

たのしむがいい、おれと君が立ち去ってからも、

月は無限に朔望をかけめぐる!

(ままよ、どうあろうと 第95詩   p75)

 

世の中が思いのままに動いたとてなんになろう?

命の書を読みつくしたとてなんになろう?

心のままに百年を生きていたとて、

更に百年を生きていたとてなんになろう?

(むなしさよ 第103詩      p 84)

 

なお、彼の人となりについて訳者の解説を引用します。

ハイヤームは天性内気で、おとなしくて、観照的で、哲学的瞑想
ふけったり、自然科学や数学研究に身をゆだねることを好んだ。
(解説 p119)

   手元にあるのは、下記岩波文庫です。

ページ記載は、この文庫本のページです。

ルバイヤート

著者       オマル・ハイヤーム/作 

小川亮作/訳  

出版者    岩波書店 1979.9

   4.疑問は、イスラム教徒で飲酒大丈夫?

ルバイヤートを読んでいて、ときどきも感じるのは、

どうもイスラム教の感じがしないな、また飲酒を書いて大丈夫?

というものでした。

こんどは、ウマル・ハイヤーム - Wikipedia

から、引用すると 

ウマル・ハイヤームとイスラム

ウマル・ハイヤームの哲学は、公的なイスラム教の教義

とはかなりに異なるものであった。

ウマルが神の存在を信じていたのかどうか明確でないが、

しかし彼は、すべての個別の出来事や現象が神的な介在

の結果であるという見解には異議を唱えていた。

また、最後の審判の日や、死後の報償や懲罰なども信じ

ていなかった。

ウマルはむしろ、自然の法則が、生命について観察される

すべての現象を説明するという見解を支持していた。

イスラムの宗務当局は、イスラム教に関する彼の異説に

ついての説明を幾たびもウマルに求めた。

最終的にウマルは、当局からの追及が激しくなり建前上

正統的なイスラーム教徒(ムスリム)を装わざるを得な

くなり、マッカへのハッジ(巡礼)を行った。

 5.最後に

いくつになっても読めそうだし、それぞれの時期で感じることが

変わっていきそう。

そう思わせるから、古典として生き残ってきた面もあると思います。

今の私の感想は、

彼は組織のエリートして、「自分に見えて」いて、「周りの人に見え

いない」ことが多かったのだろうと想像します。

そのなかで、「やってられないので酒でも飲むか」との気持ちも

あったのでは? というものです。 


 

 

広告宣伝費のマーケット規模 電通資料から考える カギはやはりネット広告だが

f:id:xmichi0:20200322105130j:plain

広告業界をイメージしたかったのです

1.インターネット広告費のテレビ超え

すこし古いニュースに、直近の新型コロナ所感を交えながら

書きます。

 半年ほど前、2018年の日本の広告費資料から、考察しましたが

2020年3月11日のリリースされた2019年の資料から、再度考えます

2019年 日本の広告費 - ニュースリリース一覧 - ニュース - 電通

要旨は、 

・日本の総広告費は、6兆6,514億円(前年比101.9%)となり、

 8年連続のプラス成長

・インターネット広告費は、1兆7,589億円(前年比116.5%)、

 6年連続の二桁成長となり、テレビ広告費を超え、初めて2兆円

 を上回る。

下記の図表1は象徴的ですね。

 

f:id:xmichi0:20200321230804p:plain

テレビメディア広告費とインターネット広告費比較

半年前に書いたことを再度引用すると

広告宣伝費のマーケット規模 今後の伸びはやはりネット広告 - 中高年michiのサバイバル日記

インターネットの世界の拡大は論を待ちません。

昔の子供は親から「テレビや漫画ばかり見ていないで勉強

しろ」といわれたものですし、その記憶のあるご同輩も多

いかと思います。

 最近の子供はテレビや(紙媒体の)漫画は、確かに少なく

なっているのでは?

 また、私は首都圏にいて、平日も休日も、電車に乗って移

動することが多いのですが、20年前、10年前と皮膚感覚で

比較して まず電車で寝ている人が激減しました。

 新聞、雑誌、書籍を開いている人も減りました。

 老若男女問わず、スマートフォンの画面を眺めている人が

激増、 かくいう私も、電車で移動中は、紙の本を読んでい

るばかりでなくて、スマホをみて、メールチェック等やり

ます。

 もう一つ追加すると、電車の中の外国人比率が劇的に増え

ました。

彼らもスマホを見ている割合が多いように思います。 

 特に修正する必要はないどころか、新型コロナウイルスの影響で

テレワークやネットショッピング、ネットでの講義、卒業式はじめ、

インタ―ネット市場の一層の拡大に拍車がかかっている気がします。

2.「世界的鎖国状態」の影響は?

(1)下記掲載の、媒体別広告費をみると

「プロモーションメディア広告費」は、全体の32.1%と、やはり大

きいですね。

マスコミ4媒体(テレビ、新聞、雑誌、ラジオ)合計の37.6%

に次ぐシェアです。

この「プロモーションメディア広告費」の中の「野外」、「交通」、

「イベント」について、少しコメントしたいと思います。

 まず、電通による解説は以下のとおり。

プロモーションメディア広告費 2兆2,239億円

デジタルサイネージ化が進む「屋外広告」「交通広告」

と、広告業が取り扱うイベント領域を拡張推定した「イベ

ント・展示・映像ほか 」(改定項目)が増加した。

なお、前年同様の推定方法の場合、2兆436億円(前年比

98.8%)。 

(2) 私が関係する会社にイベント会社や、広告を出す立場の

会社もあり、ここ数年、この手の情報に敏感にはなっています。

実は少し前は「デジタルサイネージ」の言葉さえ全く知りません

でした。

電車での移動が多いので、勢い電車内の交通広告は、比較観点

からよく見ます。

 言いたいことは、ある意味当たり前、陳腐な表現

2020年は、新型コロナの影響で、相当数値が変わるのでは? 

特にイベント、野外、交通の順に影響が大きいのでは。

ということ。

(3)大きなトラブルが起こると「先が見えない」という表現は

よく使います。

しかし、今振り返ると、アジア通貨危機も、リーマン・ショック

も波及部分は、ある程度見えていた気がします。

今回の新型コロナは、これを書いている時点で、「着地のイメー

全く見えない」気がします。

  考える元素材は、国内広告の数字を扱う電通資料でしたが

数字はありませんが、人の移動、集合を大きく制限しているわけ

ですから世界的なイベント広告需要、交通広告需要の減退を、考

えてしまいます。

漏れ聞くところ、米国トランプ政権は、まず航空業界とホテル業界に

おカネを流すテコ入れのようですね。

 今後の動向を、ニュースで日々追っていくことになります。

 

 なお、書籍紹介は再度「消費社会の神話と構造」、いまや社会学

名著、古典と言っていいでしょう。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

消費社会の神話と構造新装版 [ ジャン・ボードリヤール ]
価格:2310円(税込、送料無料) (2020/3/22時点)

楽天で購入

 

密閉、密集、密接避け私の考える場所は ホテルロビー、公園、図書館

f:id:xmichi0:20200305235827j:plain

いい考えがひらめいたイメージ

1.どこで考えています?

(1)当たり前のことですが、仕事にしても遊びにしても、考える

ことは必須ですね。

「考える」という過程が、一定の場所に、紐づけられているのは、
普通にあります。
調理もそうだし、工場生産では生産機器がある場所、PC,書類,サー
バー等のインフラがある事務所等がそうでしょう。
新型コロナウイルス対応で、にわかに脚光浴びつつあるテレワー
クは、今回触れません。
(なお、テレワークについては、今年の2月27日に、下記で少し触れ
ています。)
(2)一方「考える」場所を自分の裁量で選べる場合も、多々あり
ます。
今日の話は、後者のケースです。
一人で考え、特に共同作業を必要としない場合のことですが、
事務所のある場所の席や、自宅だけでは、どうも考えが、煮詰ま
ってしまうことも、よくあります。
 そんな際に、タイトル書きましたように、通常とは違った場所を選
択することは、誰しもあるかと、おもいます。
馴染みの喫茶店をあげる方も、いらっしゃるでしょう。
(3)敬愛する出口治明さんは、「人、本、旅」から学ぶ。
つまりツールはこの3つしかないと、至る所で力説なさっていま
すが、私も全面的に賛成、その通りかと思います。
個人的趣味としても、私も旅は大好きです。
 しかしながら、時間とお金の制約があるのは一般的です。
私の場合残念ながら、いま「旅」に十分な時間を取ることができま
せん。
2.公園、図書館の場合
(1)経済的負担がなく、熟考しやすい環境として、「歩くこと」
は重要で、過去このブログで何度も書いています。
例えば、
さて、「歩き」でなく、座って、ひとり考える場所として
私の場合、ホテルロビー、公園、図書館がよくあります。
公園利用は、子供が小さい頃は、家事業務の一環の面が強く子供の
管理監督が主要業務、これは多くのお父さんが、経験ありでしょう。
ひとり熟考は、子供を見失うリスクが高いです。
今は、公園がひとりじっくりの空間である場合が多いですが、その
利用は当然、天候や時間の制約が、あります。
大雨時や夜間に利用という訳には、行かないでしょう。
(2)図書館は複数の場所の図書館の利用経験があります。
 (海外や、一部の大学図書館の利用も、あります。)
 公立図書館の利用も、多いですが、生徒、学生の自習の邪魔などは
しませんよ。
図書館巡り、という訳ではないですが、公立図書館も一律でなく、
それぞれ特徴を、打ち出そうとしていますね。
 3.ホテルのロビーは、お気に入りです。
(1)ホテルのロビー利用ですが、具体的には、ロビーにあるソファ
ーに一人座ります。
読書したり、メール反応したり、瞑想したり、ロビー内を行きかう
人を眺めたり、、、、いろいろやる中での、「熟考する」空間とし
て利用させて貰っています。
当然、ホテルビジネスの邪魔はしませんので、ある程度の大きさの
ホテルとなり、いわいるビジネスホテルは、向かないと思います。
東京だけでなく、ある程度の大きさの都市には、この手のホテルは
存在すると思います。
密閉、密集、密接避けられます。
なお、ホテルロビーでのマンウォッチングも、一つの脳の刺激では
ないかと、常々思っています。
(2)これを書いているのは3月下旬。
 新型コロナウイルス関連ニュースが日本中を席巻していますが
 ウイルスのメイン戦場は、どうも現在欧州の様子。
私の異動は電車が多いですが、空いていいます。
ホテルのロビーも、混雑時は、空いているソファーがないくらいの
時もありましたが、直近は、座りやすい状態です。
 
今日の話は、ここでお終いです。
ありがとうございました。 
 

「トランプ相場終焉」や「株価大暴落」は興味を引く上手いネーミングだが・・

f:id:xmichi0:20200321123903j:plain

世界的な株価大幅下落のイメージ

1.米国株式市場の直近記事

2020年3月20日金曜の米国株式市場ですが、ダウ平均株価終値は、

トランプが大統領就任時の19,827ドルを下回った、状態。

「トランプ相場終焉」の言葉が躍っています。

さすがにネーミングがうまいですね。

ちょっと記事を引用すると、

【ニューヨーク=小林泰明】

20日のNY株式市場で、ダウ平均株価(30種)の終値

前日比913.21ドル安の1万9173.98ドルだった。

トランプ米大統領が2017年1月20日に大統領に就任

した際の終値(1万9827ドル)を下回り、株高が続い

た「トランプ相場」は終わりを迎えた。
 新型コロナウイルスの感染拡大に対する懸念に加え、急

速に原油安が進んだことでエネルギー関連企業の業績が悪

化するとの不安が高まり、売り注文が膨らんだ。

「トランプ相場」終焉…NYダウ終値、913ドル安の1万9173ドル(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

私のブログは、市場の分析・解説・コメントではありません。

ただ、株式市場には、参加者(金融資産として保有の意味)として

長らく見ていますので、感想を少し、と言ったところです。

2.「トランプ相場終焉」のピックアップ

「トランプ相場終焉」ワードは受けがいいのか、ちょっと検索するだ

けで、たくさん出てきます。

ほんの一部記載します。 情報発信時期に注目です。

・2017年01月12日 10:10 トランプ相場は終焉したのか

(久保田博幸氏)

・2017 年 5 月 18 日 14:41 JST  

 トランプ相場終焉、ついに株価までも (By PAUL VIGNA)

・2018/12/25 

【緊急配信!】トランプ相場終焉~日経平均は18,000円台へ

 (Youtube記事)

私が、言いたいのは

「人は、人を惹きつけるためには、類似ワードを使いたがる」

ということ。

私は、上記記載日時前のマーケットの動きを追っていませんが

執筆者は、無論まじめで、数値と根拠を持って語っていると、想定

しています。

3.「株価大暴落」の復習

これも非常に魅力的なワードですよね。

Wikipediaから、一部抜粋します。

(私の主観は入れていません。)

株価大暴落 - Wikipedia

株価大暴落(かぶかだいぼうらく)は株式市場全体で株価

が突如急激に低下すること。

暴落は経済要因に加えパニックにより加速される。

また投機的株価バブル(英語版)に続いて発生することが

多い。

 株価大暴落はある市場参加者の売りからポジティブフィー

ドバックがはじまり、より多くの市場参加者の売りを加速

するという群集心理に、外部経済事象が重なった社会現象

である。

暴落は一般に次の条件下で発生する。

 ・株価の上昇が長期にわたり過度の楽観主義が蔓延

・市場で株価収益率が長期平均を上回る

レバレッジ信用取引に対する市場参加者の過度の依存

 1929年の大暴落は教科書で学んだ方もいるでしょうし

1987年のブラックマンデーは、実体験としで知っている方もいる

でしょう。

ここでは、「2008年の暴落」の、世界への波及部分を少し引用し

ます。

その後2008年9月15日、米証券4位(当時)のリーマン・ブ

ラザーズの破綻と同3位のメリルリンチのバンク・オブ・ア

メリカによる救済合併、翌16日には、米最大の保険会社・

AIGの経営危機による国営化が明らかになると金融収縮の懸

念をし、アメリカは緊急経済安定化法案を議会で提出す

る。

しかし、9月29日に下院で否決されるとダウ平均株価は史上

最悪となる777ドル安をつけるなど、一気に金融信用収縮が

加速する。

10月1日には下院で修正案が可決されたものの、時既に遅

く、その毒は欧州に回り、7日にはロシアでは株価が19%下

落し、アイスランドでは対ユーロでクローナが30%下落

し、同国では全ての銀行が国有化されるなど、未曽有の世界同時金融危機が本格化した。

翌8日、ダウ平均株価が678ドル安をつけると、日経平均

価は翌日881.06円安(-9.62%、過去3番目/当時)と暴落し

た。 

 4.いつもと同じ感想

同じ事象を報道する場合、楽観より悲観、平凡より非凡、一般より

特殊に表現した方が「受けがいい」、それは人間の本質でしょう。

報道は正反対だが実態をよくよく考えると、そんなに相違はない、

こともよくあります。

笑い話的エピソードで、80年以上前の昭和恐慌時の新聞記事と、

数年前の新聞記事がほとんど同じ論調に見える場合あり、です。

2,000年以上前の古典の文言が現代にも通用するケースもあり。

歴史の失敗談を振りかえると「人間の英知の進歩」はないのでは?

「人はすこしも、成長していない」との説も成り立ちます。

以前もちょっと書きましたが

「今どきの若者は勉強しない」とは、大昔から面々と言われてきて

それが真実で人間がだんだんダメになってきているなら、もうホモ・

サピエンスとして、滅んでいるのでは?

話は少しずれますが、新型コロナウイルス報道にも、疑問を生じさ

せる表現多々と感じます。

私の感想は、いつも同じ。

人間の本質は、1万年以上、少しも変わっていない。

対処方法も、変わっていない。

必要なのは、自分の頭で確り考え、決断、行動する、ということ。

  出版が、1998年と言えばもう20年前と古いですが、下記紹介の

「リスク(神々への反逆)下巻」は、投資について興味がある方は

参照するといいと思います。 


 

伊豆の下田で考えたこと 歴史に「たられば」は禁物だが

f:id:xmichi0:20200318233414j:plain

ペリー来航、黒船のイメージ

1.先日、伊豆の下田

に行ってきました。

プライベートです。

下田は、キンメダイの水揚げ量日本一だそうです。

街をあげてのキンメダイのPR、下記伊豆下田観光協会も力を入れて

います。

食しませんでしたが「キンメダイコロッケ」も、よく見かけました。

伊豆下田観光ガイド-伊豆下田観光協会公式サイト- | 伊豆下田

f:id:xmichi0:20200319161231j:plain

昼に食べたキンメダイのどんぶりです。

 

掲載写真は、昼に私が食べた、キンメダイのどんぶりです。

飲んべいで、魚も好きな私はキンメダイの煮つけは各所でよく

酒の肴に注文しますが、「どんぶり」はあまり記憶にありません。

2.下田港

ロープウェイで山に登り、ペリー船団が来た湾を上から眺めて

なるほどと思ったり、市内をゆっくり歩いたりしました。

天気もよかったし、それほど強風でももなかったので、観光散策

には助かりました。

下田港の山の上からの眺めは、「なるほど」と納得。

つまり、ずっと頭をよぎっていたは、江戸時代の西回り航路の船員

しかり、太平洋をはるばる渡ってきたペリー艦隊の船員しかり。

厳しい外洋を長らく航海して「生きた心地しない」ような嵐の体験

が幾多では?

そして、天然の良港下田に逃げこむことができて「助かった」とまず

安堵したのではないかと、思います。

下記掲載の湾の奥にペリー艦隊の7隻も、停泊したそうです。

無論素人と考えですが、風を遮る山の壁がいく通りもあり、きれい

で豊かな淡水の水がある、温暖な気候、田んぼも畑も作れる、

ある意味「天国に思えたのでは?

f:id:xmichi0:20200319163049j:plain

ロープウェイで登り、下田港の湾の奥を望む

3.下田の歴史を考える

(1)下田の街は幕末の頃がピークで、その後横浜に負けて、さび

れたのだろうな、と勝手に想像しました。

現在の下田の人口は3万人に満たないし、観光依存度が非常に高い

ですね。

(2)下記サイトを見つけました

紹介します。(一部を割愛のため、話は、少し流れが悪いです。)

あとで私の感想を書きます。

  日米修好通商条約で横浜・長崎を開港~外国人と仲良くしすぎた下田は閉港へ - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

 安政六年(1859年)6月2日は、日米修好通商条約により横

浜・長崎が開港した日です。 

こののち、長崎、函館、新潟が開港します。

ついでに、上記の五港に先駆けて開港されていた、下田

のお話もしておきましょうか。

実は下田は、他の港が開かれた後、閉港されています。

 というのも、下田の人々が好奇心旺盛すぎて、やってきた

アメリカ人たちと身振り手振りで話して仲良くなってしま

ったため、役人が困ってしまったのです。

まだまだ攘夷派がどこにいるかもしれない状態で、何かあ

ってはそれこそ国際問題。

また、幕府が許していないのに勝手に商売を始められても

大問題です。

そんなわけで、下田は正式な開国が決まるまでの暫定的な

交渉場所という扱いでした。

そのため、他の場所が開港されて半年後、入れ替わりに

閉じられたのです。

 今はいずれも観光地となっていますが、もし開港されたの

が別の場所だったら、これらの町も違った道を歩んでいた

のでしょうね。

その後の諸々を考えると、開港は国が開かれただけでな

く、この五つの都市の歴史が変わった出来事だったのかも

しれません。

 (3) 私の勝手想像で、誤認与えては失礼なので

昭和の下田について、wikipediaから引くと

下田市 - Wikipedia

1928年(昭和3年)、十一谷義三郎『唐人お吉』や川端康成

伊豆の踊子』の小説発表などが下田観光の火付け役とな

り、1933年(昭和8年)の東京湾汽船(現・東海汽船)の客

船就航、伊豆循環道路東海岸線伊東-下田線の完成により、

観光客が多数訪れるようになった。

さらに、1961年(昭和36年)12月の伊豆急行線(伊東-下

田間)開通により、観光客が急増。

観光業が産業の中心となり、1967年(昭和42年)には、

観光客が500万人を超えた。

 その後も、地震や水害などの起きた時期を除いて、毎年、

多くの観光客を迎え入れていたが、バブル経済崩壊後は

減少に転じ、平成16年度は、観光客が約332万人と低迷。

また、下田船渠解散、企業の営業所・寮の統廃合や流通業

の変化による消費の分散傾向が、下田を初めとする賀茂郡

の中心であった市内経済に打撃を与え、海水浴やイベント

中心型観光都市からの脱皮を模索している。

 4.私の感想

私の素養で、「下田の街は幕末の頃がピークで、その後、横浜に

負けて、さびれた」というのは、失礼な発言かもしれません。

しかし歴史をひもとくと、ちょっとしたことから一つの港、一つの

地方、一つの国の興亡が起こったことが、よくあります。

 天候に恵まれ、旅館の夕食、朝食もおいしく、そぞろ歩きした街並み

も何となくお気に入り。

それゆえ、「下田という町の歴史」にちょっと残念が気がしたもの

です。