中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

読書感想文もどきに至らなかった「敗戦記その6」 今回もまた多数紹介

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敗戦記「その6」も同じイラスト

本年1月10日から 「読書感想文もどき」に至らなかった「敗戦記」と

いうのをアップしていますが、今回6回目です。

イラストもあえて、同じものを使用、趣旨も同じで、硬軟とり交ぜ、

当ブログ読者への何らかの参考となればと・・・

1.小川洋子と読む内田百間アンソロジー

内田百間/著   小川洋子/編  

(「ひやっけん」は門構えに「月」なのですが、私があつかえなくて

門構えに「日」としました。)

出版者    筑摩書房 2020.2

あえて一般的な紹介をすると

  現実と幻、笑いと恐怖、彼岸と此岸、あらゆる境界をするりと越

えて、不思議な光を放つ内田百間の珠玉の24篇。

百間をこよなく愛する作家・小川洋子と一緒に楽しむアンソロジー

 となります。

実は「小川洋子さん」のネーミングに惹かれて取り上げました。

小川さんみたいに「こよなく愛する」までは深く読み切れず、

「敗戦記」の典型みたいになりました。

 

  2.親日台湾の根源を探る

台湾原住民神話と日本人

諏訪春雄/著

出版者    勉誠出版 2019.4

また、私の好きな「台湾モノ」です。

台湾にとって日本人とはどのような存在であり、日本と日本人を

どのように語り伝えてきたのでしょうか。

台湾人の多くが日本に抱く愛着心の根源を明らかにします。

 少し引用します。

1949年、蒋介石の国民党が台湾を支配し、
戦前から台湾で暮らす本省人を日本の共犯者として差別した。
この事実が、本省人の意識を「日本=悪者」から「日本=台湾
近代化の功績者」に変えていった。  (P17)
  
(日本による統治が)上手く行ったのは清朝との差異
マラリアコレラなどの伝染病抑止
〇法に厳格、腐敗なき治安
〇農業改革  (P194)
 
台湾と沖縄の神話に神として登場してくる日本人は、台湾では
近代化に貢献し、沖縄では稲作や鍛治文化を伝えた恩人たち
である   (  P200)
 
台湾と沖縄の創世神話に登場する日本人こそ、現実にその地に
足跡を記してきた日本人の行動の歴史そのものを反映した、
本来の日本人の姿なのだ、と。
台湾から見える日本こそが真実の日本なのである。   (P201)
 

3. 海底の支配者底生生物

世界は「巣穴」で満ちている

清家弘治/著  

出版者    中央公論新社 2020.2

地球の表面の7割を占める海底に穴を掘って暮らす底生生物。

波乗りして移動する底生生物とは?

東日本大震災前後で三陸の海底生態系に何が起きた?

 巣穴研究の最前線に立つ著者が、底生生物の生態と海底の神秘

を綴る、というものです。

少しずれますが、今年2月15日に取り上げた「土地球最後の謎」

「土 地球最後のナゾ」(読書感想文もどき) 100億人を養う土壌を求めています - 中高年michiのサバイバル日記

 を思い出しました。

ということで、私の好きなフレーズを引用

この世の中「わかっていないこと」のほうが「わかってい

ること」よりも遥かに多いといって過言ではありません。

いや、何が「わかっていない」のかさえ、正確には誰も答

えることができない状況、と言った方が正しいのかもしれ

ません。

そして、その「わからないことがわからない」ものの一つ

が、私が研究している海底に住まう生き物たちなのです。

P24

 自分の全く知らない世界を垣間見せてくれて、私の理解力で「そこ

そこついていける」という、分野でした。

 

4.地図と写真でわかる江戸・東京

 西東社編集部/編

出版者    西東社 2020.4

江戸・東京の10大事件、江戸の町づくり、江戸城、名所、地形、寺社…。

江戸・東京の歴史を、約100枚の現代地図と古地図、豊富な写真で紹介

しています。

東京在住でない方には、なーんあだ?かもしれません。

友人の不動産会社社長は根っからの東京人でよく私の東京地形のレク

チャーをしてくれていました。

その甲斐あり断片的知識はあったのですが、「第7章江戸の地形と発

展」がよい整理となりました。

 

5.歴史人口学事始め

記録と記憶の九〇年

 速水融/著  

出版者    筑摩書房 2020.2

歴史人口学の泰斗、速水融の遺著です。

戦中の勤労動員、ヨーロッパの先端研究の導入、網野善彦梅原猛

の出会い、時刻表をヒントにしたデータシートの考案など、90年間の

学問人生を回顧し、人口減少社会の未来を考察しています。

勤勉革命」の引用 P282から抜粋

(17世紀後半の濃尾地方の村の調査がヒントであるが)

 もし長時間激しく働いて、それが自分たちの生活水準の向上になっ

て帰ってくるなら、みな一生懸命に働くだろう。

私は人が「勤勉になった」と言う表現のほうが適していると思う。

働くことに一つの道徳性が与えられる。

産業革命」に対して「勤勉革命」と名付けた。

なお、日本が人口減少社会となったのは必然として

これをチャンスにするのもしないのも我々しだい、である。

( P304)

 

6.セロトニン

ミシェル・ウエルベック/著  

関口涼子/訳

出版者    河出書房新社 2019.9

私は、小説は、ほとんど読みません。

その中では、ミシェル・ウエルベックは「素粒子」、「ある島の可能

性」、「服従」と少し読んでいます。

今回も、未消化感は否めません。

内容としては、

巨大化学企業を退社し、農業関係の仕事に携わる43歳のフロランは、

恋人の日本人女性ユズの秘密をきっかけに<蒸発者>となる。

過去に愛した女性の記憶と呪詛を交えて、現代社会の矛盾と絶望を

描く、と言った具合です。 

 
 
 
 

「しがみつく」ことは必要 生物の本能でもあり、大切な事 マイナス思考の方が不可 

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しがみついている中高年のイメージです
1.「しがみつく」のは悪いこと?
(1)「しがみつく」という言葉は、どうもマイナスイメージが強い
ようですね。
人の考えは、千差万別であり、私の主張を決して強要するつもりは
もち論ありません。
ネットで下記のような、見解をみつけました。
➀「会社を辞めたい、辞めたい」と、グズグズ言っている人は、
  仕事や上司、お客さまが気に入らないくせに会社にしがみついて
  いるから。
  気に入られなければ、辞めればいいだけです。
  自分がイヤな人にしがみついているのです。
② お金のある人に、お金が集まります。
  お金のない人に、お金は集まりません。
  しがみつかない人には、人もお金が集まってきます。
  しがみつく人からは、人もお金も逃げていきます。
(2)上記の➀は「しがみつく」をイヤなことがあるのにその場にい
ることのマイナスイメージで、②はお金と「しがみつく」の関係が、
良く解りません。
私は「しがみつく」をタイトルに書いたように、本能的な面もあり、
明るく前向きにとらえていこうというもの。
本当に、心底自分で「離れていい」と思うまで、(強制的でなく
許されるなら)しがみついていけばいい、というものです。
 
 2.「しがみつく」事例から
➀母親にしがみつくお猿の子供
イラストや写真が無くて恐縮ですが、木と木の間を移動する母ザル、
振りおとされないように、必死でしがみついてる子ザルをイメージ
してください。
当該子ザルにとっては、母ザルが「全世界」の大部分を構成しており
彼女に「しがみついている」しか、生存できないわけで、生物の本能
的行動でしょう。
本能的行動と社会的行動は違う、との見解も大ありですが、それは
後述とします。
②絶叫マシーン
 新型コロナ感染症対応は、至る所で皆さん創意工夫、ですよね。
 先日、思わず笑ってしまったのは、遊園地の絶叫マシーンの最近
「心の中で絶叫してください」
 絶叫マシーン愛好家には、「思い切り叫んでストレス解消」もあ
るでしょう。
しかし、それこそ本能的に、思わず声がでしまうことも。
その際、レバーをしっかり握りしめ、「しがみついて」恐怖心を克
服しようというもの。
「物理的に叫ぶのでは、心の中で絶叫しろ」とは、また難しい課題
出されるものです。
③生きていくために組織にしがみつく
これは、とても大切なことです。
たとえば、テレビのコメンテイターという職業があります。
そもそも、テレビ番組をどう評価するかは、置いといて、
ある自分がよく知る世界の話題となると、このコメンテイター
なる者の発言に、首をかしげることがあります。
はっと思うのは、自分がこのコメンテイターと同じレベルで
ものごとを評価しようとしていたこと。
彼(彼女)も、生きるため、生活のために、そのテレビ部番組
出演し、いくばくかの報酬を得るのでしょう。
番組作成者の意図を組んだ「やらせ発言」もあるでしょう。
コメント内容を判断するのは、あくまで、こちらの方。
相手には、温かい目が必要かと思います。 
④営業手法として、相手に「しがみつく」
 売り上げ確保(収益確保)のために、対象を逃さないように
するのは定石です。
スッポンのように「食い付いたら放さない」との表現をとるこ
ともあります。 
ここでは、触れませんが、もっと高度な営業戦術もあり、相手に
「しがみついている」ことを見せないそぶりもあります。
本質は、同じです。
相手を「よい気分」にさせて、結果を出し、最終的に自分の報酬を
得ることです。
⑤もっと単純に
せっかく得た利権(ひと様に迷惑かけない合法的なもの)なのだか
ら手放すのは、もったいない。
最後まで、しがみつきたい!
以上、上記1(しがみつくのは悪いこと?)の結論のフォローで
した。
総じて、「しがみつく」ことは、前向きな大切なことだと、私は
言いたいわけです。
  

3. まぜっかえすようですが・・・

少し離れて、精神状態の別の議論の話。

しがみつこうとすると、よけいしんどくなる場合もあります。

仏教で言う「執着」ですね。

「全ての苦しみは執着から生まれるので、しがみつかない大人になる

ことが大切です。」という見解もあるでしょう。

この見解には、賛成です。

ただし、上記で述べてきた「積極的なしがみつき」ではなく、「囚わ

れの結果のしがみつき」の感じがします。

後者からは離れて「解脱」に向かうのは、私も大変良いことだと

思います。

ハドリアヌス帝の回想(読書感想文もどき)大作です 取り組みに私の疲れあり 自伝と間違えるくらい

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哲学者の素養を持つ皇帝ハドリアヌスのつもりです。

ハドリアヌス帝の回想

原タイトル:Mémoires d'Hadrien

マルグリット・ユルスナール/[著]  

多田智満子/訳  

出版者    白水社 2008.12

1.概要

 

あまねく世界を支配した古代ローマの、五賢帝の一人と称えられるハ

ドリアヌス帝が、死に臨んで自らの生涯を回想します。

これは筆者ユスナールが、皇帝の内面に入り込んで、彼に一人称で語

らせた想像的自伝なのですが、どこまでが歴史上のハドリアヌスで、

どこからが小説の主人公なのかが分からないのです。

理想家でリアリストでロマンチストで激情家で俗人である皇帝の多面

的な魅力が、良く解ります。

「リズミカルで、ひたすら美しい文章が魂を揺さぶる」とはかの三島

由紀夫や、出口治明さん他、多数の方が述べていますが、残念ながら

私は、文章の美しさを鑑賞するレべルでは、ありませんでした。

 2.ピックアップ

自分の生をつくづくと省みるとき、わたしはそれが曖昧な形を

している目標に向かって飛んでいく。

そして大部分の人間は自分の生涯を一つの公式にまとめるのが

好きである。

ある者は自慢にし、ある者はめそめそ繰りごとをならべ、ほと

んど例外なしに他人を非難しながら自分の一生を語る。 (P31)

 

人間の精神は、自分が盲目的な運命の手中にあること、そし

て自分がいかなる神もみそなわさぬ、また特に自分自身がまっ

たくあずかり知らぬ偶然の気まぐれな産物に過ぎないことを、

認めらたがらぬものである。 (P34)

 

わたしが大多数の人間よりすぐれていると感じる点はただ

一つしかない。

それはわたしが、彼らがあえてそうあろうとする以上に自由

で、同時に従順である点である。  (P51)

 

わたしは皇帝であることを学びつつあった。
自分ではできそうもない大胆なことが、ほかのだれかが責任
をとってくれるとなると、たやすくできた。(P68)
 
わたしの情事はもっと穏当なものだったが、
しかし娼婦にはいつも吐き気をもよおし、結婚生活にはもう
うんざりしている男が、どうして姦通以外の方法でさまざま
な女たちとねんごろになれるのか教えてほしいものだ。 (P70)
 
尊厳という純金は恐怖という金属を混ぜなければ柔らかすぎるのだ
う。 (P115)
各人は自分が安全だと感じるとその喜びのために死者のことはじき
忘れてしまった 。  (同)
粗野な人びとがある弱さあるいはたぶん卑怯さの一形態と見ていた
端な礼儀正しさは、いまでは力を隠すなめらかな艶のある鞘とみなさ
れた。 (同)
 

しだいしだいに、あらゆる神々はひとつの<全体>のうちに神秘的な

融合を遂げ、同じ一つの力の無限い多様な発掘、いずれも等しい現わ

れであり、神々の間の矛盾は調和の一形態にすぎない、と思われてき

た。 (P181)

 

すでにずっと以前から、わたしは神の本性について哲学者の不細工な

解釈よりは、神々の恋愛やいさかいに関する神話のほうを好んでい

た。   (P183)

 

イタリアの行政は、幾世紀ものあいだ、地方長官の意のままにされて

いて、いまだかつてはっきりと法文化されたことがなかった。

その行政を決定的に律する<永久の法令>」は、わたしの生涯のこの

時期に実施されたはじめたものである。  (P240)

 

最近一世紀間における風俗の醇化と思想の進歩は、ほんのひとにぎり

のすぐれた精神たちの仕事であって、大衆は依然として無知で、そう

なりうるときには凶暴で、いずれにしても利己的で、視野が狭い。

そして大衆とは将来も常にこの通りなのだと賭けておく方が勝ち目が

ある。 (P258)

 

(ハドリアヌスの妻のことです)

彼女は子共を産まずに死ぬことで自分を祝福した。

わたしの息子はきっとわたしに似るだろうから、その父に対するのと

同じ嫌悪を子供にもいだくようになっただろう、と。 (P275)

 

私はすべてを神々にゆだねている。

と言っても、人間のものでない神の正義に前よりも信頼を置いている

からではなく、むしろその逆こそ真実である。

人生は無残なものだ。 それは解っている。

だが、人間の条件から大したことを期待していないからこそ、まさにその

ゆえにこそなおさら、幸福な時代、部分的進歩、再開と継続に努力

が、もろもろの悪や失敗や怠慢や過誤の膨大な集積をほとんど償うに

足るほどのすばらしい驚異と思われるのだ。  (P309)

  3.最後に

  「美しい文章」については「1.概要」に書いたように、いまいち鑑賞

できませんでした。

なお、当該書籍を出口治明さんが高く高く評価しており、実はそれで

読んでみたですが、私が「回想」の前提となるハドリニアヌスの業績

や、行動履歴を完全に把握しているわけでないため、出口さんのよう

には、いきませんでした。

とはいえ、上記引用や引用しなかった部分含め「ハドリニアヌスな

ら、そう考えたんだろうな」と感じ入るところが多々ありました。

今回も非常に骨太な書物に、がっつり取り組んだ、非常に疲れる読後

感でした。

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フランス革命についての省察(読書感想文もどき) バークの古典的名著「保守主義」の何たるかが、よく解ります。

 フランス革命についての省察 

原タイトル           Reflections on the Revolution in France

エドマンド・バーク/著  

中野好之/訳  

出版者    岩波書店 2000.7, 8

1.概要

フランス革命への批判がなされていて、保守主義聖典といわれてい

ます。

省察』は私的書簡という形式で書かれており、冒頭において「名誉

革命」の本質を明らかにしつつ、フランス革命擁護者への反論となり

ます。

権利章典を引きつつ名誉革命において、イギリスは世襲的王位継承を

選択したと主張しています。

残りの大部分はフランス革命への批判、そして革命が今後どのような

経過を辿るかの予測をしていますが、フランス革命の例えば数十年後

に、歴史家として十分な分析をして書いた、のではなく、まさに同時

代の現在進行形での分析です。

省察』には、バーク哲学の主要概念が述べられてて、

文明社会・法の支配・伝統・慣習・相続・世襲制度・偏見、教会など

の中間組織、私有財産権の擁護が主張されており、それらを破壊する

フランス革命への非難がなされています。

また理性主義・平等主義・民主主義などへの反駁もなされています。

2.ピックアップ

第1部から

貴下が得た利益なるものを数え上げてみよ。(中略)

フランスはこの間違った明光を追求することで、これまで文句なしの

純粋な至福を購入してきたどんな国民よりも高い代償で、このみっと

もない惨害を買い込んだ。

フランスは、犯罪によって貧困を買い入れた。

フランスは、自己の利益のためにその徳性を犠牲にしたのではない。

フランスは、自らの美徳を冒涜する魂胆で、自己の利益を放棄しただ

けに過ぎない。  (P72)

 

過去の革命を成就した人々は、国会社会の変革の企画もしくは実現に

際して、彼らがその平穏を擾乱した国民の威信を高めることで、自己

の野心を神聖化してきた。

彼らは、偉大な視野を持っていて、自分の国土の破壊ではなく統治を

目指した。

彼らは、内政と軍事との偉大な才幹の持ち主であって、その時代の

恐怖の的にして同時にその光輝であった。  (P90)

 

敢えて言うならば、水平化を試みる人間は決して平等を生み出さな

い。

市民の多様な階層から成り立つ社会では、必ずや一部の人々が高い地

位を占めるはずであり、従って、水平化する人間は事物の自然的秩序

を改変し歪曲するだけである。

彼らは、構造上の安定のためには地上に置くよう要請される要素を空

中高く据えることで、社会と言う構造物に負担を強いる。 (P92)

 

彼らは何かを必ず破壊せねばならず、さもないと自分の生きがいを実

感できない。

一部の徒輩は教会権力を通じて世俗権力を、他の一翼は世俗権力を通

じて教会権力の破壊を企てる。  (P107)

 

私は、抵抗や革命についての不断の話題を、つまり憲法の危急の際の

薬剤を日常の糧に変える手口を好まなかった。

それは必然的に、社会の体質そのものを危険なまでに虚弱にする。

 (P117)

 

彼(ルイ16世)がパリやプライス博士の残忍で侮辱的な凱旋にふさわ

しかったと考えることに、この上ない困難を感ずる。

私は、自由の名分のためになされたこの種の国王への見せしめに戦慄

する。

私は、人間性大義にもとづいて、この種の最も奸悪な徒輩の暴虐が

罰せられないことに戦慄する。  (P151)

 

彼らにとっては、事物の古い枠組みは、それが古いというだけで破壊

の充全な動機となる。 

新しい枠組についていえば、彼他派、慌てて建造される建築物の耐久

性には何ら不安を感じなくて済む。

何しろ、自分たち以前の時代に達成された事業にはほとんど何の関心

もなく、万事を発見への希望に繋ぐ彼らには、耐久性など最初から眼

中にない。(P161)

 

我々は、このような観念にもとづいて、一部の徒輩にように、既成制

度への敵対を自らの宗教と哲学へと仕立てて、これと事を構えるのと

は正反対に、あくまでこれに固執する。

我々は既成の教会、既成の君主制、既成の貴族制度、既成の民主制を

ば、今それらが現にある姿で、つまりそれ以上でも以下でもない形で

護持する決意を固めている。 (P168)

 

私有財産にこれほどまで恐るべき革命を生み出した野蛮な征服者は、

過去にほとんど存在しない。

ローマの派閥の頭目たちが彼らの掠奪品の競売で「アノ惨酷ナ槍ヲ」

立てた時でさえ、かほどまでに膨大な量の被害服民の資材を彼らの競売

には、掛けなかった。  (P209)

 

第2部から

彼らの計画には経験上それらの有益な傾向を裏付けるいかなる要素も

存在しないゆえに、私はあえて場当たり的という。( 下巻 P61)

 

古い体制の有用な部分が保存され、新しく付加された部分が既存の

部分へ適合される時にこそ、強靭な精神力、着実で忍耐強い注意力、

比較し結合する多面的な能力、そして便法をも豊かに考え出す姿勢の

秘策が発動されるべきである。  ( 下巻 P65)

 

全編への結語から

私は確かに一部の人々に偉大な自由を見出すものの、圧倒的とは言わ

ぬまでも多くの人々の中には、逆に抑圧的で見苦しい奴隷根性を見

る。

だが、叡知と美徳を抜きにした自由とは何か?

それは、考えられるあらゆる悪の中で最大のものである。

 (下巻 P196)

 

私は変更を必ずしも排除しない。

だが、変更を加える場合にも、それは保存のために行われるべきであ

る。

私は非常な苦痛に接して初めて、私の救治策を講ずるだろうが、それ

を実際に行う場合にも、私はわが祖先の手本に見習いたい。

(下巻 P199)

  3.他者の分析引用

「革命批判」と、「リーダー論」に気に入った分析があったので引用します。

フランス革命の省察とは (フランスカクメイノセイサツとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 (1)フランス革命への批判

バークは、フランス革命は「人間の権利」という抽象的原理に基づく

革命であり、それは先入観と社会的紐帯の中でのみ自由が可能になる

という人間的現実を無視し、実際には人間を「野生の自然状態」に戻

してしまうものに他ならないと言う。

それは教会をも含めて社会的紐帯を全て破壊し、人間の社会的まとま

りの手がかりとなるものを次々と破壊してしまった。

貴族制的要素は政治的平等の教義によって無視され、いい加減な人間

たちが権力を独り占めする状態を招いた。

 (2)リーダー論

バークは、「自由な国制」が無作為で安定的に存続するとは考えない。

リーダーはその存続のために一定の作為や活動をしなければならない

と説く。

政治エリートのこうした能力をバークは思慮(prudence)や実践的

知恵(practical wisdom)、正しい理性と呼んでいる。

これに対してフランス革命は哲学的な革命であり、形而上学者や哲学

者によって行われた「思弁」に基づく革命であるというのが、バーク

の説である。

  4.最後に

これだけの古典となると、幾多の先人が分析し、論じており、おそ

らく、相当部分は的を射た解説なのでしょう。

とはいえ、別に試験勉強をしている訳ではないので、自分の理解度の

自信の無さは、横において、自力で読みすすめてみようという、冒険

でした。

 

なお、下記紹介は「中野好之訳(岩波)」ではなく,「新訳佐藤健志訳(PHP

新書)」としました。

 

 
 

株式投資の基礎 第17回 素朴な順張り、逆張りの話 私見は、流れを追わずバイ&ホールド

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今日は順張り、逆張りの話です。

1.投資手法の「順張り」と「逆張り

(1)まず、素朴な言葉の定義と、一般的に言われるメリット・デメ

リットを書きます

順張りとは、

株価のトレンド(流れ)に乗って株を買ったり売ったりすることで、

基本的に株価が上昇している場合は、トレンドの流れに合わせて株を

買う手法

つまり順張りで投資をするということは、現在まで価格が上昇を続け

ている株の価格がさらに上昇すると予想をして、株式を買うことです。

 逆張りとは、

株価のトレンド(流れ)に逆らって株を買うことで、基本的に株価が

下落している時に株を買う手法です。

 逆に、空売りでエントリーする際は、株価が上昇していくタイミング

空売りの玉を仕込むことになります。

 つまり逆張りで投資をするということは、価格が下落を続けている際

には株が近々上昇に転じると予測して株を買い、株価が上昇している際

はそろそろ天井ではないかと考えて空売りの玉を仕込むということです。

 (2)メリット・デメリット一般論

➀順張り場合

株価のトレンドに合わせてエントリーするため利益を狙いやすく、初心

者でもトレードがしやすいが、トレンドの判断するのが遅れてしまった

際には株価が上昇、もしくは下落しきってしまう。

またエントリーしたタイミングが天井か底になってしまい、損失を抱

える。

逆張りの場合

株価のトレンドが転換する前に玉を仕込むことにより、より大きな利幅

を狙うことが可能となるが、転換点と予想していたポイントでトレンドが

転換しなかった場合、損失額が膨らむ可能性がある

(3)あるアドバイザーの意見

株式投資の初心者には順張りの方がおすすめ

逆張りは大きなリスクを取るためリターンも大きい

まずは順張りを身に付けて、その後他の投資技術も学ぶべきです

2.最近の新聞記事から

2020/7/6 11:00日本経済新聞 電子版の

「AL・ANAに「逆張り」の買い 個人株主数が最高」から、すこし抜粋

JAL・ANAに「逆張り」の買い 個人株主数が最高 :日本経済新聞

(1)東京証券取引所によると、2019年度の個人株主数は延べ5672万人と

過去最高だった。

「老後2000万円問題」などを契機にミレニアル世代が資産運用に踏み出し

ている。

新型コロナウイルスによる急落相場では日本航空ANAホールディングス

に個人の「逆張り」の買いが入った。

配当利回り株主優待を手がかりにした銘柄選別も進んでいる。

(2)所得が伸びない「低成長」の経済しか経験していないミレニアル

世代は、もともと副収入につながる投資への潜在的な関心はある。

FX(外国為替証拠金取引)や暗号資産(仮想通貨)のブームに乗った人

も多い。

 

(3)ミレニアル世代を含む個人マネーはどんな銘柄を買っているのか。

有価証券報告書などに記載される個人株主数の変化をみると、まず相場

の大底を狙って買い向かう「逆張り」の傾向がうかがえる。

(4)ある証券会社社員の見解

3月中旬以降の戻り相場で入ってきた短期売買の個人は定着するかどう

か不透明だ。

新興市場の一部銘柄への期待が過熱すると、多くの個人投資家が退場を

迫られた06年の「ライブドア・ショック」の再来につながりかねない。

3.私の考え

(1)順張り、逆張りと分ける場合、「株価のトレンド(流れ)を読むこと」

 求められているようだが、本当にトレンドを読める投資家がいるんでしょ

 うか。

 たとえば、逆張りと言って、買い下がりながら、ついに、倒産や上場廃止

なり投資資金がゼロになるケースもあるのでは?

 単に、上がってきている株を買うと「順張り」、下がってきている株を

 買うと逆張り」と言っているのでは?

 (2)別の日の「株式投資の基礎」ブログで書いていますが、

 新型コロナ感染症対応で、米国で一人1000ドル、日本で一人10万円の資金が

 個人にわたり、その資金の一部が「足の速いおカネ」として逆張り投資に向か

 っている感じがします

 この観点からすると、おカネの正確は「短期売買」投資でしょう。

 FXや暗号資産投資と、同じベルで考えている人もいるでしょう。

 日本では「配当狙い」や「株主優待狙い」としても、あるようです。

4.冷水を掛けるようですが・・・

上記で述べてきた「タイミングを計る」、順張り・逆張り投資議論に、以下は

冷や水を掛けるような話です。

・「人のゆく裏に道あり、花の山」

・「誰もが見向きもしないときに」

・「市場が真っ赤な地で染まっているとき」

等々、付和雷同でなく、大衆の動きと一線を画するべし、というのは

投資の鉄則でしょう。

一見逆張り投資にみえるかもしれませんが、私が言いたいのは、

よくよく研究して、これは長期的に大丈夫という銘柄を買うべし。

➀選択する銘柄こそがすべてであり、市場が、その他と長期にクローズして

も構わない。

②対象が決まれば次にタイミングで、それは、市場が冷えて「不人気」な時

がよい。

ウォーレン・バフェット流投資といったところでしょうが。

 

思い出含め、いろいろなものが流されてしまいました。 地元の球磨川氾濫から思うこと。

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昔は釣り小僧でした

1.球磨川氾濫のニュース報道

陳腐な表現となりますが、「自然の力」は、すさまじいものです。

おそらくテレビが登場して以来、私の地元が、ここまで大々的に

報道されることはありませんでした。

おそらく今後もないでしょう。

悲しいことに、報道の内容は、災害、地元を流れる急流が、連日の大

雨をうけ氾濫、地域全体が、水浸しとなり、甚大な被害というもの。

報道は、別のサイトで見ていただくとして、今回は、書評や、社会情

勢コメント等でなく、極めて、個人的な話を書きます。

2.昔話から

昨年10月30日に「釣りの思い出」として下記ブログをあげています。

釣りの思い出(子供の頃、学生時代、社会人、最後は子供の見守り)原点は球磨川 - 中高年michiのサバイバル日記

冗長になりますが、

熊本県球磨川のハエ釣り

と題した、小文を再掲載(一部カット)させてください。

九州の南の方に、人吉盆地を流れる球磨川という急流が

あります。

「アユ釣り」で有名な川です。大きい尺アユが取れます。

メディアでもよく取材が流れますし

関西から西の方に住まいの「アユ釣り師」なら球磨川

知っているはずです。

さて、球磨川は、子供の私にとっては、自転車で、もしく

は歩いても行ける近場の川です。

内容は、普通の川釣りです。

ハエ(一般的にはウグイ?)を狙います。竹竿に道糸と

テグスをくっつけて、リールはありません。投げ釣り出な

いので、道糸もごく短いもの。

ウキ釣りで、エサはドングリムシまたはサシムシ。

一時期は集魚用の「マキエ」もよくしました。

子供で釣りあげられないような、そんな大物がかるわけではありません。

しかし、ブルブル竿が震える、「引き」の感触がいいで

すよね。

手軽な娯楽、といえばそうですが、幼少から中学生まで、

かなりの期間、よくハエ釣りに出かけました。

ハエの引きは楽しみますが、持ち帰って母に甘露煮依頼

するわけでなく、キャッチアンドリリースですね。

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橋げたにいろいろ引っかかります。最悪、橋が流されます

 3.幸い人的被害は、なかった

高齢の実父母や、親戚もこの熊本県人吉市在住なのですが、幸い

現在の住まいは、割と高台にあり、水没は免れました。

固定電話はダメですが、携帯は通じました。

陸の孤島」状態は否めませんが、実父母の所は、電気ガス水道の生

活インフラは、切断されていないようです。

2.昔話からの「釣りの思い出」の頃、私の子ども時代の住まいは球磨

川のすぐ近くの家でした。

今回、堤防の決壊もあり、私の生まれ育った地含めこの市街地は、一

の水浸し状態。

私の思い出の地が、いくつも物知的に「泥をかぶった」状態です。

ここまでひどいのは、今回が初めてですが、

もう少し小さいのは、何ども経験あります。

川の氾濫後は、後片づけが大変、経験者でなくても解ると思います

「床上浸水」というのは、泥水が、いろんな生活物資を混ぜこんで

家の中まで、入り込んでくるのですからね。

4.生活の再建

私と同世代、またより若い人のほとんどは、現役世代の生活者です。

市役所勤務や、教職員だけでなく、地元で旅館や飲食店の経営(及

び)勤務の方々も、たくさん知っています。

(農家の方も少数親しくしていますが、ここでは述べません。)

後者にとっては、飲食店や旅館が、自分の城なのですが、こちらが

かたなく流される、もしくは「床上浸水」による、使い物にならな

い、状態。

悔もうにも、自然の力の前に、いかんともしがたい、状況ですよね。

旅館や飲食店の話を続けます。

実質、ことし2月くらいから、新型コロナ感染症の影響がではじめる

のは、ある面日本全国一緒、と言ってもよいでしょう。

5月を過ぎ、6月も過ぎ、「緊急事態宣言」も解除され、漸く人の動き

「温まってきた」矢先の話ですからね。

「大変ですよね、頑張ってください」とか、「どこ見いても、みんな

生きていくのは大変です」とか、軽々しく私には言えません。

「掛けるコトバを失う」というのが、的を射た表現でしょうが。

5.最後に

実質的に自分と無関係だら、報道するアナウンサーや、テレビ等のコ

メンテイター等々が無責任にしゃべっています(実は、他人の考えを

言わされているだけ?)が、責任とれないから、それはそれとして

無視しています。

ただ、「正確な報道だけにしてくれ、解りもしないコメント挟むな」

とついつい、いらだっている自分を感じています。

(彼らは自分の言葉でないかもしれない、冷静に!)

特別お題「仕事と子育て」 私の場合、子供に遊んでもらった思い出話です

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仕事と子育て両立に苦悩する女性(男の私ではありませんよ)

1.お題は「仕事と子育て」ですが・・・

(1)特別お題のニーズとしては、

結婚、育休、在宅ワーク、転職など、仕事と子育てにまつわる前向き

な話を希望しているのでしょう。

忙しい日々の中で、ふと子どもに癒やされたとか、パワーをもらった

とか。

仕事と子育ての両立に悩んだ時期を、家族に支えられたとか。

といった、エピソードにより、読者に元気を出してもらうという趣旨

かと思います。

 (2)私の場合、地元九州を離れて、首都圏で妻とふたり、双方の祖

父母は当時健在でしたが、双方熊本県住まい、親戚も県内、といった

具合。

つまり、妻の直接的なサポーターは、近くにいません。

(最も、夏冬と、子供が小さいときは帰省しており、じいちゃん、ばあ

ちゃんにはよく接して、いました。)

私はどうかというと、子供が育つ頃は組織人として割と多忙で、「子

育て」参加は、土日の一定時間ぐらい。

ほとんど妻任せの子育てであり、このお題でブログを書くこと自体、

僭越かもしれません。

とはいえ、子供と過ごした思い出はいくつかあり、

「子供に遊んでもらった」思い出話をとりあげることにします。

2.子供に遊んでもらった思い出

妻に命じられて、土日に「子守をする」という名目で、子供の相手を

したという「おとうさん」は多いでしょう。

私もその口です。

私は、実質「子供に遊んでもらって」いい運動をした、と当時から思

っていました。

 (1)「子守(監視)」の話

 私の場合、1歳5ケ月しか離れていない男の子ふたり、です。

ずいぶん長い間、子供に遊んでもらいました。

例えば、トイザらスでの一面。

勝手に遊ぶ二人の間を動物園の熊みたいに行ったり来たり、たまに

トラブルありです。 結構歩いたと思いますよ。

また、近くの公園にも、よく行ったのですが、下の子供が、行方不明

となり、警察に保護されたことが、ありました。

 彼(次男)は警察に対して、自分の名前の話をしたようですが、

「す」と「つ」の発音がよくできなくて、氏名を間違えられていまし

た。

(2)釣りの思い出

➀本格的な磯釣りに、ファミリーフィッシングです。

子供と釣り道具を車に放り込んで、千葉県浦安市を流れる境川

餌のゴカイを買い、釣り場到着。安全な場所です。

私は子供が釣るのを、サポートとしたり、監視したり。

サポートなんて書いていますが、幼児の時は特に投げるポイント

指示や、タナの取り方、糸のもつれを取る、エサに脱着とか、何で

も屋です。

「監視」には兄弟げんかも含みます。

さて、ハゼは、持ち帰って天ぷらにできます。 

ハゼ釣り、というよりは「ハゼ釣りをする子供の見守り」ですね。

新浦安はいろいろ釣り場があります。

② 倉庫のある堤防近くで、サビキで、回遊してきたコイワシ

たくさん釣ったことがあります。

この時は、子供にもよく釣れました。(こちらはリリースです。)

複数の魚がサビキにかかって、小学校前の子供には少し竿が重く

なり引きが楽しかったようです。

 ③ また、子どもに、「おとうさんのいいとこ」を見せようと、

ルアーで夜の浦安港での、スズキ狙いをやったこともあります。

向こう岸にはディズニーランドの明かりが見えます。

子供を、車に乗せて同伴させていったこともありますが、その際、

釣果無しの撃沈でした。

(3)次男の名言(迷言?)沖縄はいまなんがつ?から

沖縄旅行の昔の写真を見ると、某年4月29日です。

羽田から、飛行機で沖縄の那覇に飛んだのですが、東京は、すこし寒

かったのでしょう。

幼児であった次男には、飛行機の中で眠っているうちに外は一気に暖

かくなったので少し混乱、はて何が起こった?。

 想像するに、当時の次男の月齢で

  カレンダーの1月から12月の意味は理解できる。

  暑くなる、寒くなるといった季節の移り変わりも、理解できる。

  温かい寒いという季節感と、カレンダーが 紐づけられていた

  のでしょう。

 つまり、(彼の頭の中は)これくらいの暑さ寒さなら、カレンダー

でいうこの月くらいという具合。

東京では、親から、もうすぐ5月だよ、と教えられていたこともあ

り、彼には肌寒さが、「もうすぐ5月」だったのでしょう。

飛行機が沖縄に到着、急に暑くなったので

彼の思考回路が、

「この暑さなら7月とか、8月というんだろう。

 沖縄は、今何月なのか、そうだ、お父さん、お母さんに

聞いてみよう」となったのでしょう。

3.今となっては

子どもたちも成人して、月日が立ち、お題の「仕事と子育て」もはる

か昔の思い出となりました。

こどもは、飢餓、病気やケガ、内乱、戦争、難民化等で亡くなること

もなく、成人しました。

それは、決して全世界的に見ると「当然」では、ありえず、まずこの

環境に感謝です。

また、当たり前ですが、こともも私とは別の人格。

それぞれ別の人生を送っていくわけです。

私の生命が続く限り、というか私の脳細胞が正常に動く限り、私の思

い出は私のものとして存在しつつけます。

まさに私の経験であり、対象の子どもにも、ましてや他人には無関係

の感情。

それがナンダ、と言われると、私にとっては大切なもの、というだけ

です。