1.忘れ物
先日の外出時、部屋に忘れたスマートフォン取りに帰りました。
1.忘れ物
先日の外出時、部屋に忘れたスマートフォン取りに帰りました。
1.PCR陽性請基準
新型コロナについては、何度も書いてきました。
私は、「日本は集団免疫成立済み」というのが、基本的考え方で
PCR検査で「残骸」を検査して、陽性者だどうだと騒いでも、あま
り意味がない、という考えです。
いつも、不思議に思っていたのは、新型コロナで大騒ぎする人々が
どうしてPCR要請基準について、議論しないのか、ということで
した。
私は、新型コロナに対して、普通程度にニュースや、解説情報を入手
しているつもりですが、私が知りたい「PCR要請基準」について、
ほとんど情報がありません。
少し古くなりますが、2020年11月8日の新聞記事で、それらしきも
のを初めて見つけたので、各位と情報共有し、私見を少し書きたい
と思います。
新型コロナ:PCR「陽性」基準値巡り議論、日本は厳しめ? :日本経済新聞
2.新聞記事内容と、私の短いコメント
(1-1)新聞記事
新型コロナウイルスを巡り、PCR検査で「陽性」「陰性」を判断する
基準値に注目が集まっている。
基準値に国際標準はなく、実は日本の陽性者が別の国では陰性と判断
される可能性もある。基準値をどう設定するかは海外でも議論になっ
ている。
PCR検査は検体の温度の上げ下げを繰り返すことで、ウイルスの中
にあるRNAを増幅し、感染の有無を判断する。わずかな量でもウイ
ルスを検出できれば、感染を確認できる。ウイルスが存在しないか、
極めて少なければ「陰性」と判断される。
(1-2)私見コメント
・とりあえず、この新聞記事内容が「真」としてコメントします。
やはり、基準値に国際標準はなく、実は日本の陽性者が別の国では
陰性と判断される可能性もある、とのことですね。
・PCR検査は「ウイルスの残骸を検出」と聞いていますが、この
記事もそうですね。やはり陽性者を感染者というには、無理がある
ように思います。
(2-1)新聞記事
陽性と判断する基準値には、増幅に必要なサイクル数(CT値)を使う。
基準を高く設定するとウイルス量が少なくても陽性と判断される。
国立感染症研究所の新型コロナの検査マニュアルでは、原則この値が
40以内でウイルスが検出されれば陽性と定めている。
一方、台湾では35未満に設定しているとされる。日本で陽性となった
人が台湾では陰性となる可能性がある。中国は中国疾病対策予防セン
ター(中国CDC)によって37未満を陽性と判断するが、37~40の場合
は再検査などを推奨している。
日本でも一部検査機関では40に近いと再検査する機関もあるが、国の
指針などはない。国際的にも40程度に設定している国が多いとみられ
る。
(2-2)私見コメント
・台湾がコロナ対策の「最優等生」と聞いたいましたが、35未満とい
うのは「40よりゆるい」と読めます。
中国はともかく、台湾と日本や、ニュージーランド、オーストラリ
アは同程度と思っていました。
(3-1)新聞記事
基準値が問題になるのは、この値を高めに設定すると、ウイルス量が
ごく微量で、他人に感染させる恐れがない人まで陽性と判断してしま
う恐れがあるためだ。
入院や治療が不要な人まで陽性とされる懸念がある。
英オックスフォード大学の研究チームはPCR検査が死んだウイルスの
残骸を検出している可能性があると報告。英国の別の研究では、値が
25より小さい陽性者の85%以上は他人に感染力があるウイルスが培養
できたが、35を超えると8.3%しか培養できなかったとの結果もある。
米ニューヨーク・タイムズの報道では、米国でも基準値は40前後に
設定されているが、一部の専門家から「30~35程度が適正だ」との
声も上がっているという。
日本臨床検査医学会で新型コロナ対策を担当する柳原克紀・長崎大
教授は「ウイルスが極めて微量だから感染性がないとは現状では言え
ない。使う機械や試薬によってもCT値は異なる。この値だけで断言
するのは難しいだろう」と指摘する。
(3-2)私見コメント
本来の感染者、重傷者を対応するのが、医療の趣旨でしょうから、
素人ながら、「30~35程度が適正だ」と思います。
PCR信仰が消えない日本で、台湾並みに、した方が「PCR陽性
者」はより正確な情報になるかと思います。
(4-1)新聞記事
基準値を高めに設定することで、発症前や感染初期でウイルス量が
増える前の陽性者を確実に見付けやすくなる可能性もある。
柳原教授は「現在は安全性を第1に考え、日本は最も厳しく設定され
ている。研究が進めば基準の変動もあり得る。国際的な議論が必要
だろう」と指摘する。
退院時にPCR検査を行い、陰性を確認する医療機関もあり、不必要に
入院期間を長期化させる恐れもある。日本感染症学会は10月、「検査
で陽性でも感染性が低い症例がかなりの頻度で存在する可能性があ
る」との見解を示した。
無症状でも退院させられない症例が増加しているとも指摘している。
(4-2)私見コメント
医療関係者が「慎重」な判断をするのは、立場上当然です。
これを踏まえて、政治決断は経済状態、国際比較等もっとマクロな
見地に立つべきで、また、それに伴う責任を持つのが政治でしょう。
癒しとしての死の哲学
小浜逸郎/著
出版者 洋泉社 2009.7
1.概要
最も今日的な生とは、死とは何か。
脳死とガン告知を手がかりに、死との新しいつき合い方を問いかけま
す。また医療における死の問題を哲学的な死の考察に結びつける情理
を兼ね備えた試みです。
目次でいうと
序章 死はなぜ話題となるか
第1章 死と生をどう分けるか (脳死と臓器移植をめぐって)
第2章 死を」どう受け入れるか(癌告知の方法をめぐって)
第3章 死はいかい哲学されてきたか
第4章 死をどう哲学するか となります。
著者は、1947年横浜生まれ。横浜国立大学工学部卒。
批評家。国士舘大学客員教授。2001年より連続講座「人間学アカ
デミー」を主宰
小浜逸郎さんについては、11月9日に取り上げており、2冊目の紹介
です。
死にたくないが、生きたくもない(読書感想文もどき) 長生きしてしまうのは避けられない - 中高年michiのサバイバル日記
2.本文からの引用
今回は、私の関心と、理解度の点もあり、網羅的どころか、「間章
安楽死するための哲学」、「第4章 死をどう哲学するか」、
「あとがき」からの引用となります。
第3章のソクラテス、プラトン、エピクロス、智顕、源信、モンテー
ニュ、ショーペンハウアー、第4章のハイデッカーは、面白かったの
ですが、うまく要約できませんでした。
ただ、長く生きたってしょうがない。大切なことは、いかに良く
生きるかだ。ボケたり体が不自由になったりして、周囲に迷惑を
かけるまで長生きしたくない。ーーーーこうした思いは、おそら
く誰の胸にも宿っているだろう。もっと露骨に言うなら、自分の
ことに引き寄せる以前の問題として、家庭や老人医療施設で実際
にきつい介護労働に日々携わっている人などは、本音の部分では
「もうこの爺さんも早く死んだ方が、お互いのためにいいのに」と
思っている場合が多いのではないかと思う。
いったい誰がそれを非難できようか。
P159 「安楽死するための哲学」から
安楽死:末期患者に対して、患者の同意に基づいて、呼吸を止める
注射などにより、積極的に死への手助けを行う。自殺ほう助厳格な
条件でオランダが認めている
尊厳死:これ以上医療行為を続けても苦衷を増すだけで回復が不可能
であるとの医学的判断のもとに、人工呼吸装置を取り外すなどの形で
延命措置の打ち切りを行うこと。 消極的安楽死。
医学的根拠、本人(家族)と医師との間の明確な合意のもと法的問題
なし。結構普通に行われている。 P160
私は家族の共同性を、人間の生にとって、最も深い現実的根拠を有す
る共同性であると考えるものであるが、個人の死もまた、家族のなか
でこそ一つの物語として生き続けることができる。
家族はいやおうなくその成員の死を生きるのである。 P171
この「同類でありながら離れている」という意識を最もはっきりと
システムとして体現したものは言語であるが、実は、死に対する認識
のしかた、他の人の死を自分の死と同質の問題としてとり込むしかた
のうちにも、その人間的本質が見事に刻印されていることを私たちは
知るのである。
身近な人の死に際して、あれだけ私たちが悲しんだり、弔いの儀式に
精力を注ぐというのも、単に「会えなくなる悲しさ」からそうしてい
るのではなく、死者の運命を、そのまま想像的にわがこととして重ね
合わせることができるという構造を基礎にしていればこそなのであ
る。 P247 「第4章 死をどう哲学するか」から
「死」を、単に活力の終焉とか、生命の終着点としてだけ考え
るのではなく、私たちの日常的な生の構造契機とみなすことで
ある。死は、実は人間的な生の要素であり条件なのである。私
たちの生は死の事実に見据えられ怯えているだけなのではなく,
むしろ生が持っている活力の側面もまた、その具体的な発揮の
方向性を死の自覚によって与えられるのである。したがって
私たちが「死を哲学する」営みとしてなすべきなのは,死に
対する人間に固有の気遣いの在り方が、人間に固有の生への
活力形式へと転化されたものとして理解することーーーそし
てこのことを、普通の「ひと」の存在形式において示すこと
をおいて、他ならないのである。 P268
事実としての人間の死は、身近な共同性の中で飲み、一つの確実な
物語となるのだ。 P271 あとがき
この三冊を通じて、読者の皆さんに訴えたいことは「人間の
死は、その他の生物の死とちがって、死についての自覚を媒
介として、それ自体が私たちの日常的な生の在り方をすみずみ
まで規定する根本的な条件になっている」ということになろ
うか。 P277
3.最後に(感想文)
小浜逸郎さんの2作目は、とてもハードでした。
解説で竹田青嗣さんが書いているように、「ハイデッカーの死の哲
学」を「やっつけて」います。
私は、ついていけず、置いてきぼり状態。
まあ、仮にあと私が20年、30年生きるとして、勉強と続けられたと
しても「完全理解」には、ほど程遠いかもしれません。
それはそれで仕方ない。
小浜さんに限らず、今後本の中で出会う人々をよく見て、ぶつかって
いくだけです。
今週のお題「鍋」です。
昔も今も、冬は鍋料理をよくだべます。
割と歓談な料理といってしまえば、それまでで「手抜き」のそしりを
免れないかも知れませんが、それはそれ。
要は、本人や家族が好みであれば、それはそれでいいのです。
まず、不可欠の要素土鍋から、次に具材、レシピと書いていきます。
1.土鍋の話
我が家で、とりたてて特別な土鍋を使っているのではありません。
しかし、大きくどっしりしていて、重い土鍋です。
すき焼きは別ですが、肉中心の鍋も、海鮮鍋も、おでんも、「ほうと
う」もこれでつつくります。
失敗談2つ。
①もう4,5年前ですが、ふとしたことから「鍋のふた」をレンジから
床に落としてしまいました。
当然というか、あえなく割れてしまい、同じ新しいものを調達しまし
た。「鍋本体でなく、ふただけ別売」というのは認められず、結果と
して本体の方は、ひっそりと、家の奥にしまったままです。
②直近は、おでんだったかもしれません。最後にしまうとき、いわい
る「生乾き」状態だったのでしょう。
家人からは「かび臭い」と怒られてしまい、彼女は鍋を再度洗いなお
して、完全に乾燥してからしまうそうです。
2. 鍋料理のメニューの話
(1)我が家は、肉の場合は、牛肉、豚肉主力のしゃぶしゃぶ風かま
たは 魚中心の場合は、鮭、タラ、カニ中心の醤油ベースの海鮮鍋で
す。
邪道と言われようが、家庭鍋ですから、野菜と豆腐は、かなり多めと
なります。
出汁は、自分で作る場合もあれば、スーパーで市販の出汁(鍋の素)
を買って きて、そのまま使う場合と、アレンジする場合と。。。
いろいろです。
①肉中心の場合
市販のつゆで味を付ける場合と、しゃぶしゃぶ風に、出汁の味だけに
して、ポン酢やゴマダレでいただく場合があります。
出汁は、昆布や、干しシイタケ、どんこを直接使う場合生協その他の
「混合だし」をうか奪いと、さまざまです。
②海鮮中心の場合
子供はシャケが好みで、私はどちらかというとタラと牡蠣が好み、
なお、カニは、親子は双方好きです。
なお、淡泊な鶏肉は「骨付き手羽」を、こちらの海鮮鍋に少し入れる
場合が多いです。
なお「白子」が好きなのは私だけのようです。
何をもって「オーソドックス」というか分かりませんが、我が家で
は キムチ鍋とか、エスニック風の鍋料理はほとんどしませんでした。
(2)すき焼きの場合は別の鍋です。
昆布だしベースに、醤油・みりん・さとう・酒中心に、
事前に「割り下」を作って対応します。どうも市販の「割り下」は、
甘すぎるようで、上記(1)とは違い、すき焼きの場合は味付けはい
つも自家製です。
(3)鍋の昔話
「水炊き」といっても、各地で地元レシピがあるでしょうし、「思い
で」もさまざまでしょう。
私が子供の頃は、地鶏をつぶし、塩味のシンプルなものだったかと思
います。とにかく白菜と豆腐をよく食べました。
もう一つ、「イノシシ鍋」は贅沢なイメージ。
父親の友人が「趣味」でイノシシ狩りをやっていて、おすそ分けに、
さずかったようです。味付けは醤油味でした。
「臭み消し」にいろんな野菜も入っていだでしょうが、ゴボウがたく
さんくらいしか覚えていません。
イノシシの肉は「皮の部分」も分厚くて、結構薄切りで仕上げても、
結構噛み応えがありました。
ごくたまの「すき焼き」は、父が甘いのがキライで、「塩味すきや
き」であり、子供には、いまいち不人気でした。
3.鍋料理は家庭料理
最近は諸般の事情があり、外で鍋料理は、あまり食べません。
以前は、鍋料理の締めに「雑炊」や「麺」を食べました。
外で、鍋料理は、友人・知人というより「仕事がらみ」が多く、鍋料
理の内容は、あまり記憶にありません。
私にとっては、時間をあまり気にせず、リラックスて、携帯ガスコン
ロに注意しながら、家族で食べるもの、のようです。
1.私は宝くじを買うことがあります。
(1)「趣味」や「マニア」からは、程遠く、場所や売り場を選ぶ
とか、買う日付や、買い方、番号等にこだわることは、ありません。
購入金額も、極めて少額です。
とはいえ、たまに買っていることは事実です。 そこで
「なぜだろう?」と、ちょっと自分の心理を、のぞいてみました。
(2)今の時代、私が疑問を持つ程度のことは、大抵ネット上に
回答、解説が、あふれています。
一般論を見ると「錯覚している」「わくわく感」「夢を買っている」
といった説明が出てきます。なるほど、といったところところです。
いま本当に伝えたいこと
早川友久/著
出版者 ビジネス社 2020.9
1.概要
李登輝が「現代を代表する政治家」の一人であることは否定する
人は、少ないと思います。
李登輝については、幾多の本が書かれています。
「鉄人王」という日本人監督の映画にもなったようです。
本書は、年齢的に李登輝の孫世代の日本人秘書が、書いたものです。
決断は素早く、そして柔軟な発想で。情報は常に複数の情報源から。
前例のない事態には前例のない対応を。
といった言葉の節々に、李登輝の考え方が現れます。
前日亡くなった「台湾民主化の父」が遺した日本人への最後のメッ
セージです。
(2)2020年を迎え,蔡英文総統の手腕のもと、台湾はうまくやっ
ているように思えます。
コロナ対策は無論、経済や、安全保障の面でも、そうです。
これを書いている11月15日現在、米国大統領選挙の最終結果が見え
ません。トランプ政権からの交代があるとすれば、太平洋を取り巻く
情勢、軍事、経済バランスはまた一変するでしょうし、蔡英文政権
も、一層難しいかじ取りを余儀なくされるでしょう。
改めて李登輝の言葉を、追っていきたいと思います。
2.本文から引用
リーダーは信仰を持て。信仰がないなら信念を持て。
孤独なリーダーは、すがることのできるものを必ず持つのだ。P18
政治であれ、ビジネスであれ、完全を求めてはならない。目標の実現
に向けて100%の努力を惜しまないのは当然だが、必ずしも100%の結
果を得られるとは限らない。
その場合でも、7割が達成されて入れば『よし』とする姿勢をリーダ
ーは身につけなければいけない P28
李登輝の考え方の根本は、
「『台湾は中華民国』という発想の出発点そのものを捨てる」
ということ。李登輝が提唱したのが「脱古改新」であった。
「古のものから脱却しよう。そして全く新しいものに改めるの
だ。」 P 59-60
教養は万能ではない。実践が伴ってはじめて意味をなす P70
李登輝は、中国の圧力によって台湾の国際空間が狭められることは、
おそらく予期していたのだろう。だからこそ、中華人民共和国からの
圧力をはねのけ「中国」というものを巡って争うことを避けるために
中華民国の台湾化に向かったのである。 P94
権力とは、一人ひとりに与えられた力ではなく、必要なときにだけ、
取り出して使うことができるものにすぎない。事に当たるには権力が
不可欠だが、いつでもそれを手放す覚悟がなくてはならない。
つまり、権力とは『借り物』であって、使い終わったら国民に
返すべきものなのだ。 P134
「それでも蒋経国は『中華民国』あるいは『国民党』をいかにして維
持していくか、という信念に基づいて政治を行っていた。
批判はあるが、指導者には信念が必要だということを学んだのも蒋経
国からだ。 P147
個人の感情や価値判断よりも、国家や国民の利益を優先させよ。
P156
あの時代、日本は理想的な日本人を作り上げようとした。そうやって
出来上がったのが私という人間なんだ。 P168
日本時代に叩き込まれた『公』のために尽くす精神。これがあったか
らこそ、苦しかった台湾の民主化もあきらめることなく成し遂げたれ
たんだ。台湾の民主化に成功は、日本教育のおかげだ。 P196
(著者早川氏の言葉)
現在、台湾に住む人々が民主主義や自由を当然の権利のように享受し
ている裏側には、李登輝をはじめとする多くに台湾人の苦難と涙の歴
史が隠されているのである。 p208
3.最後に
別段、難しい表現、概念を理解するために深い予備知識が必要は言葉
はありません。
内容は、「まさにおっしゃるとおり」腑に落ちます。とりわけ反論も
ありません。
「真実は、常に単純である」と納得もします。
世の中に流布している名言・格言同様ある意味で、「誰でも言える
言葉」かもかもしれません。
しかし読み手の心に響くのは「実績」の裏打ちされた人間の言葉
だからであり、また言葉の重みを感じるのでしょう。
1.頑張る高齢者
先日11月2日のこのブログ
「好きなこと」に頑張れる高齢者は、うらやましい いろんな要素が積み重なって、でしょうが・・・ - 中高年michiのサバイバル日記
聞くところによると、大富豪であるし、経済的に「働かざる
を得ない」訳ではありません。しかし、高邁な自分の理想
実現のため、万難を排して頑張っているのでしょう。
誤解を承知で私見ですが、本人の意志は認めますが、煎じ
詰めると「好きで」やっているように思えます。