中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

38億年の生命史に学ぶ生存戦略 人間のビジネスも、地球の大先輩生物に学ぶこと多々

38億年の生命史に学ぶ生存戦略

並列タイトル       Learned from Life History

稲垣栄洋/著  

出版者    PHPエディターズ・グループ 2020.9

PHP研究所(発売)

1.概要と著者の前作

(1)植物や生き物たちは、勝ち抜き、生き抜くための「戦略」を発

達させてきた。「GAFAの雑草戦略」「コウモリのずらす戦略」「タン

ポポたちのドミナント戦略」など、38億年の生命史から企業の生存

戦略のヒントを読み解く、とあります。

(2)著者の稲垣栄洋さんは、農学博士で、植物学者・生物学者ですが、

著作(話)がとても、面白くてうまい。

1年半前に取り上げた、「敗者の生命史38憶年」もとても良かったです。

「敗者の生命史38億年」(読書感想文もどき) 生き残り次の時代を作るのは、いつも敗者 - 中高年michiのサバイバル日記

ここでの趣旨は、

38億年に及ぶとされる悠久の生命の歴史の中で、最終的に 

 生き残ったのは常に敗者の方だった

 私が感想として書いているのは

我々人類も、いつか滅ぶのでしょう。

「地球の覇者」となったのは、38億年の歴史からすると、

ほんの短い期間であって、その人類が、「地球を守ろう」

「生物を守ろう」というのは、上から目線の実に僭越なこと。

というものでした。 

今回の「生存戦略」も、納得のいくことが多かったです。 

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植物の生き残り戦略も、なるほどの連続でした。

2.本文から

ナンバー1しか生き残れないしぜんかいに、どうしてさまざまな

生き物がいるのだろうか。(中略)

すべての生き物は、「ナンバー1になれるオンリー1の場所」を

持っている。このナンバー1になれるオンリー1の場所を、生物学

では「ニッチ」と呼んでいる。  P19-20

 

ニッチを獲得できなかったものは、滅びていく。それが自然界の厳し

い掟なのである。  P21

 

他の生物とニッチをずらしながら、自らのニッチを確保する。これは

ビジネス世界の「ポジショニング戦略」そのものである。  P31

 

思い出されるのは、「唯一生き残ることができるのは、変化できる者で

ある」という進化学者ダーウィンの有名な言葉だ。  P39

 

生物にとって、住み慣れた環境が変化するということは恐ろしいこと

である。しかし、変化こそが、埋め尽くされたニッチに新たなニッチ

を生み出す最大のチャンスなのである。  P60

 

今から数万年前、生物の歴史上、最強にして最後の、どう猛な生物が

現れる。そして、その生物が次々に環境を破壊するようになったので

ある。

その生物こそが、人間である。

この人間の創り出した変化する佳境に適応して進化した植物が、「雑草」

と呼ばれる植物なのである。   P74

 

失敗することを恐れずに、失敗することを前提として、小さなコストの

小さな趣旨をたくさんばらまく。まさに雑草の戦略だ。

そしてたくさんの失敗になかで、大きな成功を収める。小さな挑戦をし

続け、変化し続ける。これが予測不可能な時代に大きな成功を収めてる

GAFAの戦略である。 P97

 

じつはギャップ植物は深い森が出来上がる前から、そこに生えていた。

そして深い森が出来上がると、後は種子となって土の中で眠り続ける

のである。

深い森の中で目を出しても、光の無い森の底では枯れてしまう。

そのため、無駄な戦いはせずに、土の中でやり過ごすのだ。そして、

ギャップが出来上がると、素早く目を出して花を咲かせ、種子を散布

する。 P111

 

 生物の世界では、圧倒的にスペシャリストの方が、ジェネラリストよ

りも数が多い。微生物も然り。

分裂を繰り返す微生物は、環境の変化に適応して、速やかに変化する

ことができる。そのため、スペシャリストやジェネラリストという性

質も、環境に合せて変化することがある P180-181

 

同じものを目指せば、同じゴールにたどり着く。差別化を図るので

あれば、違うものをめざさなければならないのだ。  P207

 

小さな単細胞生物でさえも、小さなバクテリアと助け合う「共生」

という戦略を編み出した。そして「共生」という戦略を実現した

真核生物が、現在の地球の覇者となっている。

「競争より共生」それ場、厳しい競争の世界で数十億年を生き抜

いてきた生物の戦略なのである  P236

 

もしかすると厳しい変化を生き抜くために、能力の異なる者がコ

ラボレーションする「共生」という戦略が海だダレたのかもしれ

ない。 P237

 

3.最後に

 今回も、とても面白かった。植物と、ビジネス現場での「戦略」の類

似性に、「なるほど」を連発。

現在の自分に引き直すと、大きな組織や小さな組織の歯車(は僭越で

一パーツですね)の時期も、すでに通り過ぎ、自由度があり、小さな

挑戦をひとりで、小さな挑戦を、継続して仕掛けてていける時期です。

恐らく、挑戦は大部分失敗どころが全滅の中で、生物としての命が絶た

れるかも知れない。

それはそれで仕方がなくて、いつもの「諦観と寛容」が生きるベースで

す、と今回も再認識。

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千葉県の鋸山(のこぎりやま)に行ってきました。いい天気と若干の筋肉痛

今年の5月連休にも、晴天行楽日和は、ありました。

今日のブログでは、新型頃コロナ騒動や、「緊急事態」とやらの

コメントは、書きません。

純粋に、家族での行楽に報告です。

1.千葉県の鋸山(のこぎりやま)ってナニ、どこ?

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乾坤山日本寺の象徴はこの大仏でしょうか

千葉県安房郡に鋸山というのが会ってマイナーですが、地元民中心の

観光スポットでしょう。

木更津の近くで、漁港があり、車から見ても、私の好みの雰囲気の釣宿

もいくつかありました。

ガイドブック的に言うと、

今から1300年前、かの行基による開山で「乾坤山日本寺」と言い、関東

最古勅願所だそうです。

著名なのは、上記写真の大きな大仏です。

台座からてっぺんまでの総高が、鎌倉の大仏13.35M、,奈良の大仏18.18M

に対して、31.15Mとのこと。

確かに大きいです。

写真に、ヒトを排除しているため、大きさの比較感がイマイチですが、

「大仏広場」には、結構な数の、老若男女がたむろしておr、いかにも

「晴れた5月の連休の観光地」の雰囲気でした。

 

2.考えることはいつも同じ

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長城まで登り課した。好きな海岸の一枚

(1)整備された道(足元の石段またはコンクリ階段はしっかり、

手擦り付)を通って、「上記の大仏広場」から、山頂に向かって歩

くわけですが考えていることはたいてい同じ。

「よくまあこんなところに、人力で太そうなものを作ったな」と思

います。

実際仏像を構築する人、岩をえぐり出す語りで仏像を彫る人がメイン

でしょうが、水や食料を、海岸から運び上げる人他、幾多の人力が

必要でしょう。

無論、宗教心はエネルギーの源泉ですが、人間のやることですから、

経済的、政治的側面は、必ずあったことでしょう。

私はエジプトのピラミッドも万里の長城も、現物を肉眼球で見たこ

とはありませんが、お村落何処へ行っても考えることは同じで、

悲喜こもごも、人間の感情の終結を、考えうのでしょう。

(2)さて、もう一つは、地盤、気温、天候と言った自然環境。

私は、5月の晴天の日、整備された道をゆっくり上るだけですが、

当時の現場は「想像を絶する」苦労が多々あったのでしょう。

当然のように、事故もあったのでしょう。

写真委はありませんが。たくさんの羅漢の、首がありませんが。

宗教的対立で、異教徒や反対勢力から首をちょん切らたという

話は聞きませんのっで、経年劣化で、ほそいクビの部分がやられたか

大雨、大風、地震等の一時的な自然の大きな力が作用したのかも

しれません。

 (3)なお、これを書いているのは翌日ですが、タイトル通り、

若干の筋肉痛です。

あの程度の歩きで若干御筋肉痛になるなんて、というのは、甘えで

すね。現実の自分の生理状態は、受け入れなければなりません。

3.優しい日本(関東)の5月晴天の日

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駐車場の周りの風景

海岸にある道路から、上記の「大仏広場」近くまでは、車で上がってきました。

結構な人出で、庁舎上は、入場順番待ち状態。近くの土壌に駐車の車

も多々ありました。

掲載の写真で、言いたかったのは「新緑の5月の関東」です。

いい環境ですね。なぜが二つ全く別のことが頭に浮かびました。

一つは灼熱の砂漠の大地、なるほど厳父イメージの一神教は、優しい

環境の日本では起こりにくいな、と考えたこと。

もう一つは、スギ花粉で、苦しんでいて、春先は涙目だった以前の

職場の女性の顔、5月になると花粉症も和らぐのかな、ということ。

ワクチン接種遅れの言い訳が人手不足なら、歯科医や薬局の勤務者も対応すればいい

1.私の新型コロナへの見解

新型コロナに対して、私の見解は1年半前の「当初」から変って

いません。少なくとも、国民サイドの公衆衛生管理は、世界的に

見てほぼ合格点と思います。

日本の行政責任者のウイルスに対する基本的な考え方と対応が

出発点から、間違っており、誰のためが、現体制維持勢力と既得

権益者利益に優先になっていること。

それが、常識的な国内外の度々の指摘にも関わらず、一向に修正

されない、という事かと思います。

以上が、基本的考えですが、ついでに書くと

マスメディアも上手に論点をすり替えながら「恐怖心を煽る」新型

コロナ騒動継続に躍起なようです。

本質論の議論は、何度言ってもダメで、私はすでに諦めている感が

あり、個別の実務的な論点を問題にすることが今は多いですが、

今日はワクチン接種の問題です。

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ワクチン接種も「病は気から」の側面あり

2.誰のためのワクチン接種?

(1)何も冗談を言っているのではなく、ワクチン接種が重要な対策で、

接種希望者が渇望しているなら、迅速に対応すべきでしょう。

利害関係者の既得権益保全のため、わざと重らせているとしか、思え

ません。もっとも、一連の行政対応がそうですが・・・

ワクチン接種についても生成過程、許認可の過程での疑問点も多く、

接種したくない人がいるのは、個人の見解として、いいでしょう。

一方、「ワクチンを打てば安心」という考える人も、多いようだし、

プラシーボ効果とは言いませんが、「気の持ちよう」の効果は大きい

と思っています。

先日のブログでも、この趣旨を書いています。

景気の「気」は気分の「気」 ワクチン接種で、高齢者のお金が動き出す? もともと数字無視だから - 中高年michiのサバイバル日記

ここでの趣旨は、

「65歳以上の高齢者にワクチン接種がいきわたると、景気回復する、

との考え。つまり、

現時点、高齢者の中には、まじめだった、怖がったりで、外出自粛が

多いようですが、ワクチン接種が『免罪符』的に、『自分は大丈夫だ』

と外出が増えそう。」という趣旨。

 

 (2)私が言いたいことは単純で、ワクチンの在庫が用意できたのなら、

 希望者にどんどん打てばよい、ということ。

 

「素人見解」批判を覚悟で言いますが、ワクチン接種が高度内瘻行為と

は思えないし、歯科医院や薬局も、希望者に接種の対応ができるように

すればよい。

ワクチン接種をできる人がいないといった人手不足の言いわけも、解消

するのでは?

当然既得権益者は、反対でしょうが、「緊急事態」というなら、行政は、

もういい加減、「誰のための医療か」を肝に銘じ、腹をくくって対応して

ほしい。

「薬局で、ワクチン接種」の海外事例もあることだし、マスメディアの中

にも、「接種作業をやる人の拡大」といった論陣を張るところが、一つく

らいあっても・・・

「何でも反対」の野党勢力にも、格好の材料になりそうなのですが。

要は、「緊急事態」なら、一般人の冷静な見解、既得権益者以外の人

の話にも、耳を傾けるべきでは?

(恐怖をばらまくのが、自分の仕事と思う人が多いのは、よく解って

 いますが・・・)

 

3.障害解消は、やはり感染症分類見直し

味目な日本人は多いと覆うしこの感染症に対しても、前向き見解の

人も多そうです。

やはり高い高い障害となっているのは、感染症分類の2塁から、

5類への見直し、です。

既得権益保全の「岩盤規制」となっているようです。

こういった、一つ一つの取り組みが、行政の「信頼回復」の一つの

気がします。

現在の信頼度合いでは、いくら恐怖心を煽ってみ、国民が、行政の

いう事を、聞かなくなっています。

 

 

やはり日本は、余裕のある社会と思います 明日も日本社会は続きそう

1.ヒマに任せて

若い頃からやってきた仕事における「実務」から解放されていくと、

いろんな側面がでてきます。

社会から相手にされていないように感じて寂しいとか、経済的に

苦しくなってとか、の話は今日はしません。

「小人閑居にして不善をなす」ではありませんが、「ヒマに任せ」

て、も少し言葉を取り繕うと「自由な時間を活用して」「よしな

しごと」を考えているのが、私の実態です。

とはいえ、それは外部への実害はほとんどないようですし、「不善

をなす」にまで至らないのかもしれません。

 

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余裕がある個人のイメージ

2.余裕のある社会

さて、今日少し書きたいのは、「日本社会はまだまだ余裕がある」

ということ。なんだ、そんなこと当たり前ではないか、かも知れま

せんが、私が勝手に思い当たる事例から書いていきます。

(1)何度か書いたように、少なくとも現時点で、日本社会で飢え死

しそうな人が、多数とは思いません。

報道の可否、私がその報道を知っているか否か含めて、飢餓状態にい

る人が皆無であるとは、解りませんが、「多数」ではないようです。

歴史を振り返ると、その点は、まず国としては合格、でしょう。

(2)戦争や暴動に巻き込まれ命を落とすことは、少なそうです。

上記の「飢餓状態」より、「確度」は落ちるものの、大丈夫そう。

オマエは日本を取りまく、国際関係、安全保障の状態を知らないのか、

と言われそうですが、先はともかく、今日まで全面戦争はありません。

米国の「ブラック・ライブズ・マター」にかこつけた暴動や、欧州の

移民問題を契機とした暴動、また(情報開示がなく)あくまで推測で

しょうが全体主義国家での、個々人の身体の危機等々、大変そうです。

比較論から見て、「日本は安全」と、少なくとも源治帝では言えます。

(3)新型コロナ対応あれこれ

も少し、具体的、実務的な問題に入りますが、新型コロナ対応あれこ

れを見聞きする場合に本当に余裕のある社会だな、と思います。

①世界的に大きな影響を与えている新型コロナ問題は日本では、結果

として良く、コントロールされています。

「蔓延」とか「医療崩壊」という言葉が、一般の地上波テレビで飛び

交うのを、裏読みすると、「海外並みに本当に大変だ」と思っていな

い人がとても多いらでしょう。

②先日、チラリとニュースを見たら公園とか外での飲酒の排除を

呼びかける「見回り隊」なる者があるとか。あくまで要請であり罰則

を伴う強制力がないそうで、その意味合いはなんでしょう。

もちろん「見回り隊」の方は、上から命ぜららた仕事であり、まじめ

にやった報酬をもらう、その制度趣旨や効果は、本人の関知すること

ではありません。

③少し古いですが

厚生労働省が、企業に「経営努力をして、内定取り消し取り消しを

防ぐよう要請」とっいった記事がありました。

やはり「「餅は餅屋」でしょう厚生労働省に企業努力をいう権限

があるのは、私には不思議でした。

④ワクチン注射が進まない要因の一つ

原因の一つに、注射をする人手不足が報道されていますが、これも

規制に絡め既得権益保持最優先の匂いを強く感じます。

場所あh沢山あるし、基本的に現時点でコロナ対応していない医療

資源がたくさんあるわけで、その一部の日の活用をしては?

しろうと意見かもしれませんが、「注射を打つ」人は沢山いるわけ

歯科医師でも薬局でもいいのでは?

骨董無碍な話でなく、海外事例もあるわけで、これも既得権益の影

を強くを感じてしまいます。

⑤親父の小言オン・パレードになってきましたが、この小見出し

最後は「ベッドが足りないので医療崩壊の報道について。

良くも1年以上も、同じ行政の不手際を報道するもの。

医療関係者にも「緊急事態」対応させて、行政がほんとに大変と思う

なら、強制力を働らかせては?

 

3.最後に

ピリリとワサビのきいた、さわやか系の社会コメントをめざしている

わけですが、現実は「日暮れて道遠し」どころか「小言」を書き連

ねる実態です。

餓死も免れ、直接的な生命の危険も回避できて、日々ヒマに「考える」

ことがができる余裕のある現在日本社会に、まず感謝です。

皮肉めいて書くと、既得権益保持に救急している人が横行しても、まだ

社会が成り立っていく余裕があるのでしょう。

さて、人間弱いもの、おそらく社会貢献もできないであろう今まで及び

これからの人生も、ヒマに任せて、いろいろ文句を言い続ける私なので

しょう。

今週のお題「おうち時間2021」 変わらず読書と家庭料理

1.まずは読書の件

今週のお題「おうち時間2021」です。

出題者の趣旨としては、没頭している趣味や暮らしのアイデア

自分磨きのために取り組んでいることなどを開示、となってる

ようです。

確かに、いろんな意味で、多様化が許容されている社会で、上記を

開示しても、悪いことではないでしょう。

技術革新で「ほんのごく少数」しかアクセスしない情報も、開示コ

ストがとても安くなりました。功罪は別として。。。

という事で、すこし、書くことにします。

全ての思索や行動において「意味がない」というのは禁句でしょう。

正直きゃっかんてきにみて、大多数の人とって「意味がある」こと

など、少ないと思えますし、「生きている意味がない」と本人が力

んだところで、周りは面白くないだけ。

私も、いろんな思索や行動を「意味がない」と思うほうですが、「そ

れをいっちゃ一、おしめいよ」の方に、加担する方が円満でしょう。

現実には、周りに向かって発現することは皆無に近いでしょう。

さて、私は一番時間知費やしているのは読書ですが、ここでは詳説

開示はしません。

広範囲といえばそうであり、取り上げる本への理解の難易度軟も千差

万別、また分野も社会科学だけでなく自然科学もあります。

 哲学のように、「理解しているの?」といわれようが、相当な時間

を割いているのは事実です。

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家庭料理で検索したこのイラストにします

 2.家庭での料理

さて、今日書くのは、家庭での料理のこと。

現在大人三人、夫婦と成人の子供(男)の食事当番の話です。

(1)主権者

食事含めた家事の総責任者は、あくまで妻であり私は補完。

料理の最終主導権は彼女、つまり彼女が上司であり先生。

よくよく考えると、この立場はラクなこともあります。

無論、不平不満は、いつもあります。(おそらく家族全員

つまり私が、普段接する、外の組織とは違います。

(2)基本と創意工夫

まずは言われた鳥、書いてある通りにします。

基本の型の習得が第一と、偉そうに言いますが、私残された時間

で「習得」することができるのだろうか?

とはいえ実際は、アレンジという名の「テキトー」です。

生協レシピも、オイシックスキットもクックパド記載レシピも

大枠、調味料の割合を減らしたいします。

好みの問題ですが、「九州の甘い醤油」が染みついていますので、

これって糖分が多いのかな?

難しい話は置いといて、「薄味にしておいて、後で足すことはで

きるが、逆はできない」のだから、この点では、無難な選択で

しょう。

(3)レパートリー

何も外億語で書くほどたいそうな話でないですが、現代日本人の

家庭料理が、和・洋・中・エスニックほか多様性に富んでいること

は事実のようです。

私が多く体験したわけでなく、これも書籍情報からが多いですが、、。

ということは、いっぱしに家庭料理ができると、かなり広範囲の食事

を作っているような気がします。

とはいえ、もともと食材の多くは、主権者(妻)が用意しているもの

であり、各種調味料もほぼ完備、加えて「半製品」に逃げることコト

もできます。

意識が低いと言われるとそれまでですが、レパートリーと食材価格、

調味料に苦悩することは、あまりありません。

(4)家事の一端を担う

当たり前のことであり自負なんておこがましい、と言われるでしょう

が、一週間で2から3回料理を担当しているという事は、家事の一端

を担っているのは事実でしょう。

家庭内での存在意義ありと、勝手に自負しています。

 

3.少しは変化

今回のお題もそうだし、新型コロナで生活が大きく変わったとの情報

の方がそうでないより、受けるでしょう。

私の方は「少し」という回答。

ありがたいことに、今回のコロナ騒動で、失業や収入の壊滅的減少は、

いまだ発生していません。

「おうち時間」の方も読書と家庭料理ですから、あまり変わってい

ません。

確かに家族面々の仕事や交友関係での「外食」は減りましたし、そ

の点では「少し」変化あり、ということでしょうか。

長期間没頭できることは、うらやましい しかしそれは、本人の能力があってこそでしょうね。

1.本人の能力次第・・・・身もふたもない

(1)今日の言いたいことは単純で、長期間一つのことに集中し、没

頭できるのは、環境や外的要因が大きいにしても、基本は、本人の能

力があってこそ。ということ。

「自分の能力がないから、没頭できない」ことの言い訳と、とられて

も、それは仕方ない、と冒頭に認めてしまいます。

「没頭」を 広くとらえると

そんなのアタリマエで、ヒトは自分の好きなことしか没頭できないし

多くの人がそうしている。実際職人や、職人タイプのヒトは明らかに

そう、との意見が直ぐ返ってきそうです。

(2)今日の私の話は、も少し限定版です。

結果として歴史上に「実績」を残せた人で、私勝手に選んだ人です。

いわいる政治家・経済人、芸能人とか、スポーツ選手、芸術家等は

含んでいません。まさに私の独断と偏見の選択です。

抽象的ですが

本人の強い意志と、(広義の)恵まれた環境があったことが前提

だが、矢張り「本人の能力」があったればこそ、という話。

いつも書くように、彼(彼女)がいなかったら、誰かが、その地位

を埋めたのだろうか、否かというのは、今日は議論しません。 

ところで、その能力のある「うらやましがられる人」と、この小ブ

ログの読者はどう関係があるの?になりますが

まずは、非常に間接的な言い方ですが「恩恵」を受けていること、

及び生きている以上、ダメもとでも自分なりに頑張ってみること

も必要では?といったくらいでしょうか。

歴史に名を残そうと肩ひじ張っても、できるものでもないし・・・・

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「うらやましい」というイメージです。

 2.事例を少し

(1)とはいえ、抽象的なので、偉い人の事例を二つ

「私が1日休めば、日本の近代化は1日遅れるのです」

  パリ留学中、夜を日に継ぐ猛勉強に体を壊しかねないと気遣う

下宿の女主人が、ある朝、高熱でうなされながらなお大学に向か

おうとする古市公威(こうい)に、“今日は1日休んだらどうか”と

声をかけたのだが、その際に古市の口から出た言葉だそうです。

ここでいう古市公威は、工学の博士です。

西洋文明をいち早く吸収して独立不羈(ふき)の近代国家たらね

ば、日本は文明国の一員として生存できない。自分は今、国費で

賄われ西洋文明吸収の最前線にいるのだ。

強烈なエリート主義とナショナリズムを背負う明治の技術者の

気概をこのエピソードは物語っているといえます。

普通の現代人に置き換えると、しらけてしまいます。

時代背景を踏まえ、能力があり、実績を残した人の言葉として、

意味があります。いわいる「名言集」が発信者あってこそ、と

同じレベルです。

 (2)名言を取り上げるのではないですが、北里柴三郎の話

です。ペスト菌を発見し、また破傷風の治療法を開発するなど

感染症医学の発展に貢献した、あの北里柴三郎です。

幕末ペリー来航時熊本に生誕し、熊大医学部卒です。

二人の弟コレラで亡くしたことも、医学の途へのきっかけの一
つでしょう。
「細菌学の父」だけでなく、医学界の基礎を作ったひとりです。
具体的には、
東大医学部、慶應医学部に深く関与し、北里大の基礎を築き、
また弟子の一人は慈恵医大の基礎を作りました。
エピソードとしては、
1901年の第一回ノーベル医学、生理学賞の件で、当時共同受賞
制度が無かったため、先輩格の単独受賞となったとのこと。
実績を書き込んでいけば、どんどん埋まりそうですが、今日の
ブログの趣旨は「没頭」です。
医学の件で、海外留学時代、下宿と研究室の往復しか記録になく
「研究に没頭していたとのこと」
環境として「誘惑」も多々あったでしょうし、また上記の古市
公威同様本人の強い意志があったのでしょうが、
「他に時間を費やすより面白いので、研究に没頭できた」という
面はあったように私は推定します。
これも能力があればこそ没頭できたのであり、うらやましい限りです。
 
3.疫病のこと
聞きかじりですが、脱線話を一つ。
一般に日本の幕末の歴史記載の「尊王攘夷運動」は、歴史の流れにピント
外れで、いいイメージはありません。
じつは、当時開国により、外国人の流入とともに疫病(コレラ?)が蔓延
の兆しがあり、この尊王攘夷」は疫病の伝染病阻止の運動の意味があった
そうです。
現在の日本の「コロナ騒動」より、16世紀以降の北米大陸での原住民の
疫病による、結果としての大量殺戮を思い出しました。 

遺言(読書感想文もどき) 養老孟司さんの「語り下ろし」でなく、「書き下ろし」

遺言

養老孟司/著  

出版者    新潮社 2017.11

1.概要

ヒトの意識と感覚に関する思索は、人間関係やデジタル社会の息苦しさ

から解放される道となる。「考え方ひとつで人生はしのぎやすくなる」

との見解です。

それはそうですか、80歳で叡智の到達点に達したと言える養老孟司さん

が言うと、実感アリ、ですね。

25年ぶりの完全書き下ろし、だそうです。

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遺言作成者のイメージ

2.本文から

音楽の訓練をしないと「絶対音感がつかない」のではなく、小さい時

から楽器の訓練をしないと、動物同様に、赤ん坊が持っている絶対音

感が消えてしまう。  P21

  

「私にはそういうものの存在意義がわかりません」。そう思うのが当

然なのに自分のわからないことを、「意味がない」と勝手に決めてし

まう。その結論に問題がある。なぜそうなるかというと、すべてのも

に意味があるという、都市と呼ばれる世界を作ってしまい、その中

で暮らすようにしたからである。

意味のあるものしか経験したことがない。そう言ってもいい。  P36

 

 理論が頭の中にあるということは誰でも納得すると思うが、「現実」

も頭の中にあるじゃないか、と言われると「常識に反する」と思っ

てしまう。

常識には反するかもしれないけれど、じつは私は現実も頭の中に

あると思っているのである。だって自分の外に「現実」が存在しよ

うがするまいが、それを「現実」と思っているのはあなたなんです

からね。   P44

 

この本の文脈でいえば、「分けない主義者」は同一世つまり意識

を重視し、「分ける主義者」は違いの存在、すなわち感覚所与を

重視する。たとえ虫好きの酒席での議論とはいえ、じつはヒトの

世界認識がそこには関わってくる。

 分類学や解剖学のような「古く代」分野は、常にこの問題を基

本にしてきた。世界認識のいわば根本なのだから、そこでの食い違

いは喧嘩になって当然であり、だから喧嘩をしていいのである。

そこには「正解はない」からである。差異と同一性、それは人類の

抱えるじつは大問題である。    P46

 

結論的にいえば、科学とは、我々の内部での感覚所与と意識との

乖離を調整する行為としてとらえることが出来る。それが本書の

主題の一つなのである。   P47

 

ヒトの意識が「同じ」という機能を持ったからこそ、動物の時代

からあったはずの感覚所与と衝突するだけのことである。それな

らこの問題はたかだか20万年来の問題だというしかない。現在人

が発生し、現代人のような脳をもってから、ほぼ20万年立ってい

るからである。    P69

 

言葉は「目と耳を同じだとする働き」だと人間は納得する。

動物はそんなことは夢にも考えない。その意味でも「動物には

言葉がない」のである。    P91

 

 生身のヒトはいわば「雑音を含みすぎている」。意味を持たない、

さまざまな性質が生身には含まれてしまう。そんなものは要らない、

面倒くさい。(中略) こうした現在生活は人生の意味を剥奪してい

るのではない。むしろ「意味しか存在しない」社会を作っている。

それが情報化社会である。情報とはすなわち意味でもあるからで

ある。  P147

 

現にわれわれが生きている時間とはなにか。それは一期一会であ

ろう。ただいま現在である。過去はすでに済んでしまってるし。

未来はまた来ていない。確実な時とは、ただいま現在でしか

ない。  P153

 

では、何が問題なのか。時間とともに、変化する事象を、変化

しない情報でどう記述するか。それが果たして可能なのか。私

に答えを要求しないでくださいね。毎日、こんなことを考えて

眠れないんですから。  P163

 

ヒトの生活から意識を外すことはできない。(中略)学問こ

そが、典型的に意識の上に成り立っているからである。

でもここまで都市化つまり意識化が進んできた社会では、も

はや意識をタブーにしておくわけではいかない。  P179

 

3.最後に(感想文的に)

「はじめに」から、引用すると

「全体にまとまりがついてきた、ヒトとは何か、生きるとは

どういうことか根本はそれが主題」とあります。

確かに大問題であり、私一人で、考えられることではありま

せん。

こういった「大家」知言われる人の考え方も、いくつも引

き出しに入れておくことこそ、読書の有益性と、改めて考

えたものでした。

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