中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

本離れの原因は、嗜好変化でなくやはりお金の余裕?(海外との相対比較も)

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電子書籍で、読むイメージ
1.言いたいこと
今日言いたいのは
「本離れの実質的要因は,若者の読書離れというより、オトナの経済
余裕がなくなってきたから」
とのくらい結論です。
ほどんど下記紹介論説の受け売りですが、
加筆すべき私見は、・・・・
〇貧すれば鈍すではないが、緊急性の低い支出である書籍の購買低下
につながっていて、ひいては「心の余裕」が低下しているようでコワ
〇図書館の利用は高まっていて、読書量自体はそんなに減ってない
では? とも思う
〇自分が不要不急と考え得ていることと、家族のそれとは違うこと
があり、結果として書籍代が影響受けることはある。
 というものですが、私見を補完するいわいる数値検証は、できて
おりませんので中高年michiのつぶやき程度です。
 
 2.幼児から大学生まで
これは、大学生生協のデータから、考えます。
出典は

第54回学生生活実態調査の概要報告|全国大学生活協同組合連合会(全国大学生協連)

(1)大学生協の要約

読書時間について

1日の読書時間「0」は48.0%と引き続き半数近くに読書習慣なし

中学から高校時代の読書習慣の延長が大学生の読書傾向に

記載の成功の分析コメントを一部ピックアップすると

・大学入学までの読書傾向を今回初めて調査した。

・小学校入学前は「全く読まなかった」と「30分未満」が31.8%と

31.7%と多くを占めているが、小学校低学年から高学年まで「全く

読まなかった」と「30分未満」は減少し、「30〜60分」「60〜120

分」「120分以上」と読書時間が長い層が増加する。

・小学校高学年では読書時間が30分以上だった層が54.1%であるが、

高校時代では33.0%までに減少し、「全く読まなかった」が31.0%、

「30分未満」も29.6%と、ほぼ小学校入学前の状態に戻っている。

・小学校入学前と高校で120分と長時間読書している層は現在の読書

時間も長い傾向がある

 

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時系列読書時間データ
(2)私の見解
・データ見ても、幼児から大学生まで、読書時間は、昔とそう変わらない。
・「120分以上読書時間に充てる割合は、2004年5.8% 2017年5.3%
 2018年7.2% 明確なトレンドなく「横這い」
 つまり、読書を習慣としている人は、一定割合いて、傾向は変わっ
ていない、と思います。
私の独断ですが、読書は「考える」ツールと思っていて、そのツール
使う割合は減っていないと思います。
読書の媒体が、紙からネットに代わってきている分が、一見「本を
読んでいない」ととられるのかもしれません。
読書時間ゼロが増えているのは、コメントしません。
いろんな楽しいツールが増えていますから。
  
 3.大きな変化は、大人の読書
上述の加谷珪一さんからデータいただきます。
 (1)海外との数値比較
 2017年における米国の書籍市場(電子書籍含む)は約368億ドル
(約4兆円)となっている。
2013年から2017年にかけて市場規模は5.8%拡大しているので、日本
とは正反対の状況といってよい。
(もう少し分解しています。)
米国における書籍市場の牽引役は電子書籍である。
4年間で35%の伸びを示し、これが市場全体の拡大に大きく寄与し
た。
だが、もっとも注目すべきなのは紙の書籍で、同じ期間で、ほぼ横
ばいの水準を維持している。
つまり米国では電子書籍の増加で書籍市場全体が拡大しているが、
紙の書籍も健闘しているという状況なのだ。
今後は徐々に紙の比率は低下していくと予想されているが、販売額
の絶対値はまだ増える見通しである。
ちなみに、中国やインドなど新興国も似たような市場予測となって
いる。
 
(2)お金の問題
(結局、日本のオトナに、お金の余裕が無くなってたから、という
結論ですが以下のように分析しています。)
日米の違いをもたらしているのは、結局のところマクロ的な経済
動向である可能性が高い。
日本のGDP国内総生産)は過去20年間、ほぼ横ばいで推移してき
たが、同じ期間で諸外国はGDPの規模を1.5倍から2倍に拡大させた。
それに伴って1人あたりのGDPも大きく伸びているのが実状だ。
1人あたりのGDPは、その国の平均賃金に近いと考えてよいので、
相対的に見ると日本人の購買力はこの20年間で3分の2から半分に
低下したことなる。
日本経済研究センターが行った長期経済予想によると、2060年に
おける日本の1人あたりGDPはあまり伸びず、米国など諸外国との
格差はむしろ拡大する見通しである。
OECDが行った長期予想では、2060年時点において、1人あたり
GDP国内総生産)で韓国に抜かされている
 
(3)私のコメント
日本が昔に比べて、「きれい」で、「小さく」て、「安い」国に
なってきているとは、最近私がよく話すことであり、そんな国は、
魅力的、たしかに海外からたくさん人は来るでしょう。
(特に「安い日本」は大きな魅力)
裏返すと、「外国人はお金もち」との感覚は、30年前とはずいぶん
違います。
日経平均は、未だバブルの頃の高値の6割くらいです。
NYダウはじめ海外の株式指数で、30年以上も高値を更新してい
ない、主要市場は極めて少ないですよね。
 
 (4)シワ寄せは若年層
加谷珪一さんのコメントを続けます。
政府は70歳までの雇用を企業に求めている。
このままいくと総人件費は膨れあがる一方であり、そのシワ寄せは
若年層社員の年収低下という形で顕在化する。
あらゆる年代において経済的余力がなくなっており、これが緊急性
の低い支出である書籍の購買低下につながっている可能性が高い。
電子書籍は紙と比較すればコストは安く済むが、それでもコンテンツの購入にはお金がかかる。
消費が弱い状況では、電子書籍であっても伸びる余地は少ない。
 
 4.まとめ
今回も新機軸コメント何も展開していなくて
・過去比較、横比較(周りの世界)で日本の大人が、経済的余裕が
減ってきた。
・しわ寄せの一つが、本の市場に現れている。
・悲しいかな、傾向は、あまり変わりそうにない、というもの。
とはいえ、少しは明るく締めましょう。
日本経済の土台は深い。すぐには、日本国家はつぶれない。
ゆっくり確り、自分の生き残る手法を考えていこう。
(いや、明るくくないかな?)
  
 

新型コロナウイルス対応、やるべきこと、やってはいけないこと そして冷静に考えること

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基本対策は、手洗いとうがい

新型コロナウイルスについて、1月25日のブログで、コメントして

いますが、

旧正月に新型ウイルス性肺炎とは最悪のタイミング 自己防衛如何 - 中高年michiのサバイバル日記

 まとめとして

  起きた災害は仕方ない。

  関係者の鎮静化に向けての場頑張りに期待

  各自は自己防衛に努めよう。

と、書いています。

あれから10日前後、連日いろいろな動向が報道されています。

1月31日にはWHOが「緊急事態宣言」を出しているようです。

ちょっと気になる記事があったので紹介します。

筆者はジャーナリストでなく、麻酔科医とのことです。

新型コロナウイルスで「やってはいけない」5つのNG行動 「N95マスク」を買ってはいけない (4/4) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

1.まずやるべきこと

有効な対策は、

手洗い・うがいの励行

マスクの着用、

不要の外出を避ける、

十分な栄養と睡眠をとる、である。

こうした「基本の対策」の徹底ですよね。

何も特別なことはありません。

 2.やってはいけないこと

【NG1:「新型コロナかも……」と救急外来を受診する】

【NG2:新型コロナ情報をSNSで拡散する】

【NG3:「N95タイプ」のマスクを買いに走る】

【NG4:除菌グッズ・サプリ・○○水などをネットで購入する】

NG5:中国人を排除する】

NG3のコメントを少し引用(私が一部カット)しますと

 N95マスクとは、「細菌や花粉など直径0.3μm(マイクロメート

ル※)以上の微粒子を95%以上捕集できる」という性能を持つ。

コロナウイルスは0.1μm程度の大きさなので、捕集効果に疑問が残

る。

 医療従事者はこのN95マスクをしばしば利用する。

私も使用するのは慣れているが、装着するとかなり息苦しい。

マスクに慣れていない一般人がN95マスクを1日中装着することは

困難だろう。

もちろん苦しくなってマスクをずらせば意味がなくなってしまう。

 よって、マスクは廉価品でいいので、清潔なものを毎日交換して

ほしい。

ウイルスを含んだ唾液や鼻水といった飛散物をブロックするには

十分である。

また、鼻や喉の粘膜への保湿効果があるので、ウイルスの侵入しに

くい健康体の保持に有効である。

 

 NG5のコメンも「なるほど」であり引用(私が一部カット)しますと

新型コロナの発生地が中国ということから、SNSでは、「中国人は

強制送還せよ」「強制隔離しろ」「中国人観光客を入国させるな」と

いった意見を見かける。

しかしコロナウイルス属は人獣共通感染症である。

人の移動は制限できても、渡り鳥などの飛来は制限できない。

また中国製農産物へのウイルス検査も困難だ。

 日本国内での新型コロナ発症例は、今のところ武漢市滞在者か、

その濃厚接触者に限られている。

これはあくまで私の推測だが、もしも精度が高く安価で迅速な検査

キットがあったら、日本国内における感染者・発症者の存在がもっ

と多く報告されるのではないか。

 3.素朴に思うこと

データが出せないので説得性がないのを承知で、書きますが

感染リスクを比較したら、インフルエンザの方が大きいでしょう

 他の感染症もあります。

 身を守る対応は冒頭の「手洗い・うがいの励行」に始まる基本動作

②感染より、リスクが高いのは、高いのは交通事故でしょう

 平均的米国人は、テロリズムに敏感ですが、医者に言わせるとも

っと敏感になるべきは成人病

③災害で何百人の死亡事故というと、大惨事、大騒ぎですが、現在の

 日本では、毎年100万人以下しか生まれなくて、100万人以上が亡

くなっています。

 よって人口減ですよね。

1日当たりの死亡数はどれくらいが、割り算すればすぐわかります。

④身近な人の死や、大きなメディア報道の死は認識できますが、

自分に取り全く情報の無い方の死については、「想像しろ」と言わ

れても非常に困難です。

事例を書き始めると、キリがありませんが、冷静にリスクを考えて

いく習慣は必要です。

今日の紹介は、ベストセラーとなったファクトフルネス(思い込み

を乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣)です。

 

 

本当の武士道とは何か(読書感想文もどき)現場感覚 目指したのは「真の強さ」高い倫理観と理想

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「武士道とは」のイメージ

本当の武士道とは何か

日本人の理想と倫理

著者       菅野覚明/著  

出版者    PHP研究所 2019.12

1.概要

読書の目的、楽しみはの一つは「知らなかったことを知る」「今ま

での自分の常識が揺り動かされる」ことかもしれません。

「武士道」については、今まで幾多接した言葉であり、また実際私も

使ったことがありますが、

本書は、コンパクトながら、「なるほど」と思ったり、すこし私の

従前の考えの修正を余儀なくされた点もありました。

本書の概要は、

  武士たちには、功利や損得哲学よりも、はるかに大切にしていた

精神や価値観あり。

現場の感覚をふまえた武士道は、どういうものであるのか。

武士たちが最終的に守ろうとした道徳とはどのようなものか。

そして、それらは現代を生きる日本人にいかなる「力」を与えて

くれる

のか武士が語った原典を確認しながら、その「死の覚悟」の基底に

あるものに迫る、というものです。

 2.目次

第1章 「本当の武士道」とは何か―脇差心と死に狂い

第2章 「道」の思想と日本人の哲学―同一性と精神性

第3章 「最強の武士」になるための奥義―やさしさと強さは一

つである

第4章 『朝倉宗滴話記』の思想―「手の外なる大将」の嘘と真実

第5章 武士道の敵は司馬遼太郎―「功利」「損得哲学」の行き

    着く先

 第6章 日本人が本当に望み、理想とした生き方―皇室とサザエさん

 3.ピックアップ

➀武士とは、武士道とは? 

現代人が書いた書いた武士道に関する書物の多くは、実勢に武士が

語った原典をほとんど読まずに書かれている P3

 

私が本書で論じたい武士道とは、

実際に現場で刀を振るって血まみれになり、武士として生き抜いて

きた人々が形づくった「現場の感覚から出た思想」であり、本当

の武士道です。   P7  

 

新渡戸稲造が書いた「武士道」も、実は本当の武士道とは言え

ません。

新渡戸稲造自身も本当の武士道だとは思っていない。

武士道の名を借りて、日本人が大切にしてきた道徳の話をして

いるのです。  P21

 

武士とは「戦う生活者」であり、「強くなり、戦いに勝つ」ために

様々な鍛錬を重ねていたことを紹介しました。

(中略)武士たちは、徹底的に強くなることを求め続けたからこそ、

透徹した生き方や道徳に行きつくことができた   P51-52

 

②「日本に哲学がない」は本当か?

(「日本には哲学や倫理がない」という議論や、中江兆民の日本

の哲学の不毛さを喝破する議論を受けた主張に対して)

このような考え方は、あくまで一面的であり、大いに誤りだと、

私は考えます。

日本では「道」という言葉こそが、真理の探究を旨とする哲学の

代名詞でした。

一人ひとりが全部違うけれども、それでも皆、「自分の生きていく

拠り所」としての「道」を「わが道」として覚悟し、その道を様々

な歩き方で進むことで、生きてゆく。

これが「道」の一番基本のイメージです。  P54

 

③文武両道 

文武両道の武士とは、昔の古い言葉では、「哀れを知る武士」あ

るいは「情けのある武士」と称されます。

葉隠』がここで用いている「やさしき武士」というのも、まさに

文武両道の心得を示しています。

「文」とは、単に知恵があるとか、ものを知っているということ

ではありません。

覚悟のみごとさ、感情の豊かさ、心の深さ、そういう意味合いで、

使われてきた言葉です。  P93

 

④『朝倉宗滴話記』

・武士道の思想は、戦いが終わってしばらくした後に現れる

・あまりに生々しい経験は、それを一般化するのに長い時間と

 反省を必要とする

・当事者の経験を適切な言葉で一般化して伝えてくれるもの

 の話を聞きたい

・現場の肉声が持つ説得力には、及び難いものがある  P113-114

(として、『朝倉宗滴話記』の紹介と解説)

 

⑤ 武士道の敵 

武士道の敵とは何か。

「精神的な価値よりも、物質的な価値を上位に置こうとする

思想傾向一般」  P143

 

名を捨て、義を捨、理と力を追求する、それが司馬遼太郎

共感をもって描き出す人物像です。  P148

 

明治から今日に至る武士道主義者たちが、目の敵にして否定

しようとしたものこそは、まさに司馬遼太郎的価値観その

もの。   P149

 

武士道以前の現場が、なぜ功利主義ではなく、武士道に行

き着いたのか。

功利の行きつくその果てに、優れた武士たちが一様に見出し
たのは、意外にも「滅亡」でした
 勝利であれ、金銭的利益であれ、利の追求ということには、
そもそもこれで打ち止めという終点がありません。 P157-158
 
⑥日本人の理想
(日本人の生活に最後に遺さねばならない核心について)
柳田の答えは「家」でした。
家とは何か。
それは先祖に対する信仰だと柳田は言います。 P183
 
日本でも「意志と力(砂漠型)」、「知と合理性(ヨーロッパ型)」
は大切ですが一番大事なのは「豊かで深い情」なのです。
日本人の生活の目標は、「情」を満足させることにあったのでは?
   P201
 
「家族の団欒」像や「共に居ること」「心をかよわせること」を
大切にする倫理 観は実は日本人の祖先崇拝という宗教のあり方
とも密接に関係するものです。  P206

 

締め (著者の本文の結び)

武士たちがめざした「真の強さ」、言葉を変えていうなら、日本人

がめざしていた「人間としての強さ」の基底には、まさに家族や

仲間を愛し、心を通わせあうことを尊ぶ倫理観と理想があった

のです。  P209

 

4.まとめと私見

コンパクトながら、読み応えありました。

冒頭にも書いたように、なんとなく使っていた「武士道」が、輪郭

が見えてきました。

新渡戸稲造司馬遼太郎へのコメントも新鮮でした。

私の力で「原典」に当たり、充分理解することは、まずできま

せん。 

私の場合、こういった書籍を、広範囲な分野で継続して、読んで

いくことになります。 

 
 

衣食足りて礼節を知る、マナーの悪さに、大飢饉や文化大革命の記憶?

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マナーの問題

1.今日、言いたいこと

連日、新型ウイルス報道で、いつも以上にメディアに流れる中国ニュ

ースですが,今日言いたいことはシンプル、タイトル通り

「中国人中高年のマナーが悪いのは、大飢饉や文化大革命の記憶が

くびきとなっているのでは?影響大きそう」

ということ。

マナー悪さと文化大革命を、結びつけるブログもありますし、文化

大革命のすざましさを分析した書籍や、ヤマホドあります。

 下記に書籍を紹介した「毛沢東の大飢饉」や「文化大革命」そのもの

を取り上げて、論じるのではありません。

タイトルに沿った、私のショート・コメントです。

2.飢餓の直接的記憶

とはいえ、いつの話?くらいは確認しないと、

それこそ話になりません。

4,000万人以上が亡くなったと言われる「毛沢東の大飢饉」は1958年

から1962年くらい

それに続く、「文化大革命」は196年から1976年です。

幼児期でなく、多感な思春期が始まる前、「当時の10歳」を例にとり
ます。
現在は2020年ですから、「当時の10歳」は、54歳から64歳くらいと
なります。
「つらいつらい生活、死への恐怖、社会の理不尽さ、ひもじさ」等
そのころ記憶が消えるはずはなく、ついつい、「豊かな」現代なっても顔を出すのでしょうか。
「第二の本能」とは言いませんが、無意識のうちに現れる習性かも
しれません。
誤解なきよう書きますが
私は「中国人のマナーの悪さが、原体験に基づくもので仕方ない」
とは、ゆめゆめ主張していません。
これだけ国家が経済力を持ち、否が応でも国際社会で目立つ存在と
なってきただけに、国内でも国外でもマナーに十分気を付けてほしい
といつも思っています。
 
ちょっと引用しますが(こちらは「衣食足りて」の取り方が私見
違います)
 社会生活におけるあらゆるマナーは、心に余裕のある人間にこそ養われる。
(中略) 多数の中国人は、まず自分とその家族が矛盾した現代中国社会の中でいき残ることしか頭に浮かばない。
 海外旅行ができるほど経済的余裕ができた人間も、これ
だけ乱れた希望の ない国で、心に余裕のないまま生き抜いていれば、マナーなど身につくはず がない
 も一つ引用

文化大革命でそれまでの歴史観などが吹っ飛んでしまったのかな?

 毎月11日は「列に並ぶ日」 (つれづれコンサル)

 
引用はしませんが、豪華クルーズ船で、中国人のマナーの悪さの
記事も記憶に残っています。
3.脱線して「昭和ひとケタ」
以前ですが「昭和ひとケタ」と言って1925から35年生まれを揶揄
する表現もよくあります。
彼らも「時代の子」であることは、否定できません。
以下、あくまで時代特徴の一見解ですが

軍国少年少女となるべく教育を受け、防空壕を掘ったり軍需工場

で働かされ青春はなし。

・家族を空襲で失った者多し。

・貧乏のどん底からモーレツに働き、戦後は高度成長期の原動力に。

私見を加筆すると、
この世代は、「つらいつらい生活、死への恐怖、社会の理不尽さ、
ひもじさ」等も経験していますが総じてマナーはいいですよね。
  
この世代へのエールを込めて 、茨木のり子さんの詩を引用
(太字、赤字は私がつけたもの)
   私が一番きれいだったとき  
  (上記略) 

  わたしが一番きれいだったとき

  わたしの国は戦争で負けた

  そんな馬鹿なことってあるものか

  ブラウスの腕をまくり

  卑屈な町をのし歩いた

  (中略)

  わたしが一番きれいだったとき

  わたしはとてもふしあわせ

  わたしはとてもとんちんかん

  わたしはめっぽうさびしかった

 

  だから決めた できれば長生きすることに

  年とってから凄く美しい絵を描いた

  フランスのルオー爺さんのようにね  

4.まとめ
また、読んだ本の受け売りですが、
時代が下がってくるに従い暴力は、減ってきた、衛生状態がよくな
って長生きとなってきた。
マクロではそうです。
しかし、戦争はじめ社会的紺頼は、局所ではありますが、世界中で、
根絶されたわけではありません。 
あと15年もすると、日本では戦争体験者は大部分亡くなるでしょうが、世界のどこかで紛争ははずっと続くし、中国はしばらくは大きな経済力を持ち続けるでしょう。
中国人のマナー意識の向上を,切に願うものです。
 
 
 

今週のお題「応援」 視点は感謝、運動会、強者、自分自身

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運動会での応援イメージ

今週のお題「応援」 別表現で「あなたに届け,のエール!」です。

 応援というのは基本他者がいるものですが、いや、自分の応援というも

ありでしょうし、いくつかの視点で書いてみます。

1.感謝(自分が応援を受けてきたことに対して)

(1)何も、人生が解った年長者ぶって、説教じみた話をするつもりは

ありません。

しかし自分がここまで、何とか生きてこれたことは、様々な応援を受

けてきたためとはだれしも納得するでしょう。

直接的には、父母はじめ家族や親類縁者でしょうが、諸先生・先輩・後輩、

友人・知人、書籍の中の人物等々、たくさんいるはずです。

私の場合も、応援してくれた人々のうち多くの人を、自分で自覚できて

いないし、自覚できないまま、一生を終えることも多いでしょう。

その応援に対して、まず感謝です。

(2)私も、一神教的世界や、無神論的世界も、ある程度知識としては知っ

ていますが、個人の感覚としては、

・神は自然のものすべてに神が宿る「八百万の神に近いし、

・仏教的な諦観(あきらめ)はあるし、

老子の「天網恢恢祖にして漏らさず」(おてんとう様は見ているよ)も

気に入っています。

感情のベースに感謝は必要。

つまり、「応援」といえば、まず「感謝」を書きます。

 2.応援と言えば、運動会

以前、私の小学校時代の運動会の町内リレーをアップしました。

田舎の運動会、町内対応リレー 1970年代の地方での話です、悪しからず。 - 中高年michiのサバイバル日記

 抜粋しますと

・(子供の私は)「町内対抗リレー」に賭けています。

・一方大人たちは、自分の子供がリレー選手であるか否かはある意味

 無関係で、属する「町内」の仲間とビールや焼酎を楽しく飲めれば

 それでいいわけです。

 ・小学校の運動会「町内対抗リレー」が、児童や学校関係者だけでな

 く、地域社会の一つのイベントであった当時

「激しい応援の思い出」はやはりコレです。

  3.強者オールブラックスの応援、しかし・・

(1)「嫌味な性格」と言われるのを、承知で書くと、私は判官びいきとい

うより、強者を応援してきたようです。

実利的な話をすると、「判官びいき」と比べて、応援しがいがあるというか、

勝っていい気分、になることが多いです。

ラグビーネタは、このブログでななんどか、取り上げましたが、ラグビー

NZ代表オールブラックスは私が長年応援しているものの一つ。

トップスポーツの場合、どの競技も栄枯盛衰は、つきものですが、この

オールブラックスが、長年強者でありつづけているのは、ラグビーファン

ならご存知の通り。

 強者の宿命もあり、「打倒オールブラックス」に、各代表は絞って戦略を

立ててきます。

今年日本で盛り上がった、Wカップは、もう8回目で、実力では、いつも

「優勝候補筆頭を越えて大本命」なのですが、割とよく負けて、優勝でき

ません。

今回もそうでした。

応援するファンとしては残念至極です。

(2)なお、昨年のWカップは、ラグビー日本代表も、応援しましたよ

こちらもブログで書いていますが

ラグビー日本代表と日本人 グローバル化を実感するよい機会 - 中高年michiのサバイバル日記

国の代表以上に、今までの日本代表の中でも好きなチームでした。

4.自分自身の応援

 最後に、こみ見出しで書かねばなりません。

いろんな、考え方がありますが、幼児期はともかく、ある程度大きくなった

ら、誰しも自分に責任を持たねば、なりません。

とはいえ、「誰しも」、自分自身に大いなる自身があり、100%大好きで、

あることはないでしょう。

しかし、冒頭1.感謝で述べたように自分を取り巻くすべての皆さんの

応援「おかげ様」で生きてきている訳ですから

前提として、まず自分自身で「がんばれ!」と、自分を応援していくことは、

義務に近いにではないでしょうか。

(とはいえ、いつも頑張って、折れてしまっては困りますから

 がんばらない、手を抜く、諦める、逃げる、といったことをうまく混ぜる

のは絶対必要かと、思います。)

 

下記紹介は老子の「天網恢恢祖にして漏らさず」

 

 

われらみな食人種(カニバル)(読書感想文もどき) 理論展開を楽しむには前提が必要

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考古学者のイメージ


われらみな食人種(カニバル)

レヴィ=ストロース随想集

 原タイトル: Nous sommes tous des cannibales

著者       クロード・レヴィ=ストロース/著  

渡辺公三/監訳  

泉克典/訳  

出版者    創元社 2019.11

 

1.概要

レヴィ=ストロースは、先日(昨年11月22日)に取り上げました。

人種と歴史/人種と文化(読書感想文もどき) - 中高年michiのサバイバル日記

「どんな基準を取ってみても、ある文化が無条件で他の文化より優れ

いると判断することは許されない」(P11)

というのは、彼の基本観だともいます。

さて、今回は

レヴィ=ストロースの没後編集の時評集です。

1989~2000の文章16編と、1952年発表の「火あぶりにされたサンタ

クロース」を収録しています。

<未開と文明>の固定観念を鮮やかに破砕する、見解・手法です。

訳者あとがきから、引用すると

本書は、理想的なレヴィ=ストロース入門

本格的な著作と向き合う際に必要とされる詳細な用語理解なしに
わたしたちの記憶にもまだ新しい出来事を起点にして、
レヴィ=ストロースの世界のひろがりを手ぶらで散策するには、
、本書に代わるものではないだろうか。 P252  
 と、いうことですが、
私には、「入門」、「手ぶら散策」というよりかなりハードな感じ
がしました。
もちろん、私の基礎的な知識と理解の不足によるものでしょうが・・・・
 2. 目次

  火あぶりにされたサンタクロース

 まるであべこべ

 社会には一種類の発展しかありえないのだろうか

 社会の諸問題

 自著紹介

 民族学者の宝飾品

 芸術家の肖像

 モンテーニュアメリ

 神話的思考と科学的思考

 われらみな食人種

 オーギュスト・コントとイタリア

 プッサンの一絵画の主題をめぐる変奏

 女性のセクシュアリティと社会の起源

 狂牛病の教訓

 母方オジの帰還

 新たな神話による検算

 コルシ・エ・リコルシ

 3. ピックアップ

(1)「まるであべこべ」より日本についての記述
➀極東の諸哲学と違って、日本思想は主体を無効化しない
ただし、西洋哲学とは違って、主体をあらゆる哲学的反省の、つま
りは、思考によって世界を再構築する試みの出発点にもしない。 P52
 
②個人とそれを取り囲むものとの関係をめぐる理解の仕方が自分
たちとはあべこべなために西欧人をたいへん困惑させるが、日本が
19世紀、20世紀に被った逆境乗り越えることができ(たのも)
 (中略)体系のこのような外的な堅固さによるものではない
だろうか。 P54
 
(2)「社会には一種類の発展しかありえないのだろうか」より
➀発展の進み具合や遅れ具合に応じて、もろもろの人間社会を何か
単一尺度上に配置し、分類することはあきらめたほうがよさそう
である。
 つまり、各社会はむしろ、それぞれ由来が異なるモデルに属して
いるのかもしれない。
 
②非農耕民の作業時間や生産量、食糧の栄養学的価値を対象にした
詳細な調査から、こうした人々の大半が快適な生活を送っている
ことが立証された  P64
 
③農耕も動物の家畜化も、純粋に経済的必要の充足が発生原因で
はなかったと認める点で一致。
食料や原材料の供給源とみなされる前から、ある種のぜいたく、
豊かさのしるし、威信の象徴であった  P69
 
④数千年にわたる生産活動は多様な形態を取ってきたが、同じく
らい多くの他にとりえた選択肢もあった。P72
 
(3)「モンテーニュアメリカ」より
➀(メキシコやペルーの大文明と熱帯アメリカ低地地方の慎ましい
文化との差異を意識して)
存在して維持されていくために「あれほど人為も人間的結合も必要
としない」社会生活というものにモンテーニュは感嘆したのだった。
P135
 
②他方で「おのおのが、自分の慣習にないものを野蛮と呼ぶ」とも
言う。
とはいえ、それ自体の文脈に置きなおして正しく導かれた推論から
も説明がつかず、時には言語道断だと感じさせさえするほどの、
あまりに奇妙で不快な信仰やしきたりは存在しない。 P137
 
(4)「われらみな食人種」より
➀オーストラリア政府に行政管理が移管される以前にクールーの
犠牲となった集団は、カニバリズムに熱を入れていた。
一定範囲の近親者の遺体を食べること が、当人に愛情を示し敬意を
表する仕方とされていたのである。  P153
 
②時代や場所に応じてカニバリズムの様態や目的は途方もなく多様
はあるが、鍵となるのはいつでも、
他人の肉体に由来する一部分ないしは肝要部分自発的に導き入れる
ということである。
このように悪魔祓いを済ませると、カニバリズムの概念はかなりあり
ふれたものでしかなくなる。  P159
 
  4.まとめ と私見
どの世界もそうですが、前提となる知識が不足していると論理展開
についていけません。
レヴィ=ストロースにしても、随想の対象のモンテーニュにしても、
膨大な整理された知識があって、そのいくつかは、読み手が知って
いて同然として、思考、記載、解説過程を省略し、次々と論理が
展開されます。
よって「解っている人」には、論理展開が面白いのでしょうが、
「解っていない人」には、「ついていけない」ということになり
ます。
では、対処法は? 単純です。
周辺知識を知識を深めて、著者の論定展開を楽しめるレベルまでに
なるか、もしくは諦めてしまう、のどちらか。
ありがたいことに我々は奴隷でなく、自由人です。
若者だろうが、超高齢者だろうが、「残された時間が有限」である
ことは共通です。
どう時間に対応するかは、まさに自分次第ですよね。
   

 

友達は多い方・少ない方どちらがいいか メリット・デメリット議論と私見

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気の置けない友達との再会イメージ

今回のタイトルですがネットを引くとヤマのように意見が披露

され、ということは、読み手の関心も、ある程度高そうです。

今日は、割と両極端になりそうな意見を引用し、そのあと私見

を述べたいと思います。

当然前後の文脈が違いますし、私の曲解もあるやに知れません。

一つの意見の相違の対象としてとりあげさせてもらいますので、

ご了承ください。

 1.友達は多い方がよい

(1)友達が少ない原因

➀. 自己中心的で相手を思いやる気持ちがないから

②. 極度の負けず嫌いで、すぐに人と張り合おうとするから

③. 愚痴や不満が多く、相手が一緒に居て楽しいと思えない

    から

④. 人見知りで人と会話をするのが苦手だから

⑤. プライドが高く、高圧的な態度を取るため人が避けていく

   から

 (2)友達が少ないメリット

➀. 時間やお金を自分の好きなように使える

②. 人間関係で悩まなくて済む

③. 恋人や家族と過ごせる時間が増える

(3)友達が少ないデメリット

➀. 楽しいことや嬉しいことを人と共有できない

②. 悩んだり落ち込んだ時に相談できる人がいない

③. 休日に出かけたり、遊んだりする人がおらず孤独で

寂しい

友達が少ないのはメリット?友達が少ない男女の特徴・原因・理由とは | Smartlog

 2.友だちは少ない方がいいんじゃないか

(1) 友達が少ない人の8つの特徴

➀.友達を選定している

②.気遣いをキッチリしてしまうので疲れてしまう

③.自分の価値観と合う人に出会えていない

④.マメに連絡を取らない

⑤.人のことが気にならない

⑥.人と話す機会がそもそも少ない

⑦.友達を作ることにメリットを感じていない

⑧.友達が欲しいと思ったことがない

(2)友達が少ないことの7つのメリット

➀.1人で考える(妄想できる)時間が長い

②.周りに流されず自分のペースで行動できる

③.1つのことに熱中できる

④.自分で調べる癖がつく

⑤.問題を自分で解決する力がつく

⑥.自分なりの情報収集方法を見出す

⑦他の人が思いつかないような発想ができる

(3)友達が少ない人のデメリット

➀.人に愚痴を言ったり、自分の話を聞いてもらうことは、スト

   レスの解消になります。

   友達が少ない人は、そういった機会も少なくなるでしょう。

②.さらに、他の人の意見を聞く機会が少なくなりますので、客

  観的に物事を見る視点や、自分とは違う価値観を知る機会を少

なからず失ってしまいます。

   この部分に関しては、補完しておくようにした方が、更に幅広い

視野で物事を考えられるでしょう。

ただし、これらは特に友達から情報を仕入れる必要はありません。

 自分が知りたい・興味を持ったという考えや視点を持っている人

と話す機会を作れば良いです。

そこでは、友達のように本音を語り合ったり、相手のどうでも良

い話を聞く必要はない訳です。

 ここまで出来れば、人として持つべきスキルは手に入りますし、

そこまで「友達」という形式にこだわらずとも、1年に1回会うか

会わないか位の関係性を保っておけば良いですよね。

友達が少ない人の特徴やメリットと気にしない方が良い理由 | つらいことドットネット

 3.友達とは?私見

「友達」の定義をしましょう。

 ➀まず、生きた人間であること

 「本との対話」との表現を、私はよく使いますが、一般的な定義

として「友達」とは、同世代を生きている人間であり、(現代に

おいては)遠隔地にいても、電話やネット環境を使って、ほぼリア

ルタイムで、意思疎通をとる事が可能、ということを前提としてい

るように考えます。

また、各人の主観の観点があります。

Aさんは、Bさんを友達と思っていますが、BさんはAさんを

「知人ではあるが友達ではない」と思うことは、よくあります。

②その意味では、本の中で動く、死んでしまった人は友達では

なくなります。

小林秀雄が、【無常という事】の中で、以下のように言います。

「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。

…其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。

何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。

まさに人間の形をしているよ。

してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の

動物かな」

ここまでいくと「生きている人間とは、人間になりつつある一

種の動物」となって生きている友達は、存在しなくなります。

「生きている人間」は人間でないわけですだから・・・・

 これは極端にしても、自分が注意力を払う「人間」は、生きて

いる人間だけにこだわる必要もなさそうです。

③結論として

友達の定義からして、私の場合倍、友達は少なそうだし、仕方

ない

そもそも、有限の時間で、たくさんの「友達」とちゃんと付き

合っていけるのかが疑問です。

 脱線しますが、ここでの話の流れは、いわいる人間力があったり、

 権力、資力、コネクション等があって「顔が広い」とか「人脈が

あり」というのは、「友達が多い」とは、別次元と考えています。

4.責任を果たしてから

私の現状ですが

➀まず、大人として、家族やお世話になった周りの方々に経済的

責任を、全うせねば、と考えています。

その責任を果たしたうえで、つきあう人間は「好きな」人間で

ありたい。

 その人間が、死んでいようが、生きていようが構わない、つまり

私が読める日本語で書かれた書物の中の人間でもいいわけです。

③必然的にメリットデメリット考えて、生きている人である「友達」

は、私に遺された時間を考えると、費やす時間含めて、友達がそん

なに増えていく感じはしないのです。