中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

お題「#買って良かった2020 」 サービスを買いました。国内旅行です。

お題「#買って良かった2020 」について、少し書きます。

1.物欲が湧かない幸せ

(1)欲しいモノがない、浮かばない、何を買ったっけ、というの

は、幸せかもしれません。

現実は、もちろん把握しています。

21世紀の日本で、ごく平均的に暮らしている訳ですから、生きて

いるために、自分が存在しているために、必要な物品のほとんどす

べては、「買う」しかないわけです。

家族と住んでいて、私がハテどうして暮らせるのだろう、と首をひね

るのは、生活に必要なものは、家人が対応してくれている、というこ

とでしょう。

当たり前にことに,気づきます。ありがたいことです。

(2)生活必需品でなくても、いわいる趣味の世界で「買う」ことは

あるでしょう。コレクションとして目にみえるものだけでなく、ソフ

トや情報そのものを「買う」ことも多いでしょう。

この世界は、各個人の嗜好によりまさに千差万別でしょう。

このお題「買って良かった」というのも、その線で、面白い話を期待

されているのでしょう。 

私も昔話的に「買って良かった」とは、いくつか思い出しますが、

「2020」に限定されると、窮してしまうわけです。

今年も「良かった」という情報は、いくつもありますが、それが書籍

上の情報で、図書館から借りた本の情報である場合、「買って」とい

う定義からは外れるでしょう。

 

2.範囲を広げて

自分の狭い世界だと、煮詰まってしまいそうで、詮索範囲を家庭全体

に広げてみます。実際詳細の商品選択は、家族の誰かに任すとしても

経済的負担が私だとすれば、「買って良かった2020」に滑り込ませる

こともできるでしょう。

また、「買う」対象は実体といて残るモノだけでなく消費して、後が

なくなってしまったサービスでもいいわけで、

お題の回答としては、3月と11月に行った「国内1泊旅行」とします。

いずれも、以前このブログで、少し紹介しています。

 

3.具体的な国内旅行の話

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ロープウェイで登り、下田港の湾の奥を望む

(1)3月21日アップの下田

伊豆の下田で考えたこと 歴史に「たられば」は禁物だが - 中高年michiのサバイバル日記

①風景について、少し触れています。

下田港の山の上からの眺めは、「なるほど」と納得。

つまり、ずっと頭をよぎっていたは、江戸時代の西回り航

路の船員しかり、太平洋をはるばる渡ってきたペリー艦隊

の船員しかり。

厳しい外洋を長らく航海して「生きた心地しない」ような

嵐の体験が幾多では?

そして、天然の良港下田に逃げこむことができて「助かっ

た」とまず安堵したのではないかと、思います。

下記掲載の湾の奥にペリー艦隊の7隻も、停泊したそうで

す。

無論素人と考えですが、風を遮る山の壁がいく通りもあ

り、きれいで豊かな淡水の水がある、温暖な気候、田んぼ

も畑も作れる、ある意味「天国に思えたのでは?

 ②下田市中を歩いた際の感想です。

私の素養で、「下田の街は幕末の頃がピークで、その後、

横浜に 負けて、さびれた」というのは、失礼な発言かもし

れません。 

しかし歴史をひもとくと、ちょっとしたことから一つの

港、一つの 地方、一つの国の興亡が起こったことが、よく

あります。

  天候に恵まれ、旅館の夕食、朝食もおいしく、そぞろ歩き

した街並みも何となくお気に入り。

 それゆえ、「下田という町の歴史」にちょっと残念が気が

したもの です。 

 

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交代制かも知れませんが、日曜は4回のショウ、人・シャチともご苦労様です。

(2)11月11日アップの鴨川シーワールド

 鴨川に行って来ました。断水には参りました。次の輪廻転生はマンボウ? - 中高年michiのサバイバル日記

①シーワールドについて

ここは、関東では、メジャーな観光施設です。

 子供には、人気でしょう。

 実は私も、子供が小さかった依頼、20年ぶりくらいの訪問

です。 (中略)

さて、今回は20年前と違い、「動き回る子供を監視する仕

事」 はありません。

「小人、閑居にして不全を成す」ではありませんが、ゆっ

たり した気分で、魚類、鳥類、哺乳類等等と対面している

と、結論 が出るはずもない「くだらない」こともいろいろ

考えてしまい ます。 

 ②好きな、勝手な妄想

以前も少し、書きましたが、私はキリスト教的に「神は、

動物と 人間は別に作った」とか「最後の審判を待つ」と

は、全く考え ません。

 多神教とか、アミニズムといわれようが、「神様」は、い

たる ところにいると思うし、「輪廻転生」のほうを信じて

います。

 はるか先には、膨張する太陽に地球が飲み込まれ、それま

での 記憶も存在も「無」になるのでしょうが、それまで

は、「輪廻 転生」を繰り返すか、私の構成要素たる元の

「分子に還元」されて「無」に戻るか、というところで

す。 ゆっくりパーク内を歩いていて、「次の生まれ変わり

は、(人間 でなく)マンボウでもベルーガでもいいじゃ

ん」と思ってしま いました。

「子供の成長、私の成長」再論、1年ぶりに考えてみる

昨年の11月21日ですので、1年以上前ですが、「子供の成長として

過去の記憶をつづっています。

もう、私の子供も面白くもない年齢ですが、この1年社会人生活で、

変わってきたこともあるようで、また、私も最近の読書から「死」

感じることになり、少し加筆修正してみます。 

1.生物の誕生から進化の凝縮?

 人間の誕生から乳児期脱出くらいを、私はよく生物進化の凝縮

と思うことがあります。

 生物の進化を見るような3キロ程度、それが1年もすれば、体重は

2倍くらいになります。

確かに他の哺乳理よりは、遅いですが‥‥

 

先日での公園での光景。

よちよち歩き子供が、500ミリのペットボトルをもって歩こうとして

転んで泣いたしまった。

彼女には(確か女の子だったような)、まず自分二本足でバランスを

取とって歩くことが当面の課題であり、500グラムの重さのモノを

両手で持って歩くには、まだ早すぎたようです。

当然、しばらくするとできるようになるでしょう。

要は、誕生から1から2年の子供には、どうも私は壮大な生物の進化

の過程を連想するのです。

 

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子供の成長イメージ

2.想定外の子供の反応

私は「子供に遊んでもらう」という表現をよく使います

客観的にみると、土日中心に私が幼い二人の子供を遊ばせて

いるのですが、

子供の思わぬ反応が、面白くて、私のほうが遊んでもらった、

と感じるわけです。

 

 次男の場合、少し知恵がついてくると、親が言うことを素直

に認めるだけでなく、あきらかに自分に不利と感じた時には

「うそでしょ」と否定することを、覚えました。

ただし、言語の発達は、イマイチで、本人は、「うそでしょ」と

発問しているつもりですが、外部には「うちょでちょ」と聞こえ

るわけです。

次男は「20191102掲載の「沖縄は、いまなんがつ?」に登場して

います。彼の名言集として

沖縄は今なんがつ?。どうなると思う?を紹介しています。

 「沖縄はいま、なんがつ?と息子発言」の思い出、首里城復元を! - 中高年michiのサバイバル日記

 人はいつ何時も、外部からの情報によって動くわけですが、

お金を稼ぐための仕事からの情報、趣味として読書からも得られ

なかったこおとが、「こどもにあそんでもらうことで得た」貴重

な情報でした。

 

3.ある著名日本画家の昔話。

 無き祖父は日本画鑑賞が趣味で、現役の複数の「絵描きさん」

とも、交際があったようです。

その祖父から聞いたある日本画家の話。

「発想に煮詰まったとき、子供の書いた絵画を見に行くことが

ある。そこに大人の発想では出てこない、画風を感じてヒント

になる」

 成長するとは、情報がそのまま積み重なっていくのでなく、

残念ながら成長の過程で、失っていく情報も多々あるのでしょ

うね。

 

4.社会人として

子供が自立して「一人前」にあるとは、いろんな考えてがあり

ます。私の、考えの基本は、やはりお金の面。

無粋な言い方ですが、社会に働きかけて何らかの報酬を得て、

健康保険料と年金をその中から支払って、自分で生活していけ

ること。現在の日本社会で、「当たり前」のことかもしれませ

んが、本人にとっては「お金の大変さ」の一端が解ることでし

ょう。

 

 5.私も死ぬまで成長したい

(1)私の場合、勿論、生物個体としてのサイズの成長はあり

得ず、死へ向かって、まっしぐら状態です。

 ただ、ある事象に対する認識と対応が、過去と変化している

ことを「成長」ととらえると、確かに成長しています。

「鈍感になって、訳が分からなくなった」いうとらえ方ではな

くて、今後後退」するかもしれないが、変化を「成長」ととら

えたいということです。

 いわいるボケ、アルツハイマーとなってしまっては、責任が

持てませんが死にゆくまで、人は成長を続けると、思い込んだ

方がいい、と思っていいます。

(2)80歳過ぎて、現役で著作活動行う方も私のこの「読書感

想文もどき」で紹介していますが、明晰な頭脳もさることながら、

生きることに前向きの姿勢に、頭が下がります。

最近読んだ本(一連のシリーズ)で少し気になっているのが、

平均的には、私も85歳から90歳くらいまで生きるだろう。

「いつ死ぬかわからない」感覚から「一定年齢までとにかく死な

ないで生きている」感覚へ、人間の有史以来の大転換が、起きて

いると、主張しており、同感です。

オマエは、後25年も30年も成長できるか?と詰められると、正直

責任は持てませんが、誰か他人が評価する話でなし、「私は成長

し続けるのだ」と自分勝手に思い込んでおけばいいと、思います。 

滅亡について(読書感想文もどき)武田泰淳です 滅亡の普遍性は否定しようがありません。

 滅亡について  評論集  他三十篇

武田泰淳/著  川西政明/編

出版者    岩波書店 1992.6

1.概要

一般的な説明だと、

 作家武田泰淳は、一兵士として中国へ行き、敗戦を上海で迎えた。

その時の屈折した心境を日本と中国のちがいに着目してつづった

評論「滅亡について」は、泰淳の出発点であるとともに、戦後文学

がうんだ記念碑的作品である、とあります。

私は、「ひかりごけ」以外は、ほとんど記憶にありませんでした。

彼は、寺で生まれ育った坊さんで「まだ浄土宗から破門されており

ませんから、自分では坊さんのつもり」とのことです。

途中で小説を書く方へ踏み外しましたが、現在でも我々の日常生活

が、すべて仏教の哲理によって、取り囲まれている」というのが彼の

基本観のようです。

引用は、ほぼ「滅亡について」からですが、「滅亡が語られるとき、

語る者は残っている」というのは、当然と言えば当然ですが、妙に

納得です。

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スケール大きく地殻変動による「滅亡」イメージ

2.本文からの引用

このように、自分の身体を安全な椅子にまかせて、大きな滅亡、鋭い

滅亡のあたえる感覚をゆっくり味わうのは、近代人に与えられた特権

なのかもしれないが、映画館以外の場所でも、この習慣が流行してい

るとすれば、私が「滅亡について」語るのも、あまり偏っていない

のかもしれない。

むしろ私が時代遅れなのだ。私自身の近代化されない、平家物語的な

詠嘆が、このようなテーマにこだわっているままに、滅亡はいくらで

も進行するし、それに熱狂し、打ち興ずる近代人が、平気で生存して

いくのである。   P19

 

戦争によってある国が消滅するのは、世界という生物の肉体のちょっ

とした消化作用であり、月経現象であり、あくびでさえある。(中

略)私たち人間は個体保存の本能、それが発達して生まれた種族保存

の本能のおかげで、このような不吉な真理を忌み嫌い、またその本能

の日常的なはげしさによって、滅亡の普遍性を忘れはててはいるが、

かしそれ存在していることは、どうしても否定できない。 P22

 

滅亡を考えるとは、おそらくは、この種のみじめな舌打ちにすぎぬ

のだろう。

それはひねくれであり、羨望であり、嫉妬である。それは平時の用

意ではなく、異常の心がわりであ 。しかし、そのような嫉妬、その

ような心がわりに、時たまおそわれることなくして一生を終わる人は

きわめてまれなのではないか。     P24

 

すべての文化、とりわけすべての宗教は、ある存在の滅亡にかかわり

を持っている。滅亡からの救い、あるいはむしろ滅亡されたが故に必

要な救いを求めて発生したものの如くである。滅亡はそれが部分的滅

亡であるかぎり、その個体の一部更新をうながすが、それが全的滅亡

に近づくにつれ、ある種の全く未知なるもの、滅亡なくしては化合さ

れなかった新しい原子価を持った輝ける結晶を生ずる場合がある。

P26

 

これからの世界は、この部落より遥かに大きな地帯にわたって、目に

もとまらぬ全的滅亡を行い得るだろう。    P27

 

だが時たま,その滅亡の片鱗にふれると、自分たちとは無縁のもの

であったこの巨大な時間と空間を瞬間的に取り戻すのである。(滅亡

を考えることにはこのような、より大なるもの、より永きもの、より

全体的なるものに思いを致させる作用が含まれている。)  P28

 

大きな慧知の出現するための第一の予言が滅亡であることは、滅亡の

持っている大きなはたらき、大きな契機を示している。  p29

  

(限界状況における人間)から

おそらく原始キリスト教徒たちにとっては、おごりたかぶり、自分

たちを迫害する地上の権威が、やがてまちがいなく滅亡するという

確信こそ、何よりの勇気の根源となってくれたことだろう。  P64

 

諸行無常のはなし)から

我々は苦しみも欲しくない、死ぬことも欲しくないが、しかし苦し

みや死があってくれる事が、果たしてどれほど、絶対的に悪いこと

であるかどうか、私はその時はじめて、生老病死という四つの定理

を利用して、人々を善き方へ導いていったお釈迦様の気持ちが解る。

もし、それを活用しないで、強ばっていって、こういうものが仏教

の定理だといって、ちっともそれを活用しなかったならば、せっか

くのお釈迦様の気持ちを、我々は発展させていくことが出来ません。

 P293

 

 3.最近思うこと

「乱読」とまでは、いかないですが、最近「死」や「滅亡」に関する

本を相対的によく読んでいるようです。歴史関係を読むと当然ながら

「人間の死」がヤマほどてくるわけですが、私の解釈が変わってきて

います。

それは私が社会的動物であり、日々過ごすなかで経験値は増え、また

生理的にどんどん変わっていくのですから、当然のことです。

身近な生理的な話を一つ。

この「滅亡について」 は、紙版の岩波文庫で読んでいるのですが、

「字の小ささ」が最近とみに、気になります。  

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事業承継は難しい バフェットもいつかは引退 バークシャーの直近ポートフォリオから考えたこと。

1.本日の結論

どの世界も「事業承継」は難しい。いくら組織化しても「創業者者個人

の力量」に、追う部分が大きいモノもあります。

株式投資の世界も、その典型の一つ。

ウォーレン・バフェットが築き上げた、バークシャーハザウェイも世代

交代は否めません。人間は年を取るものだから仕方ない。

新しい世代が、バークシャーハザウェイのポートフォリオを引き継ぐ

でしょう。

事業承継がうまくいったか否かは、今後の投資成績で、客観的評価さ

れます。

バフェット亡き後も、私が生きている限り(というか私がボケない限り)、

バークシャーの動向を追っていくと思います。

 

 2.バフェットとバークシャーの復習

私は若い頃から長年、仕事として株式投資に携わっており

 個人としても、バークシャーハザウェイを率いる

ウォーレン・バフェットの信奉者の一人です。

彼の軌跡や動向について、折に連れて触れており、今年の夏この

ブログで「株式投資の基礎」として20回強のシリーズを書いた

とき中心の一人というか、私の投資手法は彼によっている、とい

ってもよいでしょう。

以下少し抜粋しますと。

〇ウォーレン・エドワード・バフェット(1930年8月30日 - )

は、アメリカ合衆国の投資家、経営者、資産家である。

〇世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイ

筆頭株主であり、同社の会長兼CEOを務める。

〇バフェットは、長期投資を基本スタイルとし、バークシャ

ー・ハサウェイに高い運用成績をもたらしている。

〇地元ネブラスカ州オマハを中心とした生活を送っているた

め、1997年にニューヨークタイムスからオマハの賢人」

とも呼ばれる

〇投資手法は固定の拘りが強く、新規業界より既存業界を

好む。

1990年代のドットコムブームではテクノロジー株を蜃気楼

だとして、投資しなかった。

〇しかし、バフェットも、2016年にアップル株を大量に買

い付けた。

更に「これまでアマゾンに投資しなかった自分は馬鹿だった」

過去のテクノロジー株への偏見があった反省を述べた。

アマゾン株も買っている。

〇バフェットの投資に関する考え方はベンジャミン・グレアム

の理論をベースにしている。

株式が企業の一部であることを意識し、市場に惑わされず、

安全余裕率を忘れないことが重要な要素だとしている。

 株式投資の基礎 ウォーレン・バフェットの名言から その1 ビジネスを買う(株価変動に拠るのではない) - 中高年michiのサバイバル日記

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世代交代による事業承継のイメージ

3.名言集も、引用

同じブログから、私が特に好きな名言をいくつか、再度書くと

 ・ 喜んで10年間株を持ち続ける気持ちがないのなら、たった10

分間でも株を持とうなどと考えるべきですらない。

・仮に株式を購入した翌日に市場が閉鎖され、その5年間取引が行われ

ない事態になっても、私はいっこうにかまいません。

・経営成績がよくなるか悪くなるかはどれだけ効率的に舟を漕げる

かという点よりも、どのビジネス船に乗り込むかという点が大きく

影響する。

乗り込んだ船が慢性的に浸水していると気づいたとき、より前向きな

対処法は浸水部をふさいでまわることより、船を乗り換えることだ。

つまり、買うのはビジネスであって株券ではない、ということですね。

 

4.直近の動向

【米国株動向】衝撃の事実:バフェット氏がこの9カ月で35銘柄を売却 | トウシル 楽天証券の投資情報メディア

上記にリンクの記事から、少しまとめます。

(1)判断を任せる?

 過去55年にわたり、一時的感情に左右されないバフェット氏の長期

的な投資スタンスは偉大な成功を収めています。

  同期間のS&P500指数の年率リターン(配当を含む複利)が10%

なのに対し、バークシャーは2倍以上の20.3%であり、株価は2019年

12月31日までの55年間で2,700,000%以上上昇しています。

  ところが、そのバフェット氏も2020年はこれまでと大きく異なる

動きを見せています

 こうした予想外の展開の説明として、バフェット氏が自身の後継者

候補とされるトッド・コームズ氏とテッド・ウェシュラー氏に日々

の投資判断を任せるようになっているということが考えられます。

(2)事例

①バフェット氏は以前のインタビューで、バークシャー保有株式

の売却に消極的なわけではないと表明しており、実際に保有

業が見込み薄と判断した場合、同氏は数四半期以内に保有株を全

売却しています。

 ところが今年の動きを見ると、売却した10以上の銘柄で売却比率

は9%未満と控えめな水準にとどまり、バフェット氏のいつものや

り方とは異なるように見えます。

 ②一方で、バリック・ゴールドに関しては持ち分を40%以上減ら

しました。

 ③ 極め付きは今年9月、クラウドデータ管理会社のスノーフレーク

(NYSE:SNOW)株を新規株式公開(IPO)前に610万株超購入したこと

です。

  失礼かもしれませんが、バフェット氏はスノーフレークの事業モ

デルを正確に説明できない可能性もあります。

 (3)このコラムの結論

 バフェット氏はコームズ氏とウェシュラー氏の投資を承認したで

しょうが、バークシャー・ハサウェイポートフォリオがバフェッ

ト氏によるものではなくなってきていることは明らかです。 

メメント・モリ 死を想え(読書感想文もどき) 藤原新也の古典的写真集  見ればわかる

メメント・モリ 死を想え

藤原新也/著  

出版者    三五館 2008.11

1.概要

(1)25年間の長きにわたって読み継がれてきた、生と死を歌う

現代の聖典メメント・モリ」が刷新されました。

新・写真22点、コピー21点収録です。

写真集ですが、1983年初版発行なので、もう40年弱前「古典」

の領域でしょうが。

今私が見ているのは、2008年11月初版とあり、21世紀

エディションなので、活字の色も変化、写真の追加等があるや

もしれません。

時代は変わっても、「街にも家にもテレビにも新聞にも机の上

にもポケットの中にもニセモノの生死がいっぱいだ。」P5 

という状況は変わ

っていませんね。」

(2)とても若いころ「東京漂流」をよく読んだことはありますが、

もう、数十年です。

ふとしたことから、ほぼ同世代の方の書評を読み、手にしました。

私自身が、年齢的にも環境的にも「死を想う」時期ではあります。

藤原新也」とは

1944年福岡県生まれ。写真家・作家。東京芸術大学油絵科を中退

し、インドを振り出しにアジア各地を旅する。

第3回木村伊兵衛写真賞、第23回毎日芸術賞などを受賞。

(3) なお、wikipaeidaから、少し拝借引用するとと、

古代ローマでは、「メメント・モリ」の趣旨は(今を楽しめ)という

ことで、「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから

というアドバイスであった

 その後のキリスト教世界で違った意味となる。

つまり、死が意識の前面に出てきて、かなり徳化された意味合い

死への思いは現世での楽しみ・贅沢・手柄が空虚でむなしいもので

あることを強調するもの、 のようです。

 

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自分の死のイメージがまだ湧きません

2.本文引用と私のコメント

死体の灰には、階級制度がない。   P27

 

ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。  P33

(michi コメント)

このの文章と写真は、病院で死ぬことの多い日本人からすればあり

えないし、衝撃的な光景です。

病院で最期を迎えるのは、自由であり、自分が望んだ死に方なのでしょうか?

今の日本では選択の余地がなく「仕方ない」ということでしょう。

一方写真の通り、祭りの日に聖地で印を結んで死んでいる奴は不

自由なのか?死んで犬に喰われている奴は可哀想なのか?と思え

ないこともあります。

この人たちは、逆に自由に生き、死んでいったのではないか?

「死」をどう考えるかは、究極の問題でしょうし、答えが出る

とは、思えません。

 

あの人骨を見たとき  病院では死にたくないと思った。

なぜなら、  死は病ではないのだから。       P39

 

太陽があれば国家は不要。  P50

 

極楽とは、苦と苦の間に、一瞬垣間見えるもの。  P114

 

信じることの愚かさ。信じることの賢(えら)さ。  P130

 

 人間は肉でしょ、気持ちいっぱいあるでしょ。 P134

 

 3.全体の読後感

文字と写真を眺めるだけなら3分で読み終える事が出来るでしょう。

読み終えた後に感じたのは、異質感です。

米国大統領選報道や、新型コロナ報道の仕方で、「気分が悪い」

日々ですが、これとは違った、異質感を感じた読後感です。

ブッタの言葉を読んだときと、類似の感覚でしょう。

写真のない、巻末近くを記載します。

「いま世界は疲弊し、迷い、ぼろぼろにほころび

滅びに向かいつつある。

そんな中、つかみどころのないけ満な日々を送っている正常

な人よりも、それなりの効力意識に目覚めている阿呆者の方が、

この世の生命存在としては優位にあるように思える。

わたしは後者の阿呆の方を選ぶ。

わたしも阿保を選ぶ。そして、わたしも、あきらめない。

私見は、「世界が滅びつつある」とは思いません。人間がいなく

なっても世界はずっと続くでしょう。

「阿呆者が優位にある」か否かは、判定できませんが、私が考える

ことを「あきらめる」ことはないと思います。 

 

煮詰まった時は、別の発想で 「シミュレーションの世界を生きている」と考えてもいい

  1.心が晴れず、冴えない日々

今年の年の瀬も近いのですが、どうも連日さえません。

気分が乗ってきません。

直接的には、「私を取り巻く環境」とは、言い難いのですが、

米国大統領選挙関連報道、及び新型コロナ感染症関係の日本の

報道に接して、これを考えるたびに、どうもさえません。

私の基本観は

米国大統領選挙は、「不正選挙」がなかかなか司法府や立法府

レベルで承認されない展開

新型コロナに関しては、相変わらず、数字と論拠に基づかない

「一方的」報道が継続している、

というところですが、今日は、上記には、触れません。

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シミュレーションのイラストです。

 2.全く違う発想

(1)さえない気分を晴らすために、全く違う発想。

過去こブログでも、何度か書いた、私の宗教観、歴史観に基づく

見解披露ものでは、ありません。

現在のある若い哲学者による「仮説の紹介」をします。

最近、拾い読みしているほんの一つに

「図解哲学 人生を変える100の話」

(トム・ジャクソン著、」高橋正一郎監訳)があります。

その、ちょうど100話目が

「私たちはシミュレーションの世界を生きている」P116

というもの。

1973年生まれのスウェーデンのの哲学者ホストロムの仮説です。

(2)彼の仮説では、

「コンピュータ上の実験で、過去の人間たちの生き様(歴史)を

知るために、未来の人類が過去の時代のシミュレーションを行う

ことを想定している」 とのようです。

Wikipesiaを参照して、少しまとめると

・ボストロムのシミュレーション仮説は一種の懐疑主義的仮説

・一般的信念に異議を唱えるために出された現実の性質につい

 ての提案である。

・そこには、現実が錯覚であるとする仮説に関する長い歴史が

 存在する。

プラトン、ルネ・デカルトの二元論、バートランド・ラッセル

の支持した立場に近い現象論の引用がありますが、私にによく分

かりません。)

・ボストロムはこのような流れとは無関係に、シミュレーション

仮説を妥当とする経験的理由があると主張した。

 彼の示唆している点を書くと

 ①住民のいる惑星全体あるいは宇宙全体をコンピュータ上で

  シミュレート可能である。

 ②その住民が完全に意識を持っているなら、十分に高度に発達

 した文明ならそのようなシミュレーションを実行する可能性が高く、

 ③従って我々が実際にそのようなシミュレーションの中の住民で

 ある可能性が高いということた。

(3)言い換えると wikipesiaのまとめは

ボストロムの主張は、以下の3つのうちどれかが真だというもの

 ①シミュレーテッドリアリティを生み出すほどの技術レベルに

 達する 文明はほとんど存在しない。

 ②そのような技術レベルに達した文明があったとしても、倫理

 やリソースなど様々な理由からシミュレーションを実行しない。

 ③我々が日頃経験する事物は、ほとんどがシミュレーション内

 の実体である。

著者のトムジャクソンの解説は、

①、②ともに、ホログラムはわずかな可能性がある、と主張し

③は、ホログラムは、比較的ありそう、と主張している。

 

3.少し考えると

私の素養では、上記仮設の、深い理解は、できていません。

勝手に、思ったことは

自分の人生は、自分の知的レベルでいくら考えても、解決でき

る問題の方が、少ないのだから、いろんな考えを寛容に受け入れ

ていけばいい。

どうせ、結論が出る話でないのだから

といったことでした。

 

読書感想文もどきに至らなかった「敗戦記その15」 今回もまた多数紹介

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敗戦記「その15」も同じイラスト

本年1月10日から 「読書感想文もどき」に至らなかった「敗戦記」

というのをアップしていますが、今回15回目です。

次回は、来年2021年でしょうか?

イラストもあえて、同じものを使用、趣旨も同じで、硬軟とり交ぜ、 

読者への何らかの参考となればと・・・

 1.座右の古典  今すぐ使える50冊

 鎌田浩毅/著  

出版者    筑摩書房 2018.9

論語」「ソクラテスの弁明」「風姿花伝」「方法序説」など、

時間をかけて読む価値が十分にある50冊の古典を紹介。

あらすじや、覚えておきたいフレーズ、学びのポイント

などを解説する。

P337

ラクに読みこなすためのお薦めの方法に「解説やあとがきから読め」

という古典の読解法がある。

本文に取り組む前に、先に巻末の解説を読んで「教えて」もらうの

だ。というのは、解説やあとがきにはその本に収められている思想の

エッセンスが丁寧に説明されているからだ。

   

2.気候と人間の歴史 1

E.ル=ロワ=ラデュリ/[著]  

稲垣文雄/訳  

出版者    藤原書店 2019.9

各巻事項              猛暑と氷河

 「気候」そのものを初めて歴史学の対象とし、自然科学と人文科学の

総合を果たした嚆矢の書『気候の歴史』の著者の作品です。

ロワ・ラデュリは「アナール」第三世代の第一人者であり、本書は、

氷河の規模の記録、年輪、ブドウの収穫期・品質、小麦の作況等の

データを駆使して、気候の変動が人間社会に与えた影響を緻密に追跡

しています。

 「シリーズの1」は、小氷期を含む13~18世紀を取り上げています。

 読み通す気力が続かなかった、典型的な敗戦記です。

 

3.時間と自由

シリーズ名           白水Uブックス 1100

アンリ・ベルクソン/著

平井啓之/訳  

出版者    白水社 2009.1

時間を、時計のような区切られた点の集まりではなく意識の内的持続

の中に見ています。

19世紀実証主義哲学を批判し、人間の意識と科学の法則における因

果律の違いを説いた、ノーベル文学賞受賞哲学者の代表作と、いわれ

ています。

P227 からの結論、「常識へ戻ること」「カントのあやまり」を数度読

みましtが、自分の言葉にならない、つまり理解が進まないという意味

での、敗戦記でした。

ベルクソン

小林秀雄が、ベルグソンんを読む取り上げていましたが、下記の経歴

のようです。

1859年パリ生まれ。高等師範学校卒業後、リセ教授をへてコレー

ジュ・ド・フランス教授。

1914年アカデミー・フランセーズ会員。28年ノーベル文学賞

受賞。フランス人哲学者。

代表作に「物質と記憶」「創造的進化」がある。41年死去。

【平井】

1921年生まれ。48年東京大学文学部卒。

19、20世紀フランス文学・思想専攻。

主要著書:「テキストと実存」他。

主要訳書:サルトル「創造力の問題」、ジル・ドゥルーズ「差異に

ついて」他。

 

4.啓蒙とは何か  他4編

シリーズ名           岩波文庫 33-625-2

カント/著  

篠田英雄/訳  

出版者    岩波書店 1989.9

内容: 啓蒙とは何か

              世界公民的見地における一般史の構想

    人類の歴史の臆測的起源

    万物の終り

    理論と実践

 以上5つの小論文ですが、最初の「啓蒙とは何か」について

啓蒙とは、「人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでる

ということ」であり、未成年の状態とは「他人の指示を仰がなけ

れば自分の理性を使うことができないということ」、これは理解

できた。

また、「人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどま

ってしまいがち」であり、「自分の考えを、自分以外の人々に、

自分の言葉で伝えることが教養である」というのも、納得がいき

ます。

次からの4編、特に「 理論と実践」は、どうも集中力が切れがち

でした。いろいろ工夫しますが「古典が解る」のは、やはり難題です。

 

5.すらすら読める風姿花伝

シリーズ名           講談社+α文庫 E63-1

林望/[著]  

出版者    講談社 2018.3

一般的な解説を引用すると

『自在な現代語訳で解き明かす世阿弥の至高の芸能論です。

秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」という誰も知る名言。

現代人の心にも響く名言が散りばめられた名著が、古典・能楽とも

に造詣深い著者の手で若返る。人生論としても最適。」

ということです。

現代語を読み通すと、理解できますが、原文では、意味がつなが

りません。難解です。同じ古典でも、イリアスもオデッセイも、

訳文だから読めます。

以下、解説部分から、ひとつ引用 

彼(世阿弥)が八十を超えるほどに長生きしたことで、その結果、

愛する息子にも先立たれ、みずから生涯をかけて育ててきた観世座の

衰滅を看取るという破目になったことである。  P222

 

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