中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

勉強会で集客の商法 昔も今も 本質は不変、手段は多様化

1.集客ニーズ

勉強会とか、セミナーとか銘打って、割と安めの講習費用に設定し

て、集客することは常道です。

昔も今もよくあります。 

そもそも、困りごと、不安を解消するのが、商品販売の基本。

保険商品などは、その典型ですね。

自分は100歳まで死なない、自分は病気にならない、とか言えるヒト

はいないわけで・・・。

勉強会やセミナー参加の意図は、様々でしょうが、困りごと、不安を

解消という意図は、あるでしょう。

 

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オンラインでないセミナー風景のイラストです。

2.主催者のコスト意識

さて、「主催者」側に立って少し考えてみます。 

(1)勧誘資料を、郵送で送るしかなかった時代は、郵電費用が、

大きなネックでした。

昔(30年くらい前)ですが、ある知人は、保険ダイレクトメール

を打って、開封率は1%くらい、とか言っていました。

1通に開封のために、100通送った郵便費用は、すごいですね。

また、海外経由で国際郵便仕立てにして、制度の隘路を突いた、

大幅コスト削減策といった手法も話題になりました。

見込み客はどこにいるのだろう。

 『魚のいるところで、釣りをする』ニーズは切実、今も昔も、

これは同じです。

(2)今度は今と昔で「変わる」話です。

これだけ、インターネット普及すると、劇的に郵電コストが安く

なりました。

 インターネットのみでの集客を考えると、実質的な郵電コスト

を、限りなくゼロのすることもできそう。

そうすると、別のことに使えます

逆手を取って、あえて「紙のダイレクトメール」もありでしょう。

なんと、勧誘対象者に少額の金銭を与えて、集客できる手法もで

きます。

誘電費用のコストが削減されたわけで、それを、勧誘対象者に

使おうが、それは手法の一つ、主催者側、商売側の選択に過

ぎないことになります。

 

3.勧誘者側の意識

一方、勧誘対象者には、大きな変化があります。

そもそも学ぶためには、費用が必要で、その費用も安くはないと、

二の足を踏んでいたが、なんと、少額の小遣いもらえて学べる

となると、参加するための、垣根はずいぶん低くなります。

 オンラインセミナーに参加して、依頼(少額報酬のために)感想

を書いているちに、なんだかそのセミナーの「シンパ」的になる

人も一定割合出てきます。

無料セミナー部分は、おそらく「導入」で包括的に学べることに

ならないのが大部分でしょう。

そして、そのシンパシーを感じた人のまた一定割合の人が、本来

主催者側が販売目指している商品を購入することになります。

 

4.私が思うこと

上記のように、勧誘対象者に少額のコストを払って、結局本来販売

したい商品を、損益分岐店売上以上販売できたら、主催者側はプロ

ジェクト成功、となります。

困ったこと、不安なことを解消したいという人間の心理は、いつの

時代も変わらずであり、故に勧誘の基本はいつの時代も同じ、で

しょう。

ただし、テクノロジーの発達や、社会環境の変化で、新たな、

手法がどんどん出てくるのでしょう。

例えば、手法自体がどうしても好ましくない、ということが社会

全体のコンセンサスになれば、制約が出てくるのでしょうが、

一般的に、法律や規制の仕組みが、整うのは、ずっと後になり

ます。それまで主催者側が、「創業者利潤」を、荒稼ぎすること

も、十分ありえます。

私は、手法についての、何らかの判断をしているのでは、あり

ません。なるほど、うまい手法だとは、感心しています。

 

話は飛躍しますが、私は「職業に貴賎なし」と昔から本心で思っ

ています。当然、時代や社会により、「楽に稼げる」「組織により

守られている」「なんとなくかっこよさそう、と周りに見られる」

「安定して、硬い商売」等等いろいろあるでしょう。

善悪の判断も「虚構」と言ってしまえば、それまでですが、

当人が生きている社会で、「明らかに違法、反社会的」と大多数の

人が思わない仕事でであれば、生きていくために何の仕事でもいい

というのが私の考えです。

神の亡霊(読書感想文もどき) その2(後編) しつこく漂い続ける神の亡霊、小坂井敏晶さん作品です。

神の亡霊  近代という物語

小坂井敏晶/著

出版者    東京大学出版会 2018.7

神の死によって成立した近代。その袋小路を俯瞰し、死にまつ

わる誤解、善悪の根拠、規範論の正体、集団責任のからくりなど

を考察しています。

(註)がとても詳しい。本文の3倍くらいあります。

  

小坂井敏晶さんについては、かつて

社会心理学講義」や「答えのない世界を生きる」を、ゆっくり

読みましたが、消化不良は続いています。

正直、私にはとても難しい。

最近、「教育という名の虚構」をyoutubeで聞きました。

https://www.youtube.com/watch?v=7jlqCjHi8Yo

 難しい、消化不良であっても、惹かれる著者はいます。

まさに、彼がその一人。

 

今回、この「神の亡霊」から、引用、2回に分けます。

少し構成変えて、各回(合計12回)の項目を軸に本書全般から

引っ張ってきています。

引用の意図は従前と同じ。

私が気に入った部分の抜粋であり、なるべく要約は避け、著者の

生の声を伝えようと思っています。

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 (上記までは,同じ。ここからの記載が、その2(後編)です)

第六回 近代の原罪

教育制度の腑分け 

機会の均等というスローガンの裏に何が隠れているのか。学校は

不公平を隠蔽し、正当化するための社会装置でないか。

 

隠された大きな意志が関与すると感じる時、人は救われる。近代

は、この外部を消し去り。原因や根拠の内部化を目論む。その結果、

自己責任を問う強迫観念が登場する。  P163

 

    第七回 悟りの位相幾何学

集団責任のからくりを暴く。どんな論理を立てても集団責任は定立で

きない。責任は虚構である。  P11

 

感情や認知バイアスという濾過装置を当さなければ生きられない人間

存在が、哲学者や科学者の冷めた論理で理解できるはずがない。重力

により曲げられた空間を通る時、光は直進しない。二点を結ぶ最短距

離は直線を描かない。意味とは何か。わかったと感じる時、何がおき

ているのか。 P206

 

主体を虚構と捉える本書は遺伝・環境・偶然の相互作用として人間お

よび社会を把握する。偶然を作動要因として導入するから、この立場

決定論と違う。しかし性格・才能だけでなく、努力も遺伝・環境・

偶然に起因すると考える以上、我々の能力は自分で変えられない、

という結論に至る。  P393

 

第八回 開かれた社会の条件

自由に関する考察

正しい社会に抗する異端者が全体主義から人類を救う。それが開か

れた社会の姿である。   P11

 

少数派の権利を保護せよというのではない。逸脱者・犯行者の存在

全体主義から世界を救うのだ。今日の異端者は明日の救世主かも

しれない。

<正しい世界>に居座られないための防波堤、全体主義に抵抗する

ための砦である。 P248

 

第九回 堕胎に反対する本当の理由

キリスト教の偽善を突く。  P12

 

人間行動を律する信仰の力に驚く。(中略)文化を共有しない

異星人の目には不可解な無駄と映るに違いない。

宗教・名神イデオロギーは合理的思考の敵なのか。あるいは

逆に、集団性こそが真善美の源泉をなすのか。合理性とは何か。

意味とは何か。神の亡霊は今も人間に憑依し続ける。 P282

 

 第一〇回 自由・平等・友愛

社会契約論の原理的な欠陥を指摘する。 P12

 

友愛は宗教概念であり、権利に翻訳できない。共同体の外部に

投影されるブラック・ボックスを援用せずに社会秩序は根拠

づけられない。それは人類の考察が未熟だからではない。

問題設定が出発点ですでに躓いているからだ。 P292

 

第一一回 主体と内部神話

主体概念のイデオロギー性を炙り出す。  P12 

 

ロールズの想定する公正な社会では底辺に生きる人間に、もはや

逃げ場はない。分配が正しい以上、貧困は誰のせいでもない。

貧富の差は正当であり、恨むなら自分の無能を恨むしかない。

序列が不当だと信ずるからこそ、人間は劣等感に苛まれずにすむ。

公正な社会とは、人間心理を無視した砂上の楼閣である。正義は原理

的に成就不可能だ。出口はどこにもない。宗教のの虚構を斥け、合理

的な回答を求める正義論は最初から無理なのだ。  P320

 

最終回 心理という虚構

別の角度から主体幻想に切り込む 

原因と結果が取り違えられ、歴史の変遷に「論理性」が後になって付

与される。  P12

 

神は死んだ。近代の息吹を聞いたとき、正しい世界の虚構性が露わに

なり、根拠が失われる。恣意的で無根拠の世界に人間は投げ出され

た。だが、宗教への依存を表向き禁じながら、近代も依然として虚構

を手放さない。根拠が捏造された瞬間に、その虚構性が人間自身に隠

蔽される。人間がいる限り、姿を変えながら神の亡霊は漂い続ける。

P387

 

 あとがき

 人間の問題を考えるうえで斬新さなど、どうでもよい。他人と比べる

から独創性が気になる。そこが既に独創的ではない。自らの問いだけ

を追えばよい。ほかの意図には解決済みの問題かもしれない。だが、

自分にとって未解決ならば、問を発し続け、納得ゆくまで考えるしか

ない。  P403

 

最後に私の感想

お気に入りを読んだ読後感として、「体中に毒がゆっくり回るよう

な」といった趣旨を、確か出口治明さんが書いていた気がします。

今回の小坂井さんの「神の亡霊」ですが、私の「目の前の世界が少し

違って見えてくる」効用。

薬か毒かは分かりません(本質は薬と毒は同じです。)が、服用後の

頭脳のマヒを感じます。

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神の亡霊(読書感想文もどき) その1(前編) しつこく漂い続ける神の亡霊、小坂井敏晶さん作品です。

神の亡霊  近代という物語

小坂井敏晶/著

出版者    東京大学出版会 2018.7

神の死によって成立した近代。その袋小路を俯瞰し、死にまつ

わる誤解、善悪の根拠、規範論の正体、集団責任のからくりなど

を考察しています。

(註)がとても詳しい。本文の3倍くらいあります。

  

小坂井敏晶さんについては、かつて

社会心理学講義」や「答えのない世界を生きる」を、ゆっくり

読みましたが、消化不良は続いています。

正直、私にはとても難しい。

最近、「教育という名の虚構」をyoutubeで聞きました。

https://www.youtube.com/watch?v=7jlqCjHi8Yo

 難しい、消化不良であっても、惹かれる著者はいます。

まさに、彼がその一人。

 

今回、この「神の亡霊」から、引用、2回に分けます。

少し構成変えて、各回(合計12回)の項目を軸に本書全般から

引っ張ってきています。

引用の意図は従前と同じ。

私が気に入った部分の抜粋であり、なるべく要約は避け、著者の

生の声を伝えようと思っています。 

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 序 近代という社会装置 

 「人間は自由だから、その行為に責任を持たねばならない」という

のは、実は、理論が逆立ちしている。

責任を誰かに課す必要があるから、人間は自由だと社会が宣言する

のである。自由は虚構であり、見せしめのための責任者を作り出し

て罰し、怒りや悲しみを鎮める政治装置である。  P2

 

ある現象を虚構と形容するのは、その現象が存在しないという

意味ではない。残像という錯覚がなければ、映画もテレビも作れ

ない。

蜃気楼も錯覚だが、誰の目にも映る確固とした現実である。

(中略)

虚構と現実は切り離せない。虚構のおかげで堅固な現実が成立する

のであろう。  P7

 

世の中には「べき論」が氾濫する。多くの人が正義を求め、より平等

な社会を作ろうと努力してきた。だが、「べき論」は人間の現実から

目を背けて祈りを捧げているだけだ。雨乞いの踊りと変わらない。

集団減少を胎動させる真の現認は、それを生む人間自身に隠蔽され

代わりに虚構が現れる。「べき論」の素朴な善意の背景には無理や傲

慢あるいは偽善が隠されている。まずそれを自覚しなければ、何も始

まらない。 P8

 

一つの迷信が崩れても他の迷信がまたすぐに頭をもたげる。民族や文

化などの概念も人種と同じ虚構である。

自由と自分勝手は違う、平等と公平は区別すべきだ・・・。これら

に議論も虚構に騙されている。 P9

 

(問題に答えが存在する保証があれば)いつか誰かが答えを見つける

だろう。だが、答えが存在しなければ、いつまで考えても問題は永久

に解けない。ならば、問い自体を見直すべきだ。進む方向に出口がな

いことを示すのも重要な仕事である。  P9

 

 第一回 死の現象学

死にまつわる誤解を指摘する。自分の死は知ることはできない。それ

なのに自分の死を恐れるのは何故か。 P10

 

近代は神を殺した。しかし神の亡霊は今も漂う。虚構が生み出される

と同時に、その虚構性が隠蔽される。社会が表明する理由はたいてい

嘘だ。責任の追及や犯罪の処罰、恋愛や性タブー、自由と平等、正義

実現を目標に掲げる鵜「べき論」。どれも社会を機能させるために虚

構である。そして死刑制度が維持される本当の理由も他にある。P33

 

第二回 臓器移植と社会契約論

脳死を認める側も拒絶する側も、何か大切なことを見落としていない

か。考えれば答えが見つかるという前提が既に誤りだ。 P10

 

キリスト教同様、仏教も肉体への執着を戒める。どうして臓器提供

への抵抗が起こるのか、どうしても理由がはっきりしない。 P48

 

正しい社会秩序を理性的に構築しようと近代的政治思想は試みる。

だが、四辺を持つ三角形の作図が原理的に不可能であるのと同様、

それは虚しい願いだ。近代は宗教への依存を表向き禁じた。しかし

実はいまでも虚構物語の真っただ中にいる。神の亡霊はこうして

漂い続ける。 P51

 

第三回 パンドラの箱を開けた近代

死体の意味を再考する。死体を特別視する理由を我々は解っている

のか。  P10

 

神は存在せず、善悪を自分たちが決めるのだと悟った人間はパン

ドラの箱を開けてしまった。生命倫理の分野だけでなく、造成結婚

性別適合手術・近親相姦などの是非を判断するうえで、近代以前

であれば 聖書などの経典に依拠すれば済んだ。あるいはその解釈

だけで事足りた。しかし道徳を正当化する源泉は、もはや失われ

た。 P81

 

第四回 普遍的価値と相対主義

善悪の根拠を問う。宗教とは関係なさそうな司法の分野にも神の

亡霊が憑依する。 P10

 

倫理判断やさばきは合理的行為ではない。信仰だ。それゆえに

強大な力を行使する。裁判と神は同じ論理構造に支えられる。

裁判は力だ。有無を言わさず、それ以上に議論を遡及させない

思考停止の砦をなす。人根思想は現代の十戒である。  P98

 

第五回 『べき論』の正体

規範論の本質を暴く。   P11

 

正義論を始めとして、世にある多くの規範論は祈りや雨乞いの

踊りと同じく、魔法の呪文である。集団現象を胎動させる真の

原理は、それを生む人間に隠蔽され、代わりに虚構が捏造される。

しかし、それでも我々は「べき論」を語り続ける。

愚痴を垂れてストレスを発散するのと同じように、社会虚構は

重要な機能を担う。

近代は神を殺し、真理の内在化を夢見る。しかし外部は消せず、

真理は存在しない。神の亡霊はしぶとく彷徨い続ける。  P137

 

 (尻切れドンボみたいですが、ここで切ります。その2(後編)

 に繋ぎます。) 

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ノーベル賞 日本人受賞者がいないとなぜ、関心が薄くなるのだろう

1.今年は日本人受賞無し

今年は日本人(日本国籍)のノーベル賞の受賞はなかったようです。

この季節(10月上旬)の前後、歳時記のように毎年盛り上がりま

すね。

昨年は化学賞の受賞があり、昨年書いたブログを少し引用します。

ノーベル化学賞、吉野彰氏の受賞おめでとうございます。(研究態度と歴史観) - 中高年michiのサバイバル日記

お気に入りの「吉野さんの研究態度と、歴史観から

 研究開発では「ねばり強さ」「楽観的な姿勢」

 「時代の流れを読む嗅覚」の3つが必要、

と吉野さんは述べています。

そっくりそのまま、ビジネス全般にも言えそうですね。

「ねばり強さ」、「時代の流れを読む嗅覚」は良く解りま

すが、私が取り上げたいのは、「楽観的な姿勢」です。

 天でも、神でも、何超自然的な「何か」でもなけでは、

「結果」を知ることはできません。

 それこそ「人事を尽くして天命を待つ」べきですが、

「やるべきことをやって、悲観しても楽観でも結果同じ」

と開き直ることが、つまり精神的には楽観の方が得、と私

は思います。

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理科系の研究者のイメージ

 2.今後、受賞者減少の予測

これも、昨年の記事ですが、今後どうも日本人受賞者は減るのでは、

という記事があり少し引用します。

要約した一部抜粋です。

日本人のノーベル賞が「急減する」絶対的理由 | 先端科学・研究開発 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

この状況(日本人受賞)が将来にわたって続いていく可能性は

とても低いと言わざるをえません。

ノーベル賞の受賞者は高齢化の傾向があり、受賞者が授賞

理由となった研究を発表した年と受賞した年には、概ね25

年のタイムラグがありますが、近年、さまざまなデータが

日本の科学技術力の劣化を示しているからです。

 つまり、今世紀に入っての日本人受賞ラッシュは過去の遺

産の賜物なのです。

 25年前の高被引用論文数シェアとノーベル賞受賞者数のシ

ェアが強い相関を示すという仮説が正しければ、2015年の

25年後、つまり2040年ごろには、日本人ノーベル賞受賞者

のシェアは3%前後となる可能性があります。

自然科学系受賞者の数は毎年6人前後ですから、その3%は

0.18人です。

5年に1人受賞できるかどうかという数です。

 日本に代わって台頭してきそうなのがTop1%補正論文数

シェア14.3%の中国です。現在の受賞者シェア約50%の

アメリカもうかうかできません。Top1%論文のシェアは

34.3%にまで減少しています。

 

 3.「日本人」へのこだわり

ノーベル賞に限らず、オリンピックも「日本人選手」を応援する

傾向があります。

もっと小さくすると、都道府県別対抗となると、「身近」と感じ

る方を応援する傾向対応があります。

「自国の代表」の意味合いについても、昨年のラグビーワールド

カップで、「日本代表」と「日本人」の関係について、いろいろ

考え方が散見されました。

芸術関係の賞ついても、「日本人」受賞の場合は、日本メディア

の報道の仕方や割り当て時間が違うようです。

自然災害は地球上いたるところで起きています、被害の度合いに

かかわらず、海外での台風、ハリケーン津波、火山噴火等々

より、日本国内の災害については、大きな報道となります。

事例を挙げていくと、キリがありません。

要するに、自分が「身近」に感じる世界から、遠くなっていくと、

関心が薄れる、ということですね。

あたりまえか!

 

最近再読している、小坂井敏晶さんのキーワード「虚構」を援用

します。

社会とは、自立した個人が契約によって社会を作り上げる、という

ものではなく個人の数号+虚構によって生まれる。

民族(今日のブログの「日本人」)も虚構であるが、人間は虚構な

しには生きられないもの、のようです

温又柔さんの本から考えたこと 「母国語」の悩みは、感覚的に私には解らなかった

1.台湾への想い

私が台湾への想い強いことは、何度かこのブログでも触れています。

 台湾には思い入れがあり、好きです。選挙後の今後にさらに注目 - 中高年michiのサバイバル日記

上記は、今年の1月23に書いたものですが、時事的な話と、幼いころ

からの台湾への個人的思いも書いています。

その前後も、台湾の歴史、日本とのかかわり、著名な人々、私的な台

湾旅行、現在の太平洋の安全保障等々も、書いています。

さて、先日、日経の書評欄で知ったのをきっかけに、彼女の作品を少

し読んでみました。

実は「言語」の問題は、私は切り口として、私はあまり意識していま

せんでした。

 

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今までと変わった台湾の切り口

2.来福の家

著者       温又柔/著  出版者         白水社 2016.9

これは、2作の小説が、おさまっています。

すばる文学賞佳作受賞のデビュー作「好去好来歌」をまず収録。

台湾生まれ、日本育ちの楊縁珠は、三つの言語が交錯する家族の

遍歴を辿り、自分を見つめ直すことになります。

次は、来福の家。

姉の名前が許歓歓、ヒロインの名前が許笑笑。姉は、小学校で

中国などからやってきた子どものための日本語教師として働いて

いる。笑笑は、大学を卒業し、中国語の専門学校へ入学する。

彼女たち家族が、結婚や出産によって日本と台湾という「根」を

広げる、という話です。

 

小説ですから私のコメントは無しにして、「あとがき」から

少し引用します。

  本書に収められた二つの小説は、私の原点であり、源泉です。

  言葉によって世界を分別する以前の感覚は、私が書き継ごう

  と思っているものの源なのです。 P271

 (下記書籍にも触れています。)

  本書が私の創作の原点ならば、その後の四年間を費やして

  描いた『台湾生まれ 日本育ち』は、私のこれからの

  作家活動の基盤です。  P271‐272

 

3.台湾生まれ日本語育ち

     温又柔/著  

出版者    白水社 2018.9

こちらは「エッセイ集」ととらえていいでしょうか。

3歳の時に東京に移住した台湾人作家が、台湾語・中国語・

日本語という3つの母語の狭間で揺れ、惑いながら、自身の

ルーツを探った4年の歩みを綴ります。

  

引用と、michi以下が私のコメント

金門島)の名物が、なんと包丁。それも、ただの包丁ではなく、

内戦中、島に降り注いだ砲弾をリサイクルした包丁なんですよ。

共産党と国民党が、我こそは正当な中国、と巡って争った戦争中、

島に降り注いだ砲弾で作った「中華」包丁だなんて・・・ P146

 

金門媽祖は、「国防第一線の地」かつ「対中国の最前線の地」で

ある。しかも父たちが青年の頃、台湾と大陸ーー二つの「中国」

の関係は今よりはるかに緊張していた。  P154

(michi: 2013年ころの様子のようですが、現在(2020年9月)は、

相当な緊張関係にあると思います。)

 

国民党一党独裁したの台湾では、「中華民国」こそが「正統」

かつ「唯一」の「中国」というイデオロギーに基づき、自国の

文学史が編まれた。

そこでは中国文学が主流の地位を占め、戦前に活躍した作家

たちの日本語作品は、「皇民化教育」による負の遺産として

不当に貶められた。

一方、日本では、たとえそれが日本語で書かれた作品 だとし

ても、その作者が「日本人」でなければ、日本人による日本人

のための「正統」な日本文学史からは除外された。

日本語は日本人だけのものなのだと錯覚してもおかしくない

状況が、長いこと続いてきた。 P228

(michi: いや、例外もある。先日亡くなったドナルドキーン

もそうだろうとの反論もでてきそうな面もあったのかもしれ

ません。)

  

4.言語についてふと思うこと 

私自身は、ずっと日本で生まれ育ち、日本語が母国語。

外国語として「教育」で英語を習ったきり。

留学や駐在等での海外生活の経験なし。

 しかしながら、考えてみると、自分自身で決められない

事情で、「国境」としての地域を移動したり、政治的圧力

により、今までの言語が使えなくなった、という人々も

多数います。

(決して過去形ではなく、現在進行形ですよね。)

そのこと自体は、熟知しているつもりでしたが、言語の

重要性を深く考えたことは、あまりありませんでした。

言い訳すると、「宗教」については、いろいろ勉強して

きましたが、「言語」については、どうも無頓着でした。

言語は、宗教に負けず劣らず人間のアイデンティティ

形成するものだと、改めて感じました。  

 

大分断(読書感想文もどき) 社会の流動性がますます無くなる時代?

大分断

教育がもたらす新たな階級化社会

エマニュエル・トッド/著    大野舞/訳  

出版者    PHP研究所 2020.7

1.概要

歴史家、文化人類学者、人口学者という言葉が、肩書にマッチ

するエマニュエル・ドットさんかと思います。

本書は、教育こそが格差を拡大し、民主主義を破壊していると

主張します。

先進各国で起きている分断の本質の要因として、財政の硬直化、

民主主義のプロセスが蝕まれていること、移住が不活発になった

こと、所得と社会的地位による社会的分断が進んだこと、子ども

が過保護になったこと等、詳細に分析しています。

持ち論、明るい結論が導き出されるわけでなく、社会的分断は

避けられないとの現状認識でしょうか。

 

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「裁断」の文字表記ですが、「分断された社会」のイメージで使います。

2.本文中からの引用

 今回も、私のへたな要約などせず、章に分けた引用です。

いつも書くように、「あらすじ」や「主題抜粋」などではなく、「私の

お気に入り」です。 

はじめに 

民主主義というのは本体、マジョリティである下層部の人々が力を

合せて上層部の特権階級から社会の改善を手にしようというもので

す。ですから、民主主義は今、機能不全に陥っている。私はそう考

えるわけです。そしてこの機能不全のレベルは教育格差によって決

まるのです。 P4

 

1章:教育が格差をもたらした

今日、前述したように教育の発展は止まってしまい、さらに高等教育

を受けているのは、社会の一部でしかない、という事実も明確になり

ました。高等教育は特権的な職業に就くための一種の資格のようにな

り、本来の意味での資格の意義は失われました。  P25

 

現代社会の共通点は、単純に不平等が顕著になってきているというだ

けではありません。ただの経済の機能不全でもありません。共通して

いるのは、支配階級が目的を失っているという点です。  P36

 

2章:能力主義という矛盾

(学力の低下に関して)

私はどちらかというと子供たちが読書をしなくなっているということ

に理由があると思っています。テレビやテレビゲームができる前の時

、子供たちは読書をしているか、そうでなければ退屈していたので

す。私は退屈というのは進歩のための大切な要素だと信じています。

 P52 

 

社会がどこへ向かっているのかということを観察、検討することのほ

うが、なぜこうなったのかという問いを立てるよりも興味深いことで

す。それぞれの社会によってたどる道は異なるということは確かです。

P58

 

3章:教育の階層化と民主主義の崩壊

先進国は今、どこももたついています。今持つべき目的は、何か素晴

らしいことをしようというのでなく、酷すぎる状態になってしまうの

を避けることです。 P85

 

4章:日本の課題と教育格差

今の中国は新たな全体主義システムを生み出したところですから、日本

は今のところアメリカと同盟関係を結ぶしか選択肢がないわけです。

でもだからこそ、私は「日本は核武装したらよい」と考えます。 P97

 

日本が核武装をすれば中国との関係は大きく変わり、この規模の異なる

二国間の平和はほぼ永久的に約束されると思います。  P98

 

これからの日本に必要なのは「少しばかりの無秩序」であると私は謹言

したい。男女間での無秩序、家庭内での無秩序、そして移民を受け入れ

ることで発生する無秩序。日本社会のように完璧を常に求めることは、

ある程度発展した社会では逆に障害になってしまうからです。 P106

 

5章:グローバリゼーションの未来

世界化された私たちは変わらず残り、英語は世界樹で浸透し続け、イン

ターネットという名の帝国もさらに拡大していくでしょう。しかしそれ

と同時に、新たな地政学的な配置が立ち現れるのです。  P118

 

民主主義とは、ある土地で、ある民衆が、お互いに理解できる言語で

議論をするために生まれたものでした。民主主義の思想には、土地へ

の所属ということと、外からくるものに対する嫌悪感が基盤にある

のです。  P124

 

6章:ポスト民主主義に突入したヨーロッパ

フランスの根本的な問題は、社会的に落ちこぼれた一部の若者の残念

な戸惑いだけではないのです。私たちが、弱り続けている若者たちを

社会に取り込めなくなってることこそが問題なのです。 P148

 

7章:アメリカ社秋の変質と冷戦後の世界

アメリカと中国の紛争は3つの側面あり。貿易、軍事、文明の3つ。

全体主義で警察によって監視されたいる中国は民主主義を脅かす存在

とみなされているからです。(中略)

アメリカはロシアと接近することで中国の潜在軍事力を大きく弱める

ことが可能になります。 P173,174

 

3.最後に

当たり前ですが、世の中にはいろんな考えかた、モノの見方があります。

ドット氏は、新型コロナ問題の見解でも、少し取り上げていますが、私が

考え方の軸とするひとりです。世の中は、常に動いています。

ひと月もせず、米国大統領選挙の結果も出るでしょう。

私なりに、確り現実を捉えていきたいと思っています。 

 

元に戻す、という発想でなく、流れに合わせて考えるべし、とのこと。

1.東京都心の空き家

(1)ネットでニュースを見ていたら、東京の世田谷区で空き家5万

戸に上り、そのうち2割以上が市場に流通せず、いうのがありまし

た。

世田谷区の人口比較で「5万戸」をどうみるかですが、タイトルにあ

るように「元に戻す」という発想が問われている気がしました。

世田谷の記事を、もう少し詳しく書きます。

(2)全国で問題となっている空き家。

国の推計によると東京都内にも約81万戸あり、その7割は23区内にあ

る。過疎化とは縁遠い首都圏でも高齢化でさらに空き家の増加が懸念

されるなか、活用につなげる取り組みもある。

この世田谷区の空き家が多い地域は、65歳以上のみの世帯が多く、区

内でも高齢化が特に進んでいる。

不動産価値が高く、若年層の家族は簡単には手を出せないことや、戸

建て中心の低層の住宅街に保つため、都市計画で建物の高さに制限が

定められ、不動産業者もマンション開発などに、慎重になりがちな点

も、空き家の多さに影響しているという。

 (3) 総務省の18年の住宅・土地統計調査(抽出調査)によると、

都内の空き家は全住宅の約1割にあたる80万9900戸だった。

都の空き家率は10・6%で全国平均(13・6%)を下回る一方、その数

は突出している。

人口92万人を抱える世田谷区の空き家は昨年11月末5万戸で都内で

最多だ。うち賃貸や売却向けなどを除いた、市場に流通していない

「その他の住宅」に分類される空き家が約1万2千戸に上る。

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世田谷区の高級戸建住宅でなく、タワーマンションのイメージです

2.台風19号で甚大な被害 進まぬ復旧 ローカル線が危機

ローカル線廃止に関して、少し書いたことを再度議論します。

(1)要約と私見

要約すると

➀ ローカル線は、現状でも赤字の中、災害対応でもとに戻すのは、

一層お金がかかる

② 費用負担のうち、維持・管理に費用のかかる線路などのインフラ

    を「自治体」が保有し、負担安してもらおうという案あり。

③ 鉄道を社会インフラや地域資産としてどう位置づけるか、地域

    住民も一緒になって考える必要があり、

 
私見を書くと
 公的、三セクがやるにしても、こういった案件は
 「事業の採算性」を考慮すべきです。
 「元に戻す、現状復帰ありき」の考えはやめよう。
長期視点をもって、事業生産性を考慮し決断しよう。
 ということ。
 
 ある事業を行った際の費用負担が、結局が事業者、地方自治体、
 国の3つしかない以上、地方自治体に資金負担させても、
 今後それに見合う税収はどうなのか、ちゃんと回収できるのか、
 と思います。
 
対応策として、たとえば
 僻地に住む一人の老人のために、町から自宅までの道を整備
 しようという発想から、「その老人に町中に移り住んでもらおう」
 という発想へ。
 ( 結果として「わが自治体に人の住む地域がだんだん少なく
 なっていく」)ことも容認せざるをえない発想です。
 
3.私が考えたこと
かたや東京都心の空き家問題、もう一方は台風桧垣のローカル線復旧
問題。利害関係者も、予算規模も、解決すべき論点も全く別であり、
同じく論じること自体が無理がある、と感じるのが当たり前です。
私は、奇をてらうわけでなく、「地域社会が生き残るための長期的な
視点が必須」という共通点強く、感じたのでした。
世田谷区の不動産所有者にしても、ローカル線の事業者にしても、
自分の利益を極大化させるために、動こうとするのは、当然です。
ここで、私が「長期的な視点」といったのは、人口動態予測や、社会
情勢、時代の流れ等々を考慮しながら、法律や制度を制定、強化や緩
和、改廃、再構築できる立場の人が、よく考えてほしい、というこ
と。
もちろん、成功であったか失敗であったかは、結論が出るまでに時間
がかかるかもしれない。シナリオを描いた人、制度を動かした人の評
価は当人が「現役」の時は終わっているかもしれない。
それでも、「仕事」として、しっかり考え、実行してほしい、と願う
わけです。